35.大王烏賊

「このぉっ!」


 海面に生える烏賊の足を目指した水蛇、大き過ぎる的は外れることなく命中するものの多少軌道を逸らしただけでダメージが殆ど見受けられない。それでも諦めず何度も体当たりを繰り返す水蛇だったが、新たに生えた他の足によって最も簡単に粉砕されてしまった。


「お兄ちゃんっ、効かないよ!」


 船の上に居る人間目掛けて襲い来る四本の巨大な足。船員さん達も剣や槍を手に果敢に挑みかかるのだが、メインマストより大きな烏賊の足には小さな傷が付くのみで大したダメージを与えている様子は無い。逆に先端を器用に曲げて船員を捕まえ、海にと引き摺り込まれていることの方が目についてしまう。


 《レカルマ》と呼ばれる超巨大な烏賊は体長が三十から四十メートルにもなるらしい。しかし現れたのは百メートルを超えているという特殊な個体、どうやら奴はボレソンの群れを追って来た所で俺達を見つけたようだ。


 奴の体格を活かせば、この巨大な船といえども真っ二つにするのも容易だろう。足場を失った人間など食べ放題だと知っているだろうに、今は四本の足がクネクネとしながら遊んでいるかのように一人、また一人と順番に捕まえては海中へと連れ去っていく。

 それもそのはず。残りの四本の足は俺達が先程倒し海面に浮いたままのボレソンの死骸を掴むのに忙しいようで、足先だけが海面を出たり入ったりと繰り返している。


「今の内だ!主砲、撃ちまくれ!」


 アレン船長の号令でボフッと音を立て発射される二メートルの特大銛。

 だが相手は十メートルを優に超える烏賊の足、太さは三メートルを超えており、たとえ直撃しようとも少し揺らめく程度で大した効果が見えない。


「一本で駄目なら二本だ!それでも駄目ならありったけ打ち込め!!」


 次々と発射される銛で重くなったのか、海へと倒れていく一本の足。たがそれに気を悪くしたのか、違う足が主砲の一つを薙ぎ倒して何人かの船員さんが海へと投げ出された。


 アレでは駄目だ、もっと威力のあるモノでないとダメージどころか傷すら付けられない。


「とりゃーーっ!」


 奴の足が生える船首に急いで移動すると朔羅に風魔法を付与させる。鮮やかな緑色の光に包まれる黒い刀身、気合を入れて全力で振り切れば七メートルはあろうかという風の刃が巨大な足を見事に斬り裂いた。


「おおっ!すげぇー!」


 大きな水飛沫を上げて海中へと落ちる切れた足。歓声が上がる中、第二波を放って二本目も斬り落とせば、それが海面に落ちた衝撃が波となって伝わり船が大きく揺れる。

 しかし『このまま三本目も!』と朔羅に風を纏わせた時、信じられない光景が目に入った。


 聞き慣れない ドリュッ という気味の悪い音を立てたかと思えば、今しがた斬り落とした筈の足が切れた部分から新たに生えてくる。瞬きの間の出来事、あっという間に元の木阿弥だ。


「ちょっと!何よアレ!」


 普段は聞き慣れないサラの大声が聞こえてくるがそんなこと言ってても始まらない。



──何度でも斬り落としてやる!



 生えて来たばかりの足に向けて風の刃を放てば、再び海面に切れ落ち大波を立てる。


「周り気をつけろ!足が増えてるぞっ!」


 四本しかなかったレカルマの足がいつのまにか八本に増え揃っている。どうやら奴はボレソンを食べ尽くしたのか、それとも足を斬られて苛ついたのかは知らないが本気で俺達を襲う気になったらしい。出来ればボレソンでお腹いっぱいになって帰って欲しかったのだが、そうはいかなかったようだ。


「コレットさん!みんなを守ってやってくれよ!!」


 無言で頷く頼もしい彼女の笑顔を確認すると違う声も耳に届く。


「守りなら任せといて!」


 声主のモニカに親指を立て、風の刃を放つのに専念する。倍の数に増えた巨大な烏賊の足は一人で対処するには骨が折れる。それでも俺がやらねばと己を奮い立たせ、風の刃を作っては放ってと作業のように淡々と繰り返していく。


「このぉっ!!」


 叫び声と同時に連続した爆発音が聞こえてくる。風の刃を放つ合間に視線を向ければ大きく広がる爆炎が晴れていく所だった。その中から現れたのはボロボロになった一本の烏賊の足。動きの緩慢になったソレは尚も術者であるサラに向かおうとするが、そうはさせじと火球の第二陣が迎え撃つ。



ボボボボボボッッ



 再び響く重低音、腹まで響く振動が心地良いとさえ感じていれば、爆炎の中から倒れてくる大きな物が目に映る。

 ダッパーン!という轟音を上げて海中へと沈み行く烏賊の足、それを成したサラは額を腕で拭い大きく息を吐き出した。しかしそれも束の間、次の目標を見定めて視線を強めると魔力を練り始める。


──サラも頑張っている、俺も頑張らなきゃだな。


 だが幾度斬り落とそうともすぐに生えてくる巨大な足の群れ。どうしたものかと思いつつも、たいして良い案が浮かばず淡々と作業をこなすしかない。


「うわぁぁ〜!!助けてくれぇぇっ!」


──不味い!


