36.最後の手段
ようやくにして揺れが落ち着き、顔を上げればレカルマの足が一本も見えない。
「終わった、のか?」
副船長ニックの声が聞こえて来るがそんな訳はない。むしろこれからが本番だろう。
「まだ来るぞ。本体が現れたら銛を打ち込めるか?出来れば目を狙ってくれ」
言い終えた直後、海中に黒い影が見えたかと思えば船のすぐ脇に立昇る巨大な水柱。まるで滝壺に足を踏み入れたかのような物凄い量の水飛沫を降らせながら目の前に現れた大きな壁は、黄ばんだ白に青や緑を所々に折り混ぜ、お世辞にも綺麗とは言い難い。
「でかっ!」
狙い通り本体を見せた超巨大な烏賊の魔物、デカイのは分かっていたがやはり想像と実際に見るのとでは一味も二味も違う。
思わず漏れたのは在り来たりな言葉、しかしそれは許してほしい。
全長百メートルという予告通りに高くそびえ立つ巨体は見上げても頭の先等など見えやしない。横幅ですら目測で二十メートル、海面すぐ上には帽子を被り、八本もの髭を生やした奴の顔。二メートルはあろうかという赤黒い目玉が二つ、俺達へと鋭い眼光を向けている。
『何してくれるんだこのボケ!』
そう言っているような気がしたのは気のせいだろうか?
冷静に見ると一つの疑問が浮かんでくる。
“何故奴は海面に立てる?”
その答えは直ぐに奴自身が教えてくれた。
巨大な目玉を目隠しするように、船を飲み込むほどの大きな津波が突如現れたのだ。
あれは水魔法だろうがどう考えても威力がおかしい。海面に立つように海の上に全身を晒しているのも恐らく水魔法で海面付近に固定しているからなのだろう。
「モ、モニカぁ!水幕全開!!流れを作る事を優先して受け流せ!」
言ったそばから形成される船を覆い尽くした水幕。それはあたかも船首の海面から水を吸い上げ、船尾へと流しているようにも見える。
モニカを信じていない訳ではないが一回のミスがここに居る全ての人間の命を奪う。不安を感じた俺はモニカの水幕を支えるように風魔法で幕を張ると水幕と同調させ風の流れを作り出す。
次の瞬間、激しい音と共に大津波が水幕と接触するもののモニカの張った水幕はその機能を十二分に発揮する。
襲いかかった大量の海水はその全てを余す事なく船尾へと送り出される。予防として張った風の幕になど一切の干渉がないほどに完璧な水の結界、素晴らしいの一言しか心に湧いてこない。
海中に没したかのような光景はその上から差し込む陽の光をキラキラと反射させ “船で海を潜る” という常識ではあり得ない奇妙な体験をした。
「ひゃーーっ、落ちるっ落ちるぅっ!」
それでも津波が通り過ぎた後に起こした揺れまではどうにもならず、大シケの海にいるように再び激しく揺れるミョルニル号。船の縁に捉まり振り落とされまいとするモニカだが、この揺れでは耐えられそうにない。血の気の引いたサラと共に二人を抱きかかえると、ついさっきも同じ事をしたなぁと少しだけ笑みが溢れる。
「うわぁぁぁぁっ!」
時折誰かの叫び声が聞こえるが自分達の身を守るのに精一杯で悪いがそこまで手が回らない。未だ無事を確認していない三人の事が頭を過るが、それを確認するのも奴を倒した後だ。
「船長!銛だっ!!」
揺れが収まりかけた頃、俺が叫ぶ前に優秀な船員達が巨大ボウガンの位置を調整し終え、今まさに発射するところだった。
ボシュッ!
続けざまに撃ち出された銛は、揺れる船体にも関わらず指示通りレカルマの大きな目に向かい一直線に飛んでいく。
──突き刺され!
