34.問われる勇気
「きゃっ!」
余所見をしていた俺にリンがぶつかって来た。戦闘中だと思い出して慌てて視線を向ければ大口を開けたボレソンがすぐそこに!どうやら避けようとしたリンの邪魔をしてしまったようだ。
弱めて待機状態にしていた強化魔法を瞬時に強め、よろめくリンを抱き寄せると同時に迫り来る大きく開かれた分厚い唇を蹴り上げ軌道を逸らした。
遥か遠く、明後日の空に向けて旅立つボレソン。それを抱き抱えたリンと共に見送れば、視界いっぱいに広がった顔に意表を突かれ驚かされる。かと思った次の瞬間、間近に迫った無邪気な瞳が閉じられ俺の唇に柔らかなモノが押しつけられた。
「お礼の続きはまた後でねぇっ」
ウインクしながらの投げキッスを残し、再び船縁へと向かう後ろ姿を見ながら『お礼は要らないって言ったのに』と思いつつも唇に残された余韻に浸る。
みんながそれぞれで頑張っている姿を見ていたら俺もうずうずして来た。朔羅を抜くとランとリンに傷付けられつつも怯むことなく突撃してくるボレソンを片っ端から斬り刻む。輪切りにされながらもそのまま反対側の海へと落ちて行くボレソンを勿体ないなぁなどと思いつつも次の獲物を探して回った。
俺達が陣取るのとは反対側から飛び出し、無事に頭上を飛んで海へと帰って行こうとする奴に風の刃のお土産をプレゼントすれば、見事に命中して綺麗に半分になった──あ、なんか射的ゲームみたいで楽しい。
調子に乗ってバンバンと風の刃を打ち込んでいると段々と的が少なくなって来る。楽しくなって来たところで店じまいされるようで、なんだぁと不満に思いつつ朔羅をしまうと飛び出してくる奴等もいなくなりどうやら打ち止めらしい。
本当に終わり?と船縁に手を掛け海を覗き込むと、海面を割って最後の一匹が俺を目掛けて飛び出して来る。
──俺を喰おうって?馬鹿にするなよ。
大口を開けて迫る弾丸のようなボレソン。サラの悲鳴が聞こえたが、俺、こんな奴に喰われないぞ?
喧嘩上等!と魔力を高めると、ボレソンの口を両手で掴まえる──が、流石に勢いは殺せない。
負けてなるものか!と意地になり、せめて水平にと力任せに軌道を変えた。重心を落とし、大きく開いた両足を踏ん張る。ブーツは遺憾なく性能を発揮するがキュリキュリと音を立てながらも甲板を滑り行く。
「こんにゃろっ!」
躍起になって力を入れるものの勢いは止まらず、その直線上に人が居なかったのは幸いだった。
──止めきれない!?
あわや落水かと思われた直後、反対側の船縁に踵が触れた。その瞬間、保たれていた均衡は崩れギリギリの所で奴を止め切ることに成功する。
海に帰れず甲板に落ちるとドッタンバッタンと威勢良く飛び跳ねるボレソン──ハッ!お前の負けだよ!
その姿はただのデカイだけの魚、勝敗は喫して尚うるさくしていたので思い切り頭を殴ってやったら ピクピク として動かなくなった。
「凄いですな兄さん、惚れちまいそうでっさ。そいつは後で刺身にして食べますかね。そいつの刺身は鮮度が保てないので獲れたての船の上でしか食べられない珍味なんでっせ。是非堪能しておくんなせい」
モニカもサラも駆け寄ってきて俺が捕獲した無傷のボレソンをまじまじと見ている。ツルッとした魚体は黒混じりの鈍い銀色で太陽の光を反射して眩しいくらいだ。
「あんなの受け止めようとするなんてビックリするからやめてよね。食べられちゃうかと思ったじゃん。でも、美味しそうな魚だよね!」
いつのまにか元に戻った雪を抱っこして俺に苦情を言ってくるが、その顔は言葉とは裏腹に心配などしていなかったのだろう。モニカは俺の事を信じてくれてるし、よく分かってくれていると思う。
愛だな、愛。
「モニカ、モニカっ」
ちょいちょいと手招きをすると雪を抱っこしたまま俺の元に来るモニカの頬に手を当ててキスをした。腰を抱き、これ見よがしに片手を出すと掌の上に水玉が一つ出来る。
キョトンとして俺を見てくるが良いから見てろと促すと再びモニカの視線が掌に移ったところで火の玉が現れた。続いて現れたのは風の玉、そして見て欲しかったのはこれだ!
