15.二人の時間

「明後日の朝、王都に向けて出発する。着いた翌日をゆっくり過ごしたら、その翌る日に審問会だ。そのつもりでいてくれ」


 数日が過ぎた夕食の席でストライムさんがそう告げる……とうとう連絡が来たらしい。モニカともお別れかぁ、そう考えると急に寂しく感じる。


 冒険者の先輩として一緒に狩りをした。魔法の訓練もやったし、買い物に出かけたりもした。短い間だったがそれもあと一日で終わりを告げてしまう。

 なんだか楽しかったな。ユリアーネを失ったばかりだったのにモニカと過ごした時間は笑顔でいられた、本当に感謝だ。


 最後の一日は何をしよう?


 だがそれより、ストライムさんの言葉に少し引っかかりを覚えた。


「プリッツェレから王都までは馬車で八日かかるのではなかったですか?今から出ても間に合いませんよ?」


「ははははっ、そうだな。馬車なら間に合わない。だが我々のような地方の貴族は馬車ではなく魔導車を使うんだよ。王都までは一日で着くから心配には及ばない。

 その様子だと魔導車は乗った事がなさそうだね。魔導車は他の魔導具に比べて大量に魔石を消費するが、その分、移動する速度が馬車とは段違いに速い。だから盗賊や魔物に襲われるなんて事がないんだ。

 速くて安全、これほど良い乗り物は他にないよ」


 ま、魔導車だと!?カミーノ家で見せてもらうと言っていたけど、すっかり忘れてたあの魔導車に乗れる!


 明後日乗れる、明後日乗れる、明後日乗れる!


 俯くモニカとは真逆に心が躍り出した俺の顔は、満面の笑みで溢れ返っていた。




 お風呂を出た後の日課と化していた白結氣のお手入れ。ソファーに座り淡い光を放つ刀身を眺めるだけなのだが、彼女との思い出に浸る時間は安らぎを得るための大切な儀式だった。


 不意に訪れるノック音、至福の時の終わりを告げる鐘が静かな部屋にこだまする──今日も俺の心は洗い流されるのか……そろそろ洗濯しすぎて真っ白になりはしないだろうか?


 あれ以来、夜毎チョコレート擬きを口にし、心の洗濯をされ続けた俺は夜が来るのが正直怖かった。コレットさん特製のあの薬が心の鍵をいとも簡単に外してしまうのだ。


 解き放たれた内なる俺は “手近な雌” であるコレットさんを貪り尽くすかの如く求めて続けて朝を迎える。

 満足を訴える身体に残るのは疲労感と後悔の念。いかに心で『好き合ってなければ身体を重ねては駄目』と律していても、赴くままに肉を喰らう自分は “醜悪な雄” なのだと教え込まれているかのよう。


 だが此処を立てばそんな儀式からも解放されると思いホッとする一方で、この先コレットさん無しでいられるのかと心配にもなる。

 既に俺の身体はアレが当たり前だと認識してはいないだろか?そんな状態でコレットさんと会えなくなれば、いずれ欲望が爆発して誰かに襲いかかりはしないだろうか?

 そんな不安が頭を過ぎる。


「どうぞ」


 いつものように答えると、いつのものように少しだけ開く扉。だがそこに現れたのは、いつもの顔ではなかった。


「レイさん、少し良い?」


 聞いておいて返事を待たなかった……いや、人目を気にして待てなかったのだろう。

 いつかの時と同じく半透明のゆったりとしたワンピース姿。それを押し上げる程良い大きさの双丘は薄桃の布に包まれており、女性らしいくびれの下にはフリルをあしらった可愛らしい下着が透けて見えている。


 少しだけ灯りのある薄暗い部屋の中、閉めた扉にもたれ掛かり恥ずかしげな表情で モジモジ として視線すら合わせようとしない。

 扇情的かつ、いじらしい姿に釘付けになっていれば、自分の中で目を覚ます欲望に気が付き慌てて立ち上がった。


「モニカ、またそんな格好で。駄目だって言ったろ?ほら、これ着て」


 予備においてあったバスローブを羽織らせると、動き始めた衝動も幾分マシになる。しかし、わざわざ訪ねて来た手前、無下に追い返すわけにもいかず、一先ず二人でソファーに座った。


「それで、どうしたの?何が相談でもあった?」


 部屋に入ってからずっと床に視線を向けたままの彼女に出来る限り優しく問いかけるも、何かを思い悩んだように沈黙を守り続けるモニカ。

 言いにくい事か?まさか、また抱いて欲しいとか言わないよ……な?


「レイさんは私の事をどう思ってますか?」


 ようやく口を開いたかと思えば予想された方向の言葉が飛び出し溜息を吐きたくなる。向けられる青い瞳には強い意志を感じ、腹を括った決意のようなモノさえ見え隠れしていた。


 真剣に想ってくれるのは嬉しいが、俺は……。


「モニカは俺にとって可愛い妹かな。それじゃ駄目か?」


「じゃあ “お兄ちゃん” って、呼んで良い?」


 甘えるように腕に抱き付けば上目遣いに見上げるのは至極当然。上腕に押し付けられる柔らかな感触、引き寄せられる形となった手のひらは布を纏わない太ももへ着地した。それを認識した瞬間に手を退こうとするものの、事もあろうに、モニカが身を寄せたことで股の間に滑り込む事態に陥ってしまう。


