10.生きるために!
立ち上がったジーニアスは腰に下げてたショートソードを抜くと恐怖を煽るように空いている反対の掌に叩きつける。ペシッペシッと音を立てながらのゆっくりとした足取り。
自由になった事を悟られないように腕を後ろにしたままアルに身を寄せロープを切り、目配せをしてきたリリィのロープも急いで切った。これで全員動けるが、相手は武器を持った大人だ……どうする?
「あのぉ、おじさん」
「……なんだ?」
「縛られた所がすごく痛いの。少しだけ緩めてもらえませんか?」
立ち止まり、眉間に皺を寄せたまま顎髭に手を這わすジーニアス。どうなるかと生唾を飲み、成り行きを見守る。
少し考えた末、奴はあっさりと手に持つショートソードを鞘にしまった。
「そうか、そりゃ悪かったな。大事な商品に傷が付いちゃいけねえ、ちょっと待ってな」
浮かべた笑みはどこにでもいそうな、ごく普通のおじさんのモノ。
リリィを目指し無防備に近付いてくる、チャンスだ!再び剣を抜かれる前に転ばせてナイフで脅す。相手が大人とはいえこちらは三人、行ける!!
ジーニアスがリリィの前に屈み込んだタイミング、奴を押し倒そうと腰を目がけて飛びかかった。
「!?」
一瞬何が起こったか分からなかったみたいだが流石は大人!すぐに反応し、倒れる寸前で身を捩りながら俺から逃れる。
まずい、失敗した!!
すぐさまショートソードを抜くべく柄に手がかかる。 このままではやばい!殺される!?
「この野郎!何してや……ぐっ!」
そう思った次の瞬間、手から伝わってくる鈍い感触。その瞬間に感じる鼓動の高鳴り。
「ぐぁっっ!はぁ……くそ!てめぇ……殺して、や……る」
突然、よろよろと後退り始めたジーニアス……何が起こった!?
嫌な感触のした手を見れば真っ赤に染まったナイフ、その先端からは赤い液体が滴り落ちていた。
「えっ!?」
それでもジーニアスは腹を押さえながらもう片方の手で剣を抜いた。苦悶の顔にはびっしりと脂汗。覚束ない足取りで俺に向かい歩き始めるがその歩みは遅く、なかなか進まない。
さっきの感触はまさか……まさか……
静まり返った部屋に重たい音が響く。それ以外に聞こえるのはナイフの先から滴り落ちる液体が床を打つ音と、俺自身の荒い呼吸音。
目の前に倒れ込んだジーニアスは人形のように ピクリ とも動かない。
そこまでなってようやく何が起こったのかを理解した──否、理解を受け入れた。
脅して人質にでも出来れば……そんな風に思っていたのだが現実は違う結果を生んでいる。
頭の中が真っ白になり全てが吹き飛ぶ。酒に酔ったときのように思考が麻痺する感覚、何も考えられない。その中でただ一つはっきりと頭にあるのは『俺がコイツを殺した』という事実だけだった。
乾いた音を立てて床に落ちたナイフ。捕まったときとは比べ物にならない恐怖が心を埋め尽くし、立っていられないほどに全身が震え始める。
視界に写るのは血の付いた両手、止まらない震えに揺れ続ける自分の手をただひたすら見つめ続けていた。
“俺は人を殺した”
頭の中でグルグルと回る言葉。
グルグル、グルグルと……
「ちょっとレイ!しっかりしなさいっ!レイってば!!」
「おいっ、誰か来るぞ!どうする!?」
リリィに揺すられ戻り始める思考、この部屋唯一の扉の向こうからは複数の足音が聞こえていた。
不味いんじゃないかなという、どこか他人事のような考え……意識がいくつもあるようなおかしな感じがしている。冷静に考えられる自分がいながらも、心は血塗られた手に縛られ身体が動こうとしない。
「レイ!ちょっとレイっ!?」
リリィの両掌が俺の頬を打ち、音を立てる。そのまま頬を挟み込み向を変えられると薔薇色の瞳が覗き込んでくる。強制的に視線が上がり彼女を認識すると、その綺麗な瞳をぼんやりと見返した。
「レイ!よく聞きなさい。ミカ兄が言ったこと覚えてる?貴方はこの人を殺した。それは事実よ。わかりなさいっ!
ミカ兄の言った言葉を思い出して!貴方はこれから、この人の分まで生きなくちゃいけないの。それが貴方の使命よ。戻ってきて!レイ、お願いっ!!」
リリィの投げつける言葉が頭の中を駆け抜けて行く。抱きついてきたリリィにびっくりしてようやく、混乱していた意識が元に戻り始めた。
人を殺し、現実逃避していた俺。叱咤してくれた彼女に感謝の念を込め、軽く抱きしめ返す。
「リリィ、すまん……ありがと」
全身を襲う震えはまだ止まらない。でも盗賊達が何人もやって来る!生きる為には戦わないといけない!!
