16.けじめ

「ねぇお兄ちゃん、私の事……好き?」


 腕の中から見上げるモニカは可愛いという以外の表現が見当たらない。

 頬に手を当て顔を近付ければ、それに合わせて閉じられる瞳。俺を待つ彼女からは何の憂いも感じられず、ただひたすらに “幸せ” を訴える至福の表情を浮かべている。


「もちろんだよ」


 それ以外の音のない部屋に響く チュッ という口付けの音。散々深い口付けを交わしたというのに、唇が触れ合うだけの軽いキスが痺れるほどの快感をもたらす。


『幸せ』


 込み上げる愛しさは今という時間に安らぎを感じさせ、気が付けば、慌てて力を抜くほどにキツく抱きしめていた。


 何故だろう……そんなつもりはない。ないと思ってはいるのだが、知らず知らずにモニカをユリアーネにすり替えているのか?

 それだったらコレットさんを抱いたときは……彼女とのときはこんな感じはしなかった。


じゃあ、俺はモニカ事が好きだったのか?

それとも、今好きになったのか?

身体を重ねたから好きになった?



──好きとはいったい、なんなんだ?



「お兄ちゃん、大好きだよ」


 次々と沸き起こる疑問が頭を埋め尽くし、自分のとった行動にまで後悔の念が及びそうになる。

 だがそんなものはたった一言の魔法の言葉によりあっという間に掻き消されていく。


 今、俺の心の中にはモニカが居る、モニカの事を好きだと思う自分がいる。だったらそれでいいではないか?例えそれが今だけだったとしても、今この時はそれで良いのではなかろうか?


「俺もモニカの事が好きだよ」


 暖かい気持ちにさせる “好き” という言葉。安心と幸福感に満たされながら、それを与えてくれるモニカを腕に、幸せな夜を眠りについた。




「お兄ちゃん、買い物行こう!買い物っっ!」


 腕にへばり付くモニカと二人だけでの繁華街デート。今日、コレットさんは明日の出発の準備があるとかで二人きりだ。多分、気を遣って二人きりにしてくれたんだろうなとは鈍感と自覚のある俺でもいい加減分かるようになった。


「何を買うんだ?欲しい物でもあったの?」


 心の底からの愉しげな笑顔、含みのある笑みを浮かべて見上げる姿に一際大きく鼓動が脈打つ。可愛い仕草であることは間違いないのだが、それだけでないのは自分自身が一番よく分かっている……やはりモニカの事が好きになったらしい。


 君が居なくなってからまだ十日あまり、それなのにもう心を開いた違う相手が出来た……俺は、こんなにも軽い奴だったんだ。

 ユリアーネ、俺はこんなんでいいのか?これは君の願った俺の姿なのか?


「コレットにブレスレットあげたでしょ?私も欲しいの。ねぇお兄ちゃん、私にも買ってぇ〜。ねぇねぇ、駄目ぇ?」


 どうせ買うならと、昨日の露店ではなく街の中心部にある宝飾店へと向かった。透明なガラスケースの並ぶ高級なお店、その内を見回せばユリアーネと二人で行ったベルカイムの店を思い出す。

 眩しいばかりの笑顔で指に嵌まる指輪を光にかざすユリアーネ。そんな思い出が蘇り、モニカの姿と重なって見えてしまえば小さなトゲが刺さったような、微かだが、明確な痛みが胸を刺激する。


「お兄ちゃん、どうしたの?」


「ん?あぁ、ごめん、ちょっと考え事。モニカの綺麗な瞳が青だから青色の入った物が似合いそうだな、店の人に出してもらおう」


 黒いトレーに乗せられた三種類のブレスレット、どれもシンプルではあるが上品な印象がした。その中でモニカが選んだのは、七つ並んだ深い青色の石が、細い金のチェーンで繋げられた物だった。


「お兄ちゃんがしてるのと同じデザインのが良かったけど、メインストーンが六つのは無いんだって。七は幸せの数字らしいからこれにしたんだけど、この青い宝石も綺麗でしょ?ロイヤルブルーサファイアっていう希少なモノだって言ってたよ。とっても綺麗な青色だよね。どう?似合う?」


 俺がしてるやつ?アリサに貰ったブレスレットは四六時中着けていろと言われたので、あの時から一度も外していない。俺のは透明な石だけど、モニカにはやっぱり青色が似合うな。希少ってことは他には無いってことだ、モニカだけのブレスレット、いいんじゃないかな?



