42.夜這い

 大きな三日月がその存在を主張する夜空、芝生に座り無数に瞬く星達を見上げる。昼間のあの占い師は一体なんだったのか、そんなことが頭を過る。

 どこか聞き覚えのある声、俺の名前を知っていた事、色々不思議でなんだか気味の悪い女だった。『また来い』そう言われたが、あそこに行かなければ二度と会うこともないだろう。


「運命……かぁ」


 奴が口にしたフレーズが甦り何気なしに声が漏れたのと同時、上に向けていた顔に フワリ と何かが被さり、微かに感じた知っている匂い。

 布を退けて見ると微笑むティナおり、寄り添うようにして腰を下ろした。


「やっぱりティナか、どうしたんだ?こんな時間に」

「……レイを見つけたから」


 小さく一言だけ発すると俺の肩に頭を預けてくる。肩を抱き寄せ、彼女のかけてくれた布を広げて二人で羽織る。昼間のポカポカ陽気とは違い夜は少しばかり冷えるから気を利かせて持って来てくれたのだろう。


「何か悩みでもあるの?あの占い師に変な事言われたとか?」

「ううん、そうじゃない。そうじゃないけど、理由が無いとこうしてたら……駄目?」


 よく分からんけど、そうしたいならすればいい。 俺は再び夜空を見上げる。たまに吹いてくる風が少しだけ冷たさを残して行くが隣に居るティナの温もりが心地良い。


「私ね、レイの事が好きなの。レイは私の事……嫌い?」

「嫌いなわけないだろ」


 頭を肩に預けたまま何処か遠くを見つめてそんな事を聞いてくる。


「じゃあ……好き?」

「あぁ、好きだよ」


 ピクリとした反応、頭を上げようとしたが止めたらしく、また力なく俺の肩へと収まる。


「その好きは私の望む好きとは違うよね。レイはずるいよ、そうやって私の心を弄んで……期待させといて突き放すの」

「俺、そんなことしてるのか? ティナの事は好きだよ。でも、さ。貴族と平民が結婚するわけにはいかない事ぐらい分かってるだろ?じゃあ、ティナと付き合ったとしてもいずれは別れが来る。だったら恋仲になる訳にはいかなくないか?」


 肩を濡らした雫……泣いているのか?どうして?


「それでも、私はレイの隣に居たい。たとえ別れが来ると分かっていても……たとえ私以外の誰かがレイの隣にいてもよ。……それじゃ、駄目?」


 そんなにもティナは俺の事を……でも、それなら尚更ティナを傷付けたくはない。


「俺は生涯を共にするただ一人の人を愛したい。だから……ごめん」

「……じゃあ、キスして……それで許してあげるからキス、してよ。それくらいならいいでしょ?」

「俺がティナの事を嫌いじゃないって分かってくれるのなら……」


 顔を上げたティナの薄紅色の瞳が月夜に照らされ目に写る。その瞳は涙に潤んでいたが、そんな事には構わずまっすぐ俺を見つめて来る。


 顔を近づければ閉じられ見えなくなった瞳、自分も目を閉じそっと唇を合わせた。

 柔らかな唇から感じるティナの温もり。出来ることなら彼女の望むように俺のものにしてしまいたい──が、そういう訳にはいかない。身分なんて無くなってしまえばもっと自由になれるのに……。


 しばらくの間ティナの唇と存在とを堪能した後、ゆっくりと顔を離し間近にティナを見る。


 すると視界に入るもう一人の存在。



「「!?」」



 満面の笑みを浮かべたエレナの顔がティナと同じくらいの近さにあり、心臓が止まるほどビックリして思わず声が上擦る。


「お前!いつからそこに居た!!」


 油断も油断、この距離まで近付かれてなお気配を感じられないとは……唇に手を当てたティナが顔を真っ赤にしている。


「いや〜、少し前からですよ、旦那っ。『ただ一人の人を愛したい』ってカッコいいですねぇ。やっだ〜もぉ。

 でもでもぉ、私は二号さんでもぜんぜん平気ですよ!ちゃんと愛してくれればそれで満足なんですっ。なんなら三号さんでも四号さんでもオッケーです。ねぇねぇレイさん、わたしにもチュウしてくださいっ。んっ!」


