47.理想の二人
「アンタ!部屋に何を置いてるの!?」
扉を開けて一番に目に入ったバスタブを指差し、目を見開いて驚きを露わにする。まぁ俺の部屋だけの特別な物だし驚いてくれて何よりだが、部屋の入り口で立ち止まるのはどうかと思うよ?
「リリィは風呂が嫌いだったっけ?」
そんなわけないのを知りつつも聞いてみれば、ちょっとだけ ムッ として「びっくりしただけよ!」と言い放ち、言葉や態度とは裏腹に一目散にバスタブを見に向かう。
「なかなかの一品だろ?我ながら良い買い物をしたと思うんだよねぇ」
「そ、そうね……お湯、入れる?」
まだお湯を張っていないバスタブをまじまじと見つめていたリリィが振り返ると、何を想像していたのか知らないが若干顔を赤らめていた。
返事をしようと口を開きかければ部屋の扉を叩く音。皆はここにリリィが居ることを知ってるので余程のことが無ければ誰も来ない筈だけどと思っていれば、扉の向こうから声がかけられる。
「レイ、少し話がある。今、良いか?」
開けた扉の向こうには酒とコップをこれ見よがしに見せてくる師匠の姿。昼間の剣術稽古の時の厳しい顔ではなく、普段ルミアと共にいるときのような穏やかな笑顔。
話が何なのか気になったが取り敢えず入ってもらうことにした。
「なんじゃ、リリィまでおるではないか。というかお主、何を部屋に持ち込んでおるんじゃ?」
重ねて言うがそんなに広くない部屋、そこに目立つものがあれば視線が向かうのは至極当然。
「良いだろ?あと二つばかりあるんだけど、師匠達の部屋にも置く?」
「……明日にでも頼むとしよう」
「りょーかいっ、それより話しってなんだよ?」
「うむ……少し、な。じゃが、邪魔をしたなら出直すが?」
「いや、大丈夫だよ。なぁ?」
椅子を勧めて座ってもらうと、小さなテーブルを囲んで俺とリリィも座る。
すると師匠は持ってきた “お酒” を小さなコップに注ぎ始めた。
「私こそ邪魔なら部屋に戻るけど?」
「いや、丁度良いからお主も聞いておいてくれるかの。
ほれ、飲んでみると良い。ジュースのような酒も良いが、本当に美味い酒とはこういうものだぞ?」
ルミアのように何処からともなくもう一つコップを取り出すとそれにも注ぎ入れ、リリィに向かい ズイッ と突き出す。師匠にしては珍しく推しの強い進め方だなとは思ったが、もしかしたらそれほど飲んで欲しかったのかもしれない。
「二人の幸せにっ!」
師匠の掲げたコップに俺達も合わせると、口を付けて一口飲んでみる。少し味の付いた水みたいな サラリ とした口当たりで、飲み込むと強めのアルコールが喉を焼く感じと、原材料である米の匂いなのだろうか?甘いようでいて柔らかな不思議な香りが鼻から抜けていく。
これは酒は酒でも “お酒” と言うややこしい名前の酒で、なんでも米から作られているらしく、極一部の地域でしか作られていない希少な物らしい。数が少ないわりには意外と人気が高いらしく、大きめの町で探せば必ず何処かで見つかるという隠れた名品なんだそうだ。
師匠が好きなのを知っていたのでお土産で何度か買ってきたけど、自分で飲むのは初めてのこと。普段……と言ってもギルドに出向いた時くらいしか飲んでいなかったが、普段飲みのエールと比べてアルコールが格段に高いのですぐに酔っ払いそう。でも俺もこの〈お酒〉が美味しいと感じてすぐに気に入った。
「これは美味い、たまにはこういう高い酒も良いな」
そう、作られる場所が少なければ作られる量にも限りがあるわけで、エールより高いワインと比べても更に高く、酒瓶一本で金貨何枚からという結構な値段がするのだ。
だがまぁ、そこそこお金持ちになった今となっては特に気になるような値段ではないのだが【高いもの = おいそれと食べたり飲んだりしてはいけないモノ】と言う田舎者の縛りが未だに俺の中にあるので、多分、滅多に飲むことはないんだろうな。
「ちょっと私にはキツイかな、でも美味しいのは分かるわ。そうね、たまにならいいかもね」
「そうかそうか、その味が分かるのなら一人前じゃよ。フォッフォッフォッ」
満足そうな顔で クイッ とコップの中身を飲み干し、次を注ぎ入れると再び口を付ける。
「先に聞くがの、ルミアの事はどう思っておるんじゃ?」
師匠が何を聞きたいのか理解出来ず、どう答えたらいいのか分からなかった。でも師匠の顔は、にこやかな表情ではあるが真剣味を感じ、冗談混じりに軽く答えては駄目なのだと知り思いを巡らせた。
「私にとってルミアはお姉ちゃんかな?ユリ姉もお姉ちゃんだったけど、どっちかっていえば友達に近いものがあったわね。
でもルミアは長女って感じで、少し年上のしっかりした頼れるお姉ちゃんって所かな」
「そうだな、そんな感じだよなぁ。俺としては姉として感じる中に母親にも似たものが感じられるな。よく弄られるけどそれもあの人なりのコミュニケーションっぽいし、好きか嫌いかで聞かれれば当然好きだぜ?」
俺達の答えに満足そうに深々と頷きながら酒を口に運ぶ師匠……結局何が聞きたかったんだ?