土で出来た玉が掌の上に浮かび、全部で四つの属性の小さな玉がプカプカと空中で漂う。
それを見てアレレ?と小首を傾げるモニカ。分かってくれただろうか。
「お兄ちゃん、コレットに魔法貰った?」
ニッコリ微笑みながら首を横に振ると益々困惑してこめかみに指を当てながら再考を始める。
「俺の事を知っているのは後はサラだ。けどサラには魔留丸くんを渡した事は無いぞ」
はて?と益々増した首の傾きがそろそろ限界だろうと思ったところで「あっ!」と何かが閃いたらしく姿勢を戻すと ポンッ と手を打った。
「フラウさんに貰ったの?」
答えに行き着いたかと思った俺の期待は見事に打ち砕かれ膝から崩れ落ちる。
身体強化で使うのは火、風、水の三属性だけなのでモニカに頼んで魔留丸くんに入れてもらう魔法はその三つ。じゃあ土魔法は何処から来たのかという話なのだが、なかなか答えには辿りつけないようだ。
両手を床に着けいじける俺の隣、慌ててしゃがみ込んで心配そうな顔で覗き込んでくるモニカと雪。
モニカは俺の事を分かってくれてると自信満々になってたさっきの俺はいったい何だと思うけれど、冷静に考えると全てを完璧に理解出来るなんて事は有り得ない。もしもそんな事になったら一緒に居ても楽しくないだろうな、なんて思ったりもする。
それはさて置き、溜息を一つ吐くと気分を入れ替え俺を見つめる四つの瞳に向き直る。
「俺は普段、どうやって魔法を使ってたか覚えてる?」
水玉を作るとその玉を分離、増幅しながらそら豆サイズの水玉を連続して繰り出し、呑気に寝そべるボレソンに向けてペチペチと打つけてやる。
わざとらしく間を開け、今度は同じ大きさの水玉を逆手に創り出してはボレソンに当ててを繰り返すと再び『あっ!』という顔になる。
「お兄ちゃん!もしかして自分で魔法が使えるようになったの!?」
ニヤリと笑う俺の顔からそれが正解だと確信したようだ。俺の頭をヒシと抱きしめると「良かったね!」と何度も撫でてくれる。
その時モニカは気が付かなかったようだが、鼻先が付くかというほど間近に雪の顔があり、あまりの近さに白いはずの顔が赤くなっているのを微笑ましい思いで見つめていた。
時間が経つにつれて沸沸と湧き上がり、身体の至るところ全てに浸透していく俺の魔力。漲る力は自信に繋がり、さっきの戦いの中、何故か出来る気がしたので試しにやってみたところ、自分自身の力で魔法を発動させる事が出来てしまったのだ。
自分でも驚いたがそれもあって調子に乗って射的ゲームを楽しんでしまったというわけだ。
きっかけはやはり夢の中でぶっ壊した魔法陣、それしか思い当たるものが無い。その後で黒い波に飲み込まれた、それからだ。
妙に力が漲り、そして今、自力で魔法が使えるまでになった。
“危険な力だから私の魔力で封印しておくわ”
──ルミアが告げた封印とはあの魔法陣の事だったのか?
しかし、その封印が解けたのだとしても、その前から使えなかった魔法が使えるようになったことの説明にはならない気がする。
また一つルミアに聞くことが増えたな。まぁ、便利になったのは良いことだろう。
「速度S!質量とっ、
「馬鹿野郎!船長と呼べっつってんだろぅが!船長とぉっ!!その、例のってぇのはアノ烏賊かぁ!?」
「生存率七パーセントのアレです!今すぐ回避命令を!船長ぉぉっ!!!」
それを聞いた船員達がざわつき始める。生存率七パーと言われてもピンとこなかったが、とんでもない化け物なのだろうとは、さっきまで陽気だったアラン船長の顔を見れば想像がつく。
苦虫を噛み潰したように彫りの深い顔に皺を寄せ、握り拳を柱に叩きつけて俯いた。
「さっきの戦闘は見せてもらったが敢えて聞こう。兄ちゃん、腕に自信は?」
怒りを押し殺しているようにも見えたが、何かの踏ん切りがついたのか、向けられた顔からは表情が消えていた。だがその眼差しは燃えたぎる炎のような熱を孕み、言葉無くとも『YES』という選択肢しかないと知る。
「興味本位とはいえ金持ちの道楽で魔物退治に付き合わせたわけじゃないよ?向かって来る魔物は蹴散らす、それが良くしてくれるアンタらが恨みある奴なら尚のこと、な?」
「若造が、一丁前に言ってくれるなぁ。
だがもう一度だけ聞く、例え相手がこの船よりデカい化け物でも臆せず戦うと言い切れるのか?」
「今はすこぶる調子が良いんだ。なんでもござれ、だ」
「クククククッ、ハーハッハッハッハッ!他の奴が口にしてたら海に放り投げてやるところだが、ボレソンとのやり取りを見ちまったからな、口から出まかせなんて思えやしねぇ。
あいわかった、頼りにさせてもらう。
だが相手はこの海の支配者とも比喩される化け物だ、油断だけはしてくれるなよ?」
「心に刻んでおくよ」
「総員っ戦闘配備!やってくるクソ烏賊野郎を返り討ちにする!!
ここまでの大物は想定外だが、ありったけの武器をもってこい!ミョルニル号がそこらの船と違うことを奴に見せつけ、俺達船乗りが受けてきた屈辱を今こそ晴らす時だ!」
「「「「おおおおおおおっっっ!!!」」」」
船長が声を荒げて素早い指示を出し始めれば、それに合わせて船員達も大声をあげながらテキパキと襲撃に向けての準備を進める。
その中の一つが船頭の両脇に用意された二メートルもある巨大なボウガン。左右に三機ずつ、船の前部、真ん中、後部の三箇所に合計十八機。なんでも大きな銛を魔力で打ち出す魔導武具らしく、対大物用の主力武器のようだ。
「団長!後二分で奴が来ます!」
「船長だと言っとるだろうが!蹴り落とすぞコラァ!準備急げ!主砲っ、いつでも撃てるように間に合わせろよ!!」
呼び声からきっかり二分。海面を割ったのは、この巨大な船のマストを軽々と超えてみせた、それはそれは大きな烏賊の足だった。
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