30.王女
「一晩貸して!」
その言葉を残してレイは拉致された。
意味が分からなかった。人って貸し借りするものだったの?私が常識が無いだけなのかな?
いいえ、流石にそんな筈はない。奴隷ならまだしも彼はそんな身分ではないのだ。
「お、お兄ちゃん……」
ポカンとするモニカの横顔が寂しそうだったのは今夜は一緒に居られないからなのだろう。会ってたった半日の女……じゃないか、人魚に連れ去られたというのに不安そうじゃないところが彼女の凄い所ではあるわね。
知らない人に彼氏、もとい婚約者を取られた。そんな感覚はあの娘には無いのかと不安に思えてくる。
「カカさま、帰りましょう。アレは一晩と言いました。心配されずともトトさまは明日の朝にでもお戻りになるでしょう。
たくさん遊んだのでお腹が空いてしまいました。ご飯にしましょう」
呆然とする大人達を尻目に最年少の雪が一人冷静な言葉で皆を現実に引き戻す。
「せっかくの水着でしたのに……お楽しみはまた今度になってしまいましたね」
もう一人おかしなのが居たみたい。
コレットはモニカのメイドの筈なのに、その婚約者であるレイと深い仲らしい。それを許しているモニカもモニカだがレイの頭は一体どうなっているのかと不思議に思えてならない。
この分ならきっとティナとも上手くやっていくんじゃないかとも思えるが、それが彼女の本心かどうかは私には分からない。本当はレイに合わせて自分の心を押し殺しているのではないか、そう思えてならない事もあって二人に無理矢理付いてきた。
──嘘、そんなの嘘
ただの言い訳なのは自分自身でよく分かっている。本当はただ彼と一緒に居たかっただけ。モニカの婚約者、ティナの想い人……私の初恋の人。
「サラ?帰ろう?」
彼が消えた赤く染まる海を眺めてボーッとしていた私をモニカが心配そうに覗き込んでいた。
「モニカは心配じゃないの?レイは連れ去られたのよ?」
「心配だよ?けどフラウさんも一晩と言ったし、お兄ちゃんならきっと帰って来てくれるわ。私はお兄ちゃんを信じて待つだけよ」
「貴女はそれでいいの?不満は無いの?」
「不満は……今晩一人で寂しいくらいかな?でも雪ちゃんと一緒だから大丈夫よ。雪ちゃんお腹空いたって言うからご飯食べに行こう?」
ほらご覧なさい。絶対に無理してるじゃないの。私はそんなの我慢出来そうにない。自分の好きな人には何時も一緒に居て欲しい……私だけを見て欲しい。
私とは違う世界観を持つレイ、やっぱり彼の事は諦めるしかないのだろうな。
「今日は何食べる?またお刺身?」
私と雪の手を取り歩き出すモニカ。
モニカは心許せる数少ない親友の一人、私が横槍を入れる事でこれ以上彼女を悲しませたくはない。
「また涙流したいの?私はここのパエリアが気に入ったの、今夜もあれが食べたいわ」
「あら、他にも美味しいものは沢山ありますよ。またみんなで取り分けて食べますか?」
「そうよ、もっと色んなの食べて行ってよ。どうせタダなんだしっ」
ランさんとリンさんも隣を歩き一緒にご飯を食べる事を約束する。食事は大人数の方が楽しく食べられる、王宮では一人の食事が多かった私は身に染みてそれが分かっていた。
「あんなに食べたのにまだ他の料理もあるのですか?ここのシェフは凄いのですね」
双子が得意げに説明してくれるが名前だけ言われてもチンプンカンプンだ。それは出てきてのお楽しみにして一先ず着替えをしに部屋へ行く事にし「また後で」と二人と別れた。
▲▼▲▼
月明かりの下、広いベランダの椅子に寝転び星を眺めながら魔法の練習をしていた。
レイが「毎日やれ」と言うので、その日以来欠かさずやり続けている。
“魔法は試行回数と使用時間”
彼の先生の言葉らしく彼自身も実践している事だ。