「まず、二人には謝らねばならぬ。
六十五年前の三国戦争、儂は冒険者としてサルグレッド王国軍と共にお主達の故郷であるスピサ王国、そしてルイスハイデ王国へと攻め入り、大勢の兵士を正義の名の下に葬り去った。無論、当時はそれが正しい事だと信じておったのだがの。
スピサを打ち負かし、ルイスハイデを滅ぼした後、共に戦った冒険者達とルイスハイデ近郊の町で勝利の宴を楽しんでいるときにワシはルミアと出会った。
見た目はあの通り美しい娘だが女と言うにはちと若過ぎる容姿じゃ。当時は美しい女とあれば見境が無かった儂じゃったが、流石に若すぎるルミアには躊躇いを感じたのをよく覚えておるよ。
戦争の終わりに馬鹿騒ぎをする戦友達に紛れ、勝利の宴の席なのに浮かない顔でその様子を眺めて一人で酒を飲むルミアの姿が気になって見ておると不意に目が合ったのじゃ。
数多の美しい女を欲しいままにしてきた儂じゃったが、向けられたままに止まった濃紫の瞳から目を逸らすことが出来なんだ。今思えば一目惚れと言うヤツじゃな。
見れば見るほどに興味をそそられ、女に対して我慢というものを知らなかった儂は吸い寄せられるようにルミアの隣に座ると、何も喋ることなく二人でしばらく見つめ合った。
長い沈黙の末に発した言葉は「来い」の一言。ルミアの答えを待つ事もなく小さな手を取り酒場を出ると、そのまま宿に連れ込んだよ。
その後、三日じゃ……三日もの間、部屋から一歩も出ることなく二人だけの時間を過ごした。
その時ルミアから聞いた話は衝撃的じゃったよ。
ルミアが魔族だと言う事実と、三国戦争の裏では魔族が糸を引いていた事。ルミアの生きてきた歴史と目的を知り、普通なら受け入れがたい事実だった筈じゃが何故か彼女の言葉はなんの抵抗も無しに儂の中に染み渡り『そうなのか』とあっさり納得してしまった。
サルグレッド領に戻った儂らは、ルミアの作ったフォルテア村と、比較的大きかったベルカイムの町に程近いこの場所に家を建てて二人きりの生活を始めた。
儂にとってココでの生活は何物にも変えがたい天国のような暮らし。それまで人を愛する事など知らなかった儂が一目で心奪われたルミアと誰にも邪魔される事なく一緒に居られる、その気持ちは今のお主達になら分かるじゃろ?
そして幸せな時は早馬のように駆けて行き、気が付けば早六十五年も経っておる。
ルミアの待ち望んだお主達は現れたが、その代わりに儂は老いた。
生を受けてから八十三年、人間という種族からすれば相当長生きした方じゃろう。それも偏にルミアの力だったのやもかも知れぬな。
じゃが、いい加減、儂も終わりの時を考えるようになった。
そこでじゃ、レイ。お主にルミアを託したい。
このまま鍛錬を続ければ、近い将来、お主は儂と肩を並べるほどの力を持つ事じゃろう。
リリィもお主と共に生きると言うのなら益々安心じゃ。
儂の最期の頼み、聴いてはくれぬか?」
優しくも強い眼差しを俺へと向け、自分の最期の頼みとか迷い事を言う師匠。
今日の昼間も散々俺をイジメ倒し、今もこうして元気に酒を呑む人から “儂が死んだら” とか言われても今一つピンと来ないのは仕方がないだろう。
けど、その想いまで分からないわけではない。
自分より遥かに寿命の長いルミアの今後を心配し、彼女が心許せる俺達に自分の代わりを頼みたい。不思議な感じはするものの、師匠にわざわざ言われなくともルミアと共に生きて行くだろう。
「俺は師匠の事もルミアの事も家族だと思ってる。だから師匠が心配しなくてもルミアとは一緒に居るさ。
でも、まだまだ元気な癖になんで今そんな事を言いに来たんだ?縁起でも無いから、そう言うのは老衰で倒れてからにしてくれよ」
「そうね、その通りだわ」
「フォッフォッフォッ」
自分の心配事が解消されたからなのか、突然声を高らかに笑い始める師匠。その顔はとても穏やかで、既に思い残す事が無いような顔をしている……まさか、気が緩んでぽっくり逝ったりしないだろうな?
「巷では終活と言うものが流行り始めとるらしいじゃないか、死ぬ前に身辺整理をしておくのだという話じゃ、知らぬのか?
儂はまだまだルミアが抱き足りぬ、死ぬつもりは毛頭ないぞ?
お主達も儂等のように仲良く、幸せで在れ。
ルミアの事、くれぐれも頼んだぞ」
言いたい事が終わったからなのか、俺達の邪魔をしたのに気を遣ったのか知らないが、「フォッフォッフォッ」といつもの笑いを残して部屋を出て行った師匠。
終活って、それ、王都に居る貴族のジジイ共の話だろ?なんでそんな事を引きこもりの師匠が知ってて真似しようとしてるんだよ。
「ねぇ、レイ。私の事好き?」
隣に座るリリィが俺を見つめ、唐突にそんな事を聞いてくる。何故今、そんな事を聞くのか分からなかったが俺の答えなど決まっている。
「ああ、勿論、大好きだよ」
「良かった。私ね、師匠とルミアって憧れだったんだ。
村よりも人気の無いこんな所って最初は思ったけど、二人を見てるとこういう暮らしも良いなって思えてきた。愛する人と二人だけの空間、素敵じゃない?
まぁ誰かさんの場合は “二人きり” とはいかないみたいだけど、私達も師匠達みたいにずっと仲良く暮らせるようにしないと、ね。
取り敢えず……お風呂入る?」
可愛らしく小首を傾げてはにかむ顔は、夢の中で俺達が初めて結ばれた後に見せた笑顔のように穏やかであり、幸せが満ちている。
リリィの頬に手を当てると唇を合わせ「そうするか」と返事をしてからお湯を入れる為に空のバスタブへと向かった。
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