落としたリリィのナイフとジーニアスが持っていたショートソードを拾うと、ナイフに付いた血を拭いアルへと手渡す。
「俺が殺る。何かあったらサポートを頼む」
「大丈夫なのか?」
全身は未だに震えているがしっかりと目を見て自分の意志をアルに伝えると、それ以上は何も言うまいと軽く頷いて俺の考えを肯定してくれる。さすが俺の親友だ。
こんな思いするのは俺だけでいい。出来れば俺一人で全部倒してやる。
「おいっジーニアス。上玉が手に入ったらしいな。まさか手を出したりして……ジーニアス?ジーニアス、何をしてる?……てめぇら、何してやがる!?」
扉を開けるなり上機嫌で喋り出した盗賊のボスらしき口髭男は、倒れているジーニアスを見てようやく自由になっている俺達に気が付いた。
「ま、まさか、ジーニアスを殺ったのか?ジーニアスを……俺の弟をっっ!!」
後に続く三人も驚きを隠せないようで、倒れているジーニアスを見て目を丸くする。
怒りに震えるボスの手が腰にある柄に届けば、鞘走りの音を立てて銀色の刃がゆっくりと引き抜かれる。ショートソードを構える俺を犯人だと決めつけると射殺さんとばかりに睨みつけてきた。
「てめぇが殺ったのか?あぁ!?てめぇがジーニアスを殺ったのかと聞いてるんだよっ!!」
止まらない震えは人を殺した罪の意識から来るモノ。それに輪をかけて、目の前の男が恐怖を植え付けてくる。
内側からも外側からも責められ、この窮地に抗うための切り札であるショートソードにまで焦りが伝わり カタカタ と乾いた音を立てていた。
「お前……はんっ!どうやら人を殺したのは初めてのようだなぁ?あぁ!?どうだ?人を殺したのはどうだ?俺の弟を殺したのはどうだと聞いてるんだっ!!!!」
怒り狂う盗賊、襲いかかる恐怖。俺は何も答えられないまま無言でボスを見つめ、制御出来ない震えを押し殺すために己と戦っていた。
「はっ!糞ガキがっ。震えが止まらんのか。てめぇはただじゃ殺さねぇからなっ。存分に苦しんで死ぬがいい!! ほらどうした?かかってこいよ。武器持ってるんだろ?んんっ?ほら、こいよっ!!」
余裕の足取りでゆっくりと近付き、持っている剣を無造作に振り下ろしてくる。剣術、戦術、そんなものはない。ただ怒りの感情をぶつけるよう力任せに叩きつけられる鉄の塊。弱者を嬲る高揚感からか、男の口元は妖しく歪んでいた。
初めての真剣での打ち合い、迫り来る剣だけを凝視し、必死になって受け止める。震える手では思うように力は入らず、薄暗い部屋に火花が散るたび、命の要であるショートソードが弾き飛ばされそうになる。
振り下ろされ続けるボスの剣に対しそれを受けるだけ。受け身だけではジリ貧なのは分かっている……が、それでも体が言うことを聞かない。このままでいれば全員殺される!
「どうしたどうしたっ!打って来いよ、ほらっ!ほらっ!ほらぁ!!死んじまうぞ!?はっはっはっはっ!」
「くぅっ……」
風を斬る音を響かせショートソードを破壊する勢いで打ち続けるボスの剣。受けるたびに手に痺れを感じ、なけなしの力を奪っていく。
殺すのが怖い、殺されるのはもっと怖い。
不意に思い出されるリリィの声……否、ミカ兄の言葉。
ダメだ、俺は生きないと……俺はあの男の分まで生きないと、生きて行かないと駄目なんだっ!!
ほんの少しだけ和らいだ恐怖というフィルター、よくよく見れば弱者をいたぶるだけの攻撃など隙だらけだった。足りないのは、ほんの僅かな勇気と行動力。
剣を受け止めた直後に意を決し、残された全ての力を込めて足を前に出す。全霊を込めた踏み込み、無我夢中で振られる剣、あの感触が再び手を伝えば赤い液体が宙を舞う。
驚き目をやれば裂けた服の奥、ボスの腹から少なくない血が溢れ出していた。
「ぐぉぉぉっ!なんだとぉ!!」
踏み出した一歩は大きく、靄のかかっていた頭が鮮明になる。驚愕し、腹を押さえるボス、似たような顔で唖然とする三人の盗賊。
体の震えはもう……無い。
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