第三章 騎士伯の称号
1.黒い少女
そこは真っ暗闇だった。他には何も見当たらない、ただ闇だけの存在する黒い場所。
俺はこの場所を知っている。また夢の中だろ?この間、久しぶりに見てこんな夢も有ったと思い出した。起きてしまうと覚えていないが小さい頃に見た夢だ。
何処かに光る大きな木があるんだろう?
適当に歩いてみると見えて来る──ほらね、やっぱりそうじゃんか。
それで女の子が牢屋に入れられているんだったな。とても可愛いお人形さんみたいな子。あの子は俺に助けてくれと言った。大人になったら助けると約束もした。忘れていて大変申し訳ないが俺ももう大人と言える年齢。であれば、約束を果たすべく彼女に会いに行こう。
だがその木には彼女が幽閉されているはずの複雑な根っこなどは存在せず、黒い地面から垂直に生えるただただ途轍もなく大きな光る木だった。
当然のように女の子も見当たらない。
あれ?違う夢なのか?
目的を見失いぼんやり木を見上げていると、忘れていた思いが胸を叩く。
『ユリアーネが死んだ』
いつの間にか溢れ出した涙は止め処なく頬を濡らし、顎で雫と化すと、真っ暗な地面へと落ちて行く。
ユリアーネをギルドの酒場で見た──綺麗な人だと思った。
ユリアーネに蜘蛛から救われた──柔らかなオッパイは心地良かった。
ユリアーネが魔族から助けてくれた──こんなに心強い人はいないと思った。
頭の中に浮かんでは消えて行くユリアーネとの思い出の数々……まるで花火のようだな。
楽しかったこと、叱られたこと、一緒に馬車に乗り、いろんな旅をした。みんな、みんな凄く良い思い出。
ユリアーネに心を救われた──ユリアーネの初めてを俺の狂気が奪い去ったというに、そんなこと気にもしていない風に振る舞い、自分のことより俺のことを心配し俺の心を癒してくれた。
ユリアーネと結婚した──純白のドレス姿が今でも目に焼き付いていて、俺の心を鷲掴みにしている。
誓いのキスをする時、心からユリアーネを愛してると思った。俺はこれから一生、この人の側に居られるのだと思った。
けど、現実はそうではなかった。
俺は弱かった……弱かった所為でユリアーネは死んだ。
俺が死ねば良かったのに、優しいユリアーネは俺の身代わりになり……死んだ。
俺は……一人ぼっちになった。
それならいっそのこと俺も死んでユリアーネの元に行けば、あの世とやらでまた一緒に居られるのではないだろうか?
「レイシュアは死にたいの?」
突然聞こえてきたのは、まだあどけなさを感じさせる女の声だった。それはなんだか懐かしさを感じさせるような、俺の心に染み渡る声。
立ち尽くす俺の前に忽然と現れたのは十歳にも満たない女の子。
腰近くまで伸びる癖のない髪は、周りの闇と同化してしまうほどに真っ黒で、太腿まで隠れる黒いパーカーを羽織る少女は俺を見上げる瞳まで黒い色をしていた。
「あの人はレイシュアが死ぬことを望んでいたの?」
まるでユリアーネのことを知っているかのような口ぶりで不思議そうに首を傾げてくる。
「違う、ユリアーネは俺に幸せになれと言った」
疑問に思いながらも咄嗟に思い浮かんだ言葉を口にしていた。
俺は見ず知らずの少女に何を言っているんだろう?こんな幼い子にこんな話をして何になるというんだ?
「幼いとか言うなっ、馬鹿レイシュア!」
プクッと頬を膨らませつつ腕を組むと、張りのある若い眉間に皺を寄せて睨みつけてくる。精一杯背伸びをしているその姿が可愛らしく思え、涙が乾かぬ顔で思わず微笑んだ。
「また馬鹿にしたっ!僕のこと馬鹿にしたぁっ!」
「ごめんごめん、俺のことを心配してくれるのか?それに何で俺が思ってる事が分かるんだ?」
不機嫌そうな顔でそっぽを向く姿がますます可愛い。
だが、そんな事を思っている自分の中でユリアーネを失った悲しみが多少なりとも和らいでいると気付いて驚いた。
俺はそんなにも薄情な奴なんだろうか?
ほんの少し誰かと話しただけで愛する人を失った悲しみが薄らいでいく。ユリアーネの事などこのまますぐに忘れ去ってしまうのだろうか?だとしたら最低な気がする。
ずっと悲しみを引きずったまま生きていくのが良いとは思わない。だがこんなにも簡単に気持ちが和らぐものなのだろうか?