 心地の良い微風が吹き抜ける広い公園、要所要所に設けられたベンチに座り、ニヤケ顔を隠そうともしない嬉しそうなモニカの左手を取ると早速着けてやる。


「気に入った物があって良かったな」


「うんうん、お兄ちゃんありがと。一生の宝物にするよ。それで、そっちはお兄ちゃんが着けるの?」


 もう一つの箱に入れられていたのは銀で出来た細いチェーンのネックレス。簡素な箱から取り出すと「持ってて」と手渡し、まだ躊躇いがあったものの、モニカへの気持ちに気付いた時から思っていた事を実行に移すべく未だ左手の薬指に嵌る結婚指輪に触れた。

 あの夜、宿の一室でユリアーネにプロポーズし、お互いに指輪を嵌め合った。二ヶ月にも満たない短い結婚生活は、俺の人生で最高に幸せな日々だったよ。


「お兄ちゃん……」


 腫れ物を触るかのようにそっと触れた手のひらが頬を撫でる、自分でも気が付かぬ間に涙が流れ出ていたようだ。


「お兄ちゃん、無理しないで。もし私の事を気にしているのならそんなのいいから、まだソレは嵌めたままでいたら?お兄ちゃんの心から奥さんの事が薄れて、他に愛せる人が出来てからでもいいんじゃない?」


 心配そうに優しい言葉をかけてくれるモニカは本当良い子だな。けど、俺は決めたんだ。


 ユリアーネの事を忘れるなんて一生かかっても無理だろう。けど、いつ迄も引き摺り続けるのも良くないと頭では分かっている。今日は珍しく一緒に居ないが、身をもってソレを教えてくれようと手を差し伸べてくれた人もいる。

 あとは俺の勇気だけ。モニカに心惹かれた俺は既に新しい一歩を踏み出している。ならばもう一歩、勇気を持って踏み出そう。そうして一歩一歩歩いて行くのが人生……だろ?


 揺れ動く心を抑えながらゆっくりと指輪を外すと、モニカからネックレスを受け取り、指輪を通して首に着けた。

 胸に下がる結婚指輪だったモノ、存在を確かめるように摘むと陽の光を反射して内側に埋め込まれた青い宝石が キラリ と輝いた。ブルーダイヤ、残念ながらおまじないは効かなかったな。


 ぎゅっと握りしめて名残惜しい気持ちを落ち着かせる。大丈夫、こうしてずっと一緒に居る、ずっと……。


「ごめんごめん。落ち着いたよ。次は何しよう?俺は此処でこうしてるだけでも良いけど?」


 俺の腕を抱きしめ、肩に頭を預けているモニカに聞けば「じゃあ……」と魅惑的な膝を ポンポン と叩く。彼女の意図がすぐに分かり俺は柔らかな太腿の上に頭を乗せると多少の人通りなど無視して ゴロン と横になった。嬉しそうに微笑みながら俺を見下ろすモニカ、頭にある彼女の手がゆっくりと髪を撫でてくれる。


 好きだという気持ちが受け入れられ、幸せそうな顔をするモニカ。そのモニカの事を好きだと認識した俺。

 明日にはレピエーネを立つ、そうなれば次にモニカと会えるのもいつになるか分からない。だが今はそんなことなど頭から追い出して、たわいのない馬鹿な話しで盛り上がり、二人だけの時間を心行くまで楽しんだ。



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