だが願いは叶わず、海中から伸びた奴の触手が最も簡単に払い除けるのを目の当たりにすると冷たい汗が背中を走り抜ける。
それで殺れるとは思ってはいなかった。しかし魔力量に不安を感じてきた今は少しでもダメージを与えてくれる事を期待していたのに、結果は惨敗。
さっきまで襲って来ていた足より繊細に動く触手は奴の手なのだろう。銛を弾き飛ばすとそのままこちらに向かい勢いよく伸びてくる。
「行ってくる、ここで掴まってろよ」
二人に言い残し、立った船首。風魔法を核として肥大化させた炎を朔羅に纏わせればその身体は五メートルまで引き伸ばされる。
──ここが正念場だ!
俺の闘志を映し出すかのような炎の刀身を襲い来る奴の触手の動きに合わせ叩きつける。
「このヤロォ!」
触手は斬れることなく叩き返されるものの、また直ぐに此方を襲う構えを取っている。
それを歯がみしながら観察していれば、視界に入ってくる青白い影。
続けて襲い来るもう一方の触手に朔羅を振り上げるがやはり斬れない。
この触手は水魔法が付与されているらしく耐久性が足に比べて段違いだ。もしかしたら身体強化の類か?それだけ傷付けられたくないという証だが、もしかしたらこっちは再生出来ないのかもしれないな。
ならばと触手に向けて風の刃を繰り出すが、銛と同様に簡単に弾かれてしまい斬り落とすこと叶わなかった。
そのままダメ元で連続して風の刃を飛ばすと、その内の一つが触手をすり抜け奴の顔の上へと伸びる壁のような胴体に傷を付けた。肉厚が有り過ぎて貫通する事は叶わなかったようだが、触手と違い傷が付けられる上に、足と違って再生される気配もない。
──生まれてくる一つの閃き。
それが俺に可能なのかどうか確かめる為、襲ってくる二本の触手を叩き返したタイミングを狙い左手に魔力を集めると小さな炎を作り出す。
「よしっ、いける!」
勿論ただの炎ではない。その炎は強く輝く超高温の青い炎、俺がやろうとしているのは以前リリィが教えてくれた気化爆弾だ。
あんな馬鹿みたいにデカイ烏賊相手に剣でチマチマやっていたらどれだけ時間がかかるかわからない。しかもアイツの触手は魔法を弾くし、身体は斬れるみたいだが足場の無い海面にいる奴に近付き斬り刻み続けるのも無理がある。
触手に遮られる風の刃ではどれだけ撃てば倒せるのか分かったものではない上に、考えるまでもなく倒す前に魔力が底をつくだろう。
ならば大火力で一気にという話だが俺達が現状で使える程度の魔法をぶつけても、一撃で倒せるほどの威力が無い上に本体に当たるかどうかも分からない。
じゃあどうするのって話になるが、外側からが無理なら内側を責めるしかない。顔の下にある口が水面に向いている以上、内側に魔法を打ち込むには身体のどこかに穴を開ける他無いだろう。
奴の顔の直ぐ上の部分を風魔法を纏った朔羅で一気に斬り裂き、内部まで穴が空いたところに最大火力である気化爆弾をぶち込む!
一撃離脱は必須、逃げ遅れたら俺は死ぬかも知れない。だがそれしか奴を倒す方法が思い浮かばない上に一番効率の良い作戦だと思う。
朔羅!本当にお前に意志があるのなら、今こそ俺に力を貸せ!!
──ドクンッ
俺の呼びかけに返事をするかのように再び頭の中に胎動が響いた。
「モニカっ!」
船縁でしゃがみ込んでいたモニカが俺を見て立ち上がる。
再び襲ってきた触手を弾き返すとモニカの元に駆け寄り肩を抱いた。
「俺に勇気をくれ」
前触れもなく重ねた唇、しかしモニカはそれに応えてくれる。
──潮の味のキス
唇を離し最後かも知れないという思いで強く抱きしめれば、何も言わずに抱き返してくれる。ほんの少しの抱擁だったが俺の中に沸き起こる勇気と魔力、これこそ愛だぜ!