夜空に伸ばした掌、その指先に小さな赤い火が一つ灯る。それを消すと今度は二つの赤い火が同時に灯った。順番に数を増やして行くと指先全部に火が灯る。
小さくて綺麗な炎。だいぶ扱いにも慣れたけど、それでもモニカには到底敵わない。日毎に上達しているのではないかと思わせるぐらい彼女の魔法は凄い速さで上手くなる。それに比べて私は……。
そこそこ魔法は得意だった。魔法を教えてくれた宮廷魔術師にも褒められる事が多かったので得意げになっていたんだろうな。でも実際は役に立つどころかただの足手まとい。それでも文句も言わずに魔法を教えてくれ、実践の場として暖かく見守られながらの魔物退治までさせてくれる。
盗賊団の時だって本当は私なんか居ない方がもっと楽に戦えた筈だ。そうすればモニカも怪我などしなくて済んだのかも知れない。
私が居なければ馬車旅の夜もモニカとレイとで幸せな時間を過ごせたのだろう。自分が必要のない、邪魔な人間だと思えてくると涙が頬を濡らし始めた。
「私って、只のお邪魔虫ね……」
「そんなことないでしょ?」
気付かぬ内にモニカが近くに立っていて寝転ぶ私を見下ろしていた。彼女は私の横に腰掛けると折り曲げた指で涙を拭ってくれる。
「また馬鹿な事考えてたの?サラはサラでしょ?サラのしたいようにすればいいじゃない。それを止める権利なんて誰にもないわよ。お兄ちゃんの……レイシュアの事、好きなんでしょ?」
ジワリとまた涙が溢れてくる。なんでこの娘はこうなの?なんで自分の事より私の心配をしているの?自分だって今あの人が居なくて不安な筈なのに、どうして自分から他の女を受け入れるような事をしようとするの?
「サラ、前も言ったけど私は大丈夫だから。お兄ちゃんは私の事をちゃんと好きでいてくれる。たとえ他の人とエッチしても、他の人の事を好きになっても、それでもちゃんと私の事を好きでいてくれる。だから私もお兄ちゃんの事を信じられるし好きでいられるんだよ。
サラがお兄ちゃんの事好きなの、私は嬉しいよ?だってそれって想いが共有出来るって事でしょ?友達が同じ人の事を同じ想いで見てくれる、素敵な事だと思うけどなぁ」
「私には……分からないわ。私は好きな人を独占したいもの」
溜息を漏らすように吐き出された息。私に向けられた微笑みはまるで聞き分けのない幼児に向けるようなモノだったが、彼女は一体何を考えているのだろう?私はそんなに可笑しな事を言ったの?いいえ、それが一般的な考えのはずよ。だから決まり事がある訳でもないのに一夫一妻が当たり前となっている。
「私もそう思うよ?けどね、それは無理な話でしょ?そんな事をしようとすれば私はお兄ちゃんを部屋に閉じ込めて一歩も外に出さないわ。それじゃあお兄ちゃんが可愛そう。
だったら私と一緒にいる時にどうしたら私の事を気にしてくれるか考えるしかない。二人だけの時間がくればその時は私が独占し、されるのよ。身も心も……ね?」
モニカの言う事も分からなくはないけど、それでもその人の心を出来る限り自分だけのものにしたいと思うのが普通なのではないかと思う。
普通……普通ってなんだろう?何故私は皆と同じを求めているのだろう?他の人と同じでなければならない理由など無いはずなのに他人と比べたがる。みんながそうしてるから、みんながやってるから……。
──みんなって……だれ?
私は私なのに、可笑しいよね。
「アレクシス王子にも言われたよね?サラ、自分に素直になって」
「おやすみ」と去って行くモニカの後ろ姿を黙って見つめていると、モニカは部屋に戻り再び一人になった。
見上げれば数えきれない程の無数の星達。星もそれぞれ個性があって輝きが一つ一つ違うらしい。まるで人間と同じね。
力強く光輝く星の周りには、光が弱くて見えないだけで無数の星が存在している。私はきっとその暗い星ね。モニカや、あの人みたいに輝ける日が来るのかしら?