 目を閉じ唇を突き出すエレナ、俺の思いを聞いていた癖にガン無視かよ!お前、自由過ぎだろ。

 ガン無視返しでデコピンを叩き込むとエレナも抱き寄せ布を被せる──これで我慢しなさい。


「はぅっ!」


 おでこを抑えて涙目で睨んでいたが、直ぐに諦めコテンと肩に頭を預けて来る。そうして三人星空の下、しばらく寄り添い同じ時を過ごした。


 その時、近くの木陰から見つめる薔薇色の瞳があったことに俺は気が付くことが出来ないでいた。




 部屋に戻る途中、一人廊下を歩いていると、静かに扉が開き誰か出てきたので立ち止まればクロエさんだった。

 少し離れているとはいえ珍しく俺にも気付かず、後ろ手で扉を閉めると、そのまま持たれ掛かり扉の前でうっとりと物思いに耽っているご様子。


 何事か気になりしばらく眺めていると、歩き出した彼女がようやく俺に気付いて笑えるほどの勢いで ビクッ! として慌てる。


「ぐっ……な……」


 何を思ったか凄い勢いで肉薄し、俺の口へと手を当ててくるクロエさん。壁に押し付けられ身動きを封じられた首筋に冷たい何かが当てられた。


「……見たわね?」


 口調もいつもと違い何か焦っているような感じ。いや、それより屋敷内で刃物はマズイだろ。

 あそこはアルの部屋……か?こんな時間に?後ろ手で扉を閉めるって事はメイドとして来たのではない事は明らかだ、つまり彼女にとってプライベートの時間だという事だな。


 間近で見る紅い瞳は潤いを増し、いつもの ツンッ と澄ました印象とは程遠い。どこか女っぽい弱々しい感じ、こんな遅い時間、仲の良いアルの部屋……つまり、そういうことか。


 ゆっくりとした動作で口を塞ぐ手を退けてやれば、さしたる抵抗もない。


「クロエさん、クロエさんはアルの部屋に私用があって来た、ただそれだけだろ?何を焦ってるんだ?」


 しばらくの間ドキドキしてしまいそうな至近距離で俺を ジトーッ と見続けたのだが、心の中で整理がついたようで刃物を持つ手がゆっくりと下される。


「見なかったことにしてほしいのです」


 こんな弱々しいクロエさんは初めて見た。よほどの事らしいと悟ればそれ以上何もいう気にならない。誰しも触れて欲しくないプライベートはあるもんだ、それをたまたま見てしまったようだ。


「俺は何も見てないし、誰にも会っていない。だからこのまま部屋に戻るよ」


 そっとクロエさんの横をすり抜け自分の部屋に戻ると、そのまま眠りに就いた。



▲▼▲▼



 翌朝、頬を撫でるフワフワの柔らかな感触に眠りの世界から意識が戻る。もう少し寝かせて欲しい思いで目を瞑ったまま眠りを妨げるものを握ってみると、肌触りの良い柔らかな触感の中に少し硬めの芯のようなコリコリとした感じがする。

 手触りが良かったのでもっと触ってみたい欲求に従い指で スリスリ してみると気持ちがいい。


「あっ……んんっ、耳は……んぁっ」


 なんかエロい声が小さく聞こえて来たので半分目を開けると、白い兎耳が一本 ピクピク と揺れている。俺が触っていたのは兎の耳だったらしい、兎の……耳?

 急激に醒めた意識、慌てて布団をめくれば ピッタリ と寄り添って寝ているエレナが居るではないか!


「お前、何してる!?」


「え?何って……何?レイさんと一緒に寝てますが?もっと他の事もしてくれるんですか?ウフフ、朝からレイさんは元気ですねぇ。本当は夜が嬉しいんですけど、私は今からでもいいですよ。さぁ、どうぞっ!ちょっと怖いけど我慢します。大丈夫っ、心の準備は出来て……ま、す。 でも、怖いから優しくお願いしますね」


 少し赤らめた顔を横向かせ、恥じらいながらも胸元のリボンを解こうと手をかける──うん、凄く可愛いし物凄く魅力的だね。でも朝っぱらから何を言ってるんだこいつは。 まぁいいか、もう少し寝よう。


 気にせずそのまま布団を元に戻すと目を閉じ眠りの国に旅立とうとする。

 もぞもぞと布団の中で何かが動いているが、きっと気のせいだ。俺の上に何者かが乗っかり顔を覗き込んでいるような気がするのも気のせいだ。顔をツンツンしているのも当然気のせいだ、ほら感じなくなった。ふぅ、静かになったからやっと夢の国に舞い戻れるぞ。 ん?暖かくて柔らかな感触が唇に感じるのも気のせ……なに!?


 慌てて目を開くと直ぐ目の前には目を瞑ったエレナの可愛い顔、肩を持って引き離すと目が合い頬を赤らめ照れやがる!しかも俺が支えているのをいい事に全体重を乗せて来る。


「お、お前!何やってんだ!?」

「何って……ちゅう?」

「馬鹿なの?お前馬鹿なのか!?やっぱり馬鹿兎じゃねーかっ!」


 小首を傾げたエレナが半目になりねっとりとした視線で俺を見据える、なんだよ言い訳でもあるのか?馬鹿兎がっ!


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