ありがとうモニカ、これで後はやるだけだな。
「何をするの?」
俺を見上げる不安そうな瞳、海水ですっかり汚れてしまった濡れそぼるモニカの髪をそっと撫でると、襲ってきた触手を弾き返す。
今いいところ!邪魔するなよっ!
「奴を爆破する。さっきのより揺れるからみんなを守ってやってくれ、頼むよ」
今度はモニカが俺を掴みキスをしてくれる。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
名残惜しくも身を離し、目は合わせたままで「ああ」と返事をする。
これで思い残す事は……たくさん有るが無い!
気持ちを切り替えレカルマに集中する。さぁ、やるぞ!!
「船長!また激しく揺れるからよろしく!!」
叫ぶと共に手すりに足をかけて海へと飛び出し、朔羅に風魔法を纏わせると大声で叫ぶ。
「行くぞ!朔羅ぁ!!」
──ドクンッ
頭に響く三度目の胎動、俺の声に反応して返事をした……これは朔羅のものだったんだな。そう認識した時、風の魔法を纏って緑色だったはずの朔羅の刀身が黒色へと変化を始める。
これは……と思うが、あの黒い霧を纏ったのだとすぐに認識出来る。
これが朔羅の力……?
水魔法で海面を固めて簡易の足場を作り、レカルマまで海の上を走る。当然目障りな俺を排除するべく触手が襲ってくるが今の朔羅ならば!
行く手を阻む邪魔な触手、黒い霧を纏った朔羅を叩き込むと驚くほど簡単に斬れて海面に落ちた。
身体と繋がる部分が反射的に引っ込む、そんなものを見れば奴が怯んだのだと確信できる。
──これなら行ける!
本体まで急げばもう一本の触手も俺を払い除けようと襲いかかって来る。
斬られることに恐れをなしたのか、わざわざ俺の背後まで回される触手。大きめにジャンプしながら身を捻り一回転しながら朔羅を振れば、これ見よがしに素早く引っ込み攻めの手が止まる。
──ハッ!チキン野郎め!
すぐに追撃にかかる触手、だが既に本体は目の前。背後からやって来る触手だが、俺の方が僅かに早い。
最後の跳躍にと全力を込めた踏み切り、到達したのは赤黒い目玉のすぐ上辺り。壁となる胴体に接触する直前、振り抜いた朔羅が奴を斬り裂く。
五メートルもあった肉厚にも関わらず抵抗もなくあっさりと開かれた内部までの道、奥に見える赤黒い内臓まで跳躍の勢いそのままに飛び込めば全ての音が消えてなくなる。
真っ白な洞窟に潜むテカテカとした気持ちの悪い臓物、それを足場に着地すれば グニョッ というこれまた気色の悪い感触が足に伝わる。だが悪いことばかりではない、これは良いバネとなる。
押し返される反動と共に臓物を蹴り付け外へと急ぐ。もちろん俺がやってきたという証拠に水球を置き土産にして、だ。
それと繋がる魔力を細い糸のように伸ばしつつ船へと急ぐ途中に再び襲い来る触手。身を捻って躱しながら向けた視線、そいつの赤黒い目は怒りを讃えているように見えた。
──じゃあなっ。
魔力の糸を辿り、ありったけの魔力で水球の中心に炎を灯した。
弾け飛ぶレカルマの顔、勢い余り抉られる海水。耳を突く轟音と共に視認できるほどの凄まじい衝撃波が襲いかかる。
それに煽られ舞い上がる身体、予め施していた水魔法の身体強化があって尚、全身が引き裂かれるような激しい痛みに苛まれる。
空高くへと打ち出されていく傍ら、高くまで聳え立つレカルマの身体が光に包まれた。そのことでようやくアイツがモンスターだったのだと認識される。
あれだけデカイモンスター、そりゃ強いよ。船が沈まなくて良かったな。
「モニカ、俺やったよ……」
消え行くレカルマを見て安心したところで限界を感じ、俺の意識も消えて行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます