16.嬉しきふろく

「おはよう」


 目が醒めると俺の上に寝転がり見下ろしてくるモニカの笑顔があった。挨拶を告げれば唇が触れるだけのキスでお返しがくる。

 そのまま俺の胸に頬を付けて寝転び、機嫌良さげに足をパタパタとしている姿がとても愛おしく、その気持ちを少しでも伝えようと艶やかなアッシュグレーの髪を撫で続けた。


「私、ここが一番好き。お兄ちゃんの心臓の音を聞いてるとなんだか安心できるんだ」


 しばらくそのまま喋る事もなく、ただゆっくりと彼女を愛でる。

 だがフト思うことがあり、モニカごとゴロンと反転して両手に俺の手を重ね合わせて組み敷くと、今度は俺が上から見下ろした。


「俺はこの方が好きだな。さっきのほんわかした感じもいいけど、このモニカを征服してる感じ、モニカが俺の支配下にあると実感出来る感じが好きだよ」

「そんなことしなくても私はお兄ちゃんのモノよ、好きな時に好きな事をしていいんだよ?」


 それならばと手始めに口にキスをすると、そのまま耳や首筋にもキスの雨を降らせた。唇が触れる度に甘く切なげな可愛い声が漏れ聞こえて俺の心をくすぐる。だがそんなときに限って コンコンッ と扉をノックする音が聞こえてきて、せっかくのお楽しみを邪魔されてしまうのだ。


「レイ〜、モニカ〜、さっさと起きなさい〜。朝ご飯遅刻するわよぉ。ねぇ起きてる?ねぇってばぁ〜」


「ティナ、人の邪魔をすると自分の時もされるってこと分かっててやってるのか?」

「……ごめんなさい。でもそろそろ起きてよ?先行ってるから」


 溜息を一つ吐くとモニカにキスをした。


「あいつも悪気があってやってるんじゃないから許してやってくれよ、なっ?」

「そんなの分かってるわよ、心配しないで。何人も妻を持つと大変ですねぇ、旦那様っ……そろそろ起きる?」



「もう少しだけ」とモニカを堪能した後に着替えて食堂へと向かい席に着くとティナがバツの悪そうな顔でお出迎えされた。


「モニカ、さっきはごめんね」

「いいよいいよ、気にしないで」


 笑顔を向ければティナもいつまでも引きずってはいけないと思ったのか微笑み返してくる。

 二人が仲良くしてくれるのなら俺も安心出来る。思うところがそれぞれあるだろうが、徐々にでも馴染んでくれたならと願うばかりだ。


「それで、今日ここを出て何処へ向かうんだ?」


「一旦、家に帰ります。アルやリリィにも顔を見せなきゃいけないし、連絡はしたとはいえ師匠達も心配している事でしょう。それにエレナの事もある。

 その後はアリサを追って砂漠に向かいます。ティナはどうする?この家で待っていても……」


「冗談でしょ!?また私を置いていくつもりなの?怒るわよっ!誰が何と言おうと絶対に付いて行くからっ!!

 せっかく婚約したのに、一緒に居られるようになったのに離れ離れじゃ意味が無いじゃない!」


「分かった分かった、俺が悪かったよ。一応聞いた……」


「聞かなくていいわっ!」


 両手を組んで ツイッ と横を向き『怒ってます』アピールのティナの頬にキスをすると一瞬でデレっと表情が溶けた。単純で助かるけど、意思確認したくらいで怒らないでほしいものだな。


「そのアリサという魔族もレイ君の妻になるかも知れないのだな?魔族と言うものは今一信用できんのだが……こう言っては何だが本当に大丈夫なのかね?」


「俺も魔族という存在をそんなに知っている訳ではありません。けど、俺を気に入らないからと陥れた奴もいることですし、同じ人間だとしても信用ならない者も沢山います。

 魔族は魔族だからと言うだけで信用出来ないというのはおかしい。逆に考えてみてはどうでしょう。


 魔族という事を隠して人間社会に溶け込み普通に生活している奴等もいることはご存知ですよね?

 昨日まで同じ町の仲間だとして一緒に生活してきた者を、魔族だと分かった途端に信用する事が出来なくなるのですか?悲しいことに常識という潜入が彼らを爪弾きにする現実が多々あるようですが、実際のところそんな馬鹿なことはないはずだ。


 我々人間、魔族、獣人は同じ言葉を話せる存在です。俺とシュテーアですら分かり合えている。言葉で意思疎通出来る者同士が仲良くなれない筈がない。それぞれの思想は異なるかもしれないけどそれでも話せば分かり合えるはずだ。

 俺にそう認識させたのはアリサなのです。だから俺は彼女とも再び分かり合いたいのです」


 深く何かを考えている様子のランドーアさん、俺の考えを分かれとは言わないが否定されるようなおかしな考えではない筈だ。ただ今までの人間としての常識が邪魔をして賛同する事が難しいと言うだけの事だと思いたい。

 だがもちろん俺自身がそうであったように、一部の魔族がしたことに対する怒りが魔族という種族全体に対する怒りとして在ることも理解している。人間の全てが魔族を受け入れるのは難しくても、被害を受けていない者まで彼等を否定するのは止めて欲しいとは思うのだが、それもまた難しいことなのだろうな。




 朝食を終えた後はティナの準備待ちとなった。クロエさんが「もっと早く言うのです」とブツブツ言いながらあちらこちらと走り回るのを傍目に食堂で紅茶を飲んで待っていた。


「なぁ、コレットさん。準備ってそんなに持っていく物が沢山あるの?モニカの時もそんな感じだったっけ?」


 モニカはヒルヴォネンの屋敷を出るとき既に俺と旅に出るつもりでいたらしい。後から聞いて驚いたがこの娘の行動力には驚かされるばかりだ。


「そうですねぇ、服に靴に下着くらいでは無いですか?後はお金があれば何とでもなりますし、魔導車があるので食べ物もそんなに要りませんしね。あの桃色娘がトロいだけではありませんか?」


 珍しく人に対して棘のある言い方に違和感を感じていると、扉がバンっと開かれ怒りのオーラを纏いつつもいつもの眠たげな顔のクロエさんが入ってきた。


「聞こえたのです、コレット姐様。私はトロくないのです」


 すぐに立ち去り忙しそうに何処かに行ってしまったが、わざわざ苦情を言いにきたの?それにコレット姐様ってなに?


「私達は護衛メイドと呼ばれる存在です。私は知りませんでしたけど、あの娘は私と同じ時期に施設に居たらしいのですよ」

「施設?そんなのがあるんだ。やっぱりそれって大変なの?」

「大変……でしょうね。あの娘も同じだと思いますが、あの時のことは思い出したくありません」


 辛い過去、という事なのだろうか?それほどまでに過酷な環境で育つとこんなしっかりとしたメイドさんになるんだ。コレットさんも苦労してきたんだなぁとも思ったが、それ以上触れてはいけない話題のようだったのでそこで止めにした。


 クロエさんがバタバタしている中、ティナは優雅に紅茶を飲んでただ待っているだけだ。それが主従の関係なのだろうが少しくらい手伝っても良いんじゃね?とか思うのは庶民だからだろうか。


「お父様、アレ持って行っても良い?」

「アレってまさか、この間買ったばかりのエアロライダーの事か?」

「さっすがお父様、私の事をよく分かってるわね」

「持っていくのは構わないが、アレは燃費が悪いから大量に魔石が要るぞ?それに魔導車があるのなら必要ないんじゃないのか?」


「いいのいいの」と部屋を出て行くティナ。エアロライダーってなんだかカッコいい名前だけど何なんだ?


「二人乗りの魔導車みたいなものだよ。海に行ったのならウェーバーは乗らなかったかね?アレは水上専用なのだがエアロライダーは何処でも走れるのだ」



 まじか!?



 欲しいと思っていた物がティナと一緒に付いて来た!!思わず顔がニヤケているのを隣のモニカが頬を ツイツイ としてきた。


「お兄ちゃん、よかったね。アレ、気に入ってたんでしょ?」


「おっまたせーっ!」


 意気揚々と戻ってきたティナを両手を広げて抱き上げると、その場で クルクル と回って喜びの気持ちを最大限に表現した。

 不思議そうな顔をするもののソレ自体は嬉しかったようで、にこやかな表情で為すがままにされながらもティナも楽しそうにしていた。


「そうだ!」


 大事なことを思い出しティナを降ろすと鞄から小さな箱を取り出した。それを目にしたティナは『まさか』と両手で口を押さえると目を丸くして驚いている。いや、君が早くと催促したんだがな……。


 箱を開けば彼女が期待した銀色の指輪が布製の台座にピカピカの身体の半分を隠してお目見えの機会を伺っている。


 出来上がったばかりのお手製のミスリルの指輪は俺とモニカがしているのとお揃いのデザイン。

 欲しいかと聞けば首がもげやしないかという勢いで激しく頷くので、プロポーズのときはどうしようかなぁなどと考えつつもティナの前に跪いた。


「出会ってからずっと俺の事を想っていてくれてありがとう。俺もティナの事が気にはなっていたが貴族と庶民という壁があり踏み込む事が出来ずにいた。だが、時間はかかったけどようやくその気持ちに応えることが出来る立場となった。

 モニカという妻がありながら君まで妻にと望み、更に他の女性まで妻にと望んでいる欲深き俺だが、それでも君のことを幸せにすると誓う。


 だから、俺の生涯の伴侶となって欲しい。


 まだしばらく婚約と言う形だがこれが俺の気持ちだ、受け取ってくれるか?」


 薄紅色の瞳には今にも溢れそうな涙。声を出す事すら忘れたのか、無言のままに再び激しく頷き同意を示してくれる。


 左手を取り、狙いを定めた薬指。そこに指輪を通せば拍手が聞こえてきて驚いた。


「ティナおめでとうっ」


 モニカの言葉に我慢が出来なくなったのか、いっぱいまで貯められた涙はとうとう溢れ出してしまった。無駄だと分かりつつも止めどなく溢れる雫を指で拭うと立ち尽くすティナを優しく抱きしめる。

 堰を切ったように漏れ出す嗚咽、それほどまでに喜んでくれた彼女は皆の拍手に隠れるようにして用意が整うまでのしばらくの間、嬉し泣きを堪能していた。



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