「私……王女様なんだぞ?」
呟くとまた一筋の涙が頬を伝った。慌てて手で拭い椅子から立ち上がると、今日はもう寝ようと決めて部屋へと戻った。
▲▼▲▼
すっかり仲良くなった双子を混じえての朝食、賑やかに団欒していた私達の元に慌てた様子の双子の父親であるロンさんが訪ねてきた。その後ろには二人のおじさんが一緒に入って来たのだが、その一人は身なりからして貴族だ。一日の始まりの食事の最中だというのに部外者に土足で踏み込まれて気持ちがささくれ立つ。
「食事中すまない……レイ君は不在かい?」
モニカに話しかけるロンさんがチラチラと私の方を見ている事に気が付かない訳はない。
あぁこれは、と思ったら案の定だった。
「貴女様はサラ王女殿下であらせられますか?」
予想と一字一句ぴったりの言葉には溜息しかでなかった。
王宮を抜け出してからというものレイの配慮もあり、身分を感じさせない自由な生活が送れていた。王女だと知れると必ず気を遣われる、そういう身分なのだとは理解してはいるが、それでは気軽に話をする事も出来なくなってしまう。
現に今もロンさんは勿論、ランもリンも驚き、引いてしまっている感じなのだ。さっきまで気さくに話してくれていたが、これからはそうはいかなくなるだろう。そう考えると寂しさが込み上げてくる。
身分なんて要らない。王女なんてなりたくてなったわけじゃない……。
「そうですが何かご用ですか?ハルフラス・ドレアミー伯爵」
驚いた様子を見せる背後の貴族、ドレアミー伯爵とは王宮のパーティーで一度顔を合わせたことがある。この町の領主をしていたことは忘れていたが顔を見た時に思い出した。一度遊びに来い、その時はたしかそんな社交辞令をもらった気がする。
「私の事を覚えていて頂けたとは恐縮です。王女殿下にこのような処にご滞在いただくのは領主として如何なものかと思いまして、是非我が屋敷に来ていただこうと参上仕りました。
我が屋敷にも静かなプライベートビーチがございます。此処よりも景色も良く警備の「結構です!」……」
自信満々に自分の屋敷の自慢話を始めたところで言葉を遮られ唖然と固まるドレアミー伯爵。せっかく “王女” から解放されてこんな素敵な宿に居るのに、何故わざわざ窮屈な貴族の屋敷になど行かなくてはならないのか。
さも私の為を思って、と言って来るがそうではないのは分かりきっている。行けばまず間違いなく社交の場が設けられ、ここぞとばかりに呼び集めたお友達の貴族やお金持ちの商人などの相手をする事になるだろう。結局は伯爵自身の為に私を利用したいだけなのだ。
──私がそれを望むとでも思っているのだろうか?
勿論、貴族の中にはちやほやされるのを望み、そういう場で下の者達との繋がりを得て自分の力を増していく者もいるのは知っている。
華やかな社交界、美味しい料理、普通からしたら魅力的なのだろうけれど、私はそこから望んで離れて今やっと肩の力が抜ける場所に辿り着いたのだ。
そういう “おもてなし” を望むのであれば最初から “王女です” と明かしているとは考えないのだろうか……。
「し、しかしですね、王女殿下……」
慌ててフォローし出すロンさん。今しがた王女だと知った筈なのに機転が利くのは商人という職業柄なのかと感心するけど、私も主張を変える気はさらさらない。
「ロンさん、ご好意で泊めて頂いているとはいえ、私達がお世話になっているお部屋はプライベートを保証してくださるのではなかったのかしら?保証する立場の貴方が率先して秘密をバラしてどうするのですか?ロビーでならまだしも、こんな場所にまで他人を引き込むなんてどういうおつもり?」
「申し訳ありません、王女殿下。私はこの町のギルドマスターをしておりますウィルバーと申します。ドレアミー伯爵にこの事を話したのは私なのです。ロンに無理矢理案内させたのも私です。どうかロンを責めないでやっていただきたい」
ロンさんと似たり寄ったりの丸々とした髭中年が申し訳無さそうに謝罪してくる。けど、そんな茶番はどうだっていい。誰がどうこうではなく身分を明かされたのが問題なのだ。それすら分かってくれない男達にイライラが募って行く。
「貴方方は私をどうしたいのですか?私はここが気に入っています。伯爵、貴方の屋敷には行きません。お引き取りください」
「し、しかし……」
「あ、いたいた。ただいま戻りまし……た?」
尚も引き下がらない男達にイライラが爆発しそうになったとき、無遠慮に開かれた扉から遠慮がちな態度で一人の男が顔を覗かせる。
その声を聞いただけでイライラしていた事など忘れて顔を見られた喜びに心が華やいだというのに、その人と言ったら伴って入ってきた水色髪の女と仲良さげに腕を組んでいた。
気が付かぬままに細まった自分の目、昨晩の二人の様子が意図せず想像されて一瞬で気分が台無しになると、思わず溜息が漏れ出ていた。
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