「!!!!!!」


 計算なのか偶然なのかは理解不能。それでも、秘部のすぐ間近に手が侵入しているのに気付かないわけがない。とびきりの美少女が下着姿と言っても過言ではない格好でそんなことをしてこれば、その先を期待する頭がピンク色に染まるのもまた当然の摂理。


「お兄ぃちゃんっ。んふふっ」


 甘えた声を出すモニカは、俺の中で鳴り響く警鐘になど気付かない。


「な、なぁモニカ……明日で最後だろ?明日は何しよう?何か思い出になるような事が出来たらいいなと思うんだけど、どうだ?」


 ん〜っと、桃色の唇に指を当てた可愛らしい仕草。強引な話題転換も功を成さず、抑えていたはずの “欲望” という名の魔物がその首を持ち上げた。


──これは不味い


 そう思いながらも凄い速さで侵食されていく心。理性という防御機構がすぐさま対処へと向かうものの破竹の勢いは衰えることを知らず、心境を語るかの如く鼓動を高鳴らせる。

 それに伴い酸素を欲し、荒くなりかける呼吸。バレないようにと深く息を吐き出すが、現状が現状なだけに状況が改善される見込みは極めて薄い。



──胸が!太腿が! 胸がっ!太腿がっ! 



 そんな事になど気付く素振りを見せないモニカは満面の笑顔を浮かべる……しかし、屈託のない笑みであるにも関わらず嫌な予感は気のせいに留まらなかった。


「お兄ちゃんと一緒に過ごせればそれでいいわ。それよりもね、お兄ちゃん。今の方が重要だわ」


「今?」


「そう、今。 お兄ちゃん、お願いがあるの……私を抱いて?

 お兄ちゃんの心が未だに亡くなった奥さんの所にあるのは分かってる。もちろん私の事を好きになってとも言わない。けど、どうしてもお兄ちゃんとの繋がりが欲しいの。だって、明日でお別れなんでしょう?もう会えないかもしれないんでしょう?私、そんなの嫌なの。

 お兄ちゃんも思い出が欲しいって言ったじゃない?私も思い出が欲しい。たとえ離れてしまってもお兄ちゃんの事を忘れないように思い出になる事をして欲しいの……駄目ですか?」


 青い青い瞳を潤ませた涙が頬を伝い流れ落ちて行く……そんなにも俺の事を想ってくれるのか。

 彼女の想いを受けて急速に退いていく情欲。しかし、少しばかり冷静さを取り戻した頭で考えてみるものの、その想いに応えてやる自信が俺には無い。


 大きく一息吐いて頭と心をリセットする。


『お嫁さんが居ても好きなものは好き』


 あの時は心に余裕がなく、あしらう事しか出来なかった彼女の気持ち……だが今はどうだ?

 共に食事し、狩りもし、買い物だってした。短い期間ではあれど一緒に過ごした思い出が脳裏に浮かぶ。そのときの俺は亡くしたばかりのユリアーネの事など忘れてモニカとの時間を楽しんでいた。


 知らぬ間に緩んでいた心、ユリアーネしか入れないと決めていたはずなのに片隅の色が変わっていた。

 そこに入り込んだのは微笑みを浮かべるモニカ。貴族なのに飾らず、ありのままの姿でぶつかってくる彼女は、よく笑い、時に怒り、どこかユリアーネと似ていた。しかし彼女は彼女、モニカ・ヒルヴォネンなのだ。


 ユリアーネの身代わりとしてなのかは自分自身でも分からない。しかし、俺の心の中で確かに息づくモニカを認識してしまえば、涙を流してまで懇願する彼女の想いが胸を締め付ける。



──俺はモニカが好き……なのか?



 半信半疑な気持ちではある。理性は駄目だと告げている。

 だがそれでも “雌” ではなく “モニカ” を求め始めた心に従い小さな身体を抱き寄せると、膝の上に横たわる形となったモニカの瞳を覗き込んだ。


「なぁモニカ、君の好意は凄く嬉しいよ。けどさ、もしかしたら本当にもう会えないかも知れない。そんな奴に抱かれていいのか?本当にそれで君は幸せなのか?

 君の言うように俺の心の中はまだ嫁さんの事でいっぱいだ。それを分かっているのにそんな奴でいいのか?」


「お兄ちゃん、怖いの?本当は奥さんの事を裏切るようで、自分の心が変わってしまうようで怖いんでしょ?そんなに愛してもらえた奥さんは幸せ者ね、羨ましい。

 でも、もう居なくなってしまったんでしょ?じゃあ、お兄ちゃんの心はどうなるの?ずっとそのまま亡くなった奥さんの事を想って一人で生きていくの?そんなの寂しすぎるよ。

 ねぇお兄ちゃん、本当は私、お兄ちゃんのお嫁さんになりたい。でもそれが無理なら一度だけでもいい、私の願いを叶えて。そうしたら、それで……我慢するから、ね?」


 首に回された腕は俺そのものが捕らえられたかのようだった。だが感じるのは嫌悪や拒絶ではなく、込み上げてくる喜悦。傾きかけた心はどんどん勢いを増し、彼女を求める訴えに従い唇を重ねた。


「後悔しても知らないぞ?」

「後悔なんてしないもんっ。お兄ちゃんとの思い出を私にください」


 自分自身への問いかけでもあった言葉に即答するモニカ。それを聞いてお姫様抱っこのまま立ち上がると『モニカを手放せるだろうか』と疑問を感じつつベッドへと向かった。



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