 対処が間に合わず接近を許した一本の足が一人の船員を掴み空中へと連れ去って行く。このままでは海中に引き込まれて食われるのは時間の問題。今ならまだ助かる命、既に被害が出ているとはいえ目の前で助けを求める者を見逃すなど俺はしたくない。


 狙いをその足に変えて風の刃を放てば、切断された足から船員さんは解放された。だがしかし、向かう先は奴の潜む海だった。


「モニカぁっ!捕まえろ!水幕だっ!」


 落下する船員さんを球状の水幕が包み込んだ。海面でバウンドした大きな水球は弧を描いて船にやってくる。

 甲板に到着すれば音もなく消え去り、唖然とする男が無傷なままに姿を現す。


「よくやった!」


 本当なら抱きしめて褒めてやりたかった。嬉しそうに細められた目を見ながら艶やかな髪を撫でたかった。

 でも手一杯な今はそれも叶わず、振り返ることすら出来ずに声だけでもと投げかけた。



 休む間もなく風の刃を放ち続けるが、斬り落としては生え、生えてはまた斬っての延々たる繰り返し。このままでは埒があかないのは明白な事実、しかし奴は足だけを使って安全に狩りをするスタイルらしく本体は海の中。これでは防戦一方でジリ貧まっしぐらだ。


「サラ!火魔法を全開にして海の中に打ち込め!爆発するやつなっ!出来うる限り派手に爆発させてくれっ。発破は海の中入った直後でいい、奴に当てようなどと思う必要ないからなっ!

 モニカ!すまないがサラの援護をしてやってくれっ!俺だけじゃ手が足りない。

 船長!聞こえたな?揺れるぞ!!」


 既に何本目か分からない足を斬り落としながら閃いた作戦を大声で叫んだ。

 揺れる甲板で返事も無しに駆け出すサラとモニカ。それを狙ってくる足に注意し風の刃を次々と放てば二人が船首へとたどり着き、頷き合ったサラが魔力を練り出す。


──頼むぞ、君が要だ!


 狙いやすい位置に陣取るサラは格好の狙い目、己の発する魔力に銀の髪を靡かせ、両手の間に火球を生み出し始めた彼女へと何本もの足が伸びて来る。

 俺も必死になって風の刃を撃ち続けるが、全部の足がサラを狙い始めたのかと思うほどに入れ替わりが激しい。流石にこう連続では疲れてくるがそんなことが言える状況ではないので気合を入れ直す。


 その時だ。


 サラを狙っていた筈の烏賊足の群れが、そのすぐ側で巨大な水蛇を操り彼女を護るべく奮闘していたモニカへと狙いを変えた──魔力を勘付かれたか?これは不味い!

 疲労の為に徐々に魔力の収束スピードが遅くなって来たところにこれだ。慌ててありったけの魔力をかき集めるがこれでは集まるのが遅過ぎる……合わないぞ!!



「キャーーーッ!!」



 モニカ自身の水蛇も間に合わず、水幕でも防ぎ切れないと悟ったのか猛然と迫る烏賊の足に恐怖してしまい固まってしまう……こんな烏賊風情に大切なモニカが食べられるのか?そんな事を俺は許すことが出来るのか?許せる筈がないだろう!?どうにかしろよ、俺!!!!



 早く!早く!早く!早く!早くっ!!!



 心は焦るがそれで魔力の集まりが良くなるでもなく、奴の足はモニカを目掛けて迫って行く。


 モニカが危ない!

 モニカが捕まる!!

 モニカが食われる!!!


「俺のモニカに触るなぁぁぁぁぁっっ!!!」



──ドクンッ



 怒り渦巻く頭の中、一度きりだが謎の胎動が響く。こんな極限とも言える状態の中、何故だか分からないがハッキリと聞こえた……なんの音?

 ともすれば腹の底で黒いモノがザワ付き始めたのを感じとる。これは魔族と相対したときに幾度となく溢れかえった憎しみの感情、そして奴等を消し去った黒い力。


 腹の底からやってきた黒いモノは人の形をとり、こう促す。



【俺からモニカを奪う奴を殺せ!!!】



 抗う事を止めてしまったモニカを目指して突き進む極太の槍。レカルマの足の先端が到達する僅か数メートル手前、俺の身体から飛び出した黒い霧はモニカを回避し彼女の前へと躍り出る。

 放出される水の如く噴き出す黒。奴の足と接触すれば、触れた部分はまるで転移でもしたかのように一瞬にして消えて無くなる。


 目を見開くモニカの眼前、黒の勢いは止まらず、先端が消滅してなお突き出す事を止めないレカルマの足を押し返すように、その接点を根元の方へと高速に移動させていく。


「サラぁっやれ!!」

「やぁぁぁああぁぁあぁぁぁああああっっ!!」


 モニカを通り過ぎた黒い霧を三分割させサラを狙って来ていた別の足を消し去った直後、両手で抱えるほどの特大の火球が海中へと投げ入れられた。


 深い青をした海が一瞬だけオレンジに染まる。慌てて二人に駆け寄り両腕に抱きかかえると、船縁に押し付ける様にして身を低くした。


 次の瞬間、大きく膨れ上がる海面。


 垂直に立ったと思えるほどの傾き、踏ん張る足は悲鳴をあげるがここで手を抜いては二人も道連れだ、愛する者と護るべき者を両手に耐え忍ぶ。

 天地がひっくり返るかの勢いはその後も船が折れやしないかという激しい揺れを何幾度も引き起こし、船が軋む心臓に悪い音を耳にしながら嵐が過ぎゆくまで耐え忍ぶ。


 唯一の癒しは時折鼻をくすぐる彼女達の匂い。想像を突き抜け、激しくなりすぎた戦場に似つかわしくない糧を束の間の栄養とし、コレットさんにランリンは大丈夫だろうかと心配しながら揺れが収まるのをひたすら待ち続けた。



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