これではまるで……まるでユリアーネを失った事が悲しいことではないみたいじゃないか。お気に入りの物を誰かに盗られた、そんなものなのか?俺はユリアーネにそんな思いしか持ってなかったのか?
「大丈夫よ、貴方はそんな人じゃないわ。キチンと彼女を必要とし、守り、愛してきた。僕は知っているよ?」
俺の腰に抱き付き、慰めるように言う女の子。怒ったり、拗ねたり、かと思いきや、どう考えても年上の俺に諭すように語りかける。不思議な子だ。
言われるがままに座れば、まだ膨らみのない胸に俺の顔を抱きしめ優しく髪を撫でてくれる。温かな彼女の温もりが心まで染み渡り、奥深くまで刻まれた傷を癒してくれるよう。
そんな彼女に縋るように背中へと手を回し、更なる温もりを求めてそっと抱きしめた。
「レイシュアは甘えん坊さんだね。こうして誰かが側に居ないとすぐに泣くんだから」
暫く彼女の優しさに甘え髪を撫でられていると、胸に滞っていた暗い気持ちが居なくなる──本当に不思議な少女だな。俺ってロリコンだったっけ?
「ロリコンとか言うなっ!」
「俺の心、詠めるのか?」
彼女の胸から頭を離し、黒い瞳を覗き込めば文句のつけようのない可愛い顔。大きくなったらきっと多くの男達を虜にするに違いない……出会った頃のユリアーネのように。
「僕のこと可愛いと思ってくれるんだね、嬉しいよ。でも、僕が誰なのかまだ分からないの?」
どういうことだ?俺は彼女に会ったのは初めてなはず。なのに彼女の言動はいったい……
「しょうがない人だなぁ。ずっと側に居たのに僕のこと感じてくれてなかったんだね、ちょっと悲しいよ。でも今はこうして会えるようになった。
これからは寂しくなったらいつでも来なよ。僕はずっとココに居る。レイシュアのすぐ側にいるよ。もちろん寂しくなくても会いに来てくれるよね?」
「ずっとここにって……ここは俺の夢の中じゃないのか?君は俺の心の中に住んでるのか?」
楽しそうに笑う彼女を不思議な気持ちで見つめた。俺は何か間違った事を言ったのだろうか?ここは夢の世界だと思ってたけど本当は違うのか?
「レイシュア、彼女の言ったこと覚えてる?僕も君の事が好きだ、大好きだよ。だからたまにで良い、ここに来て。僕に会いに来て。それまでは大人しく待ってる。
彼女の望み通りレイシュアの周りにいる他の人を愛してあげて。もう出会った人も、そうでない人もレイシュアの愛を求める人は沢山いるわ。
外に居る間は我慢してあげる。でもココに来たら僕の事だけを愛して。約束だからね?」
「ちょっと待てよ。ココに来たらってどうやって来るんだ?やり方が分からないよ。それに、いくらユリアーネの望みだからってそんなに簡単に他の人を愛する事なんて出来ないよ」
再び少女の胸に抱かれた。抵抗する気など全く起きず、されるがままに受け入れる。
彼女の胸はとても居心地が良い。
「貴方を愛する心を、想いを受け入れてあげればいいだけよ、簡単でしょ?そうすればすぐに貴方もその人達を愛するようになるわ。貴方は愛に寛容な人、誰の愛も拒絶出来ないのよ。
僕はまだ身体が成長しきっていないからもう少し……他の人で我慢しててね」
え?それって……つまり?成長したら抱いてくれって事?おませさんだな……。
「馬鹿っ!おませさんとか言うなっ。楽しみにしてるだからね!」
おいおい……大丈夫か?この子。あ、いかん心詠まれる。
「もう遅いわっ!」
ポカッと小さな拳で頭を殴られた。
「レイシュア、もう大丈夫みたいね。悲しい気持ちは治った?」
「ごめん、ありがとな。なぁ、名前ぐらい教えてくれよ」
ゆっくり俺から離れると顔を覗き込んで来る。
俺を写す真っ黒な瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚えるが、それは磨かれた黒曜石のようにキラキラとしていてとても綺麗だ。
屈託のない笑みを浮かべたかと思うと、人差し指を立てて自分の口に当てた。
「レイシュアが気付くまで内緒にしておく」
頬に添えられた温かな両手、この小さな手が潰れそうな俺の心を救ってくれたのだ。
「また会える時を楽しみにしてる。 いい?覚えておいて。僕は一番近くで君を見てる。レイシュア、またねっ」
その言葉を合図に薄らいでいく意識、だがその手の温もりだけはいつまでも暖かいと感じたままだった。
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