21.それぞれの想い

 一番先に動き出したのは、やはりティナだった。目を吊り上げて立ち上がると両手で机を勢いよく叩くので置いてあったグラスが音を立てて飛び跳ねる。幸いにも重厚な造りの高級机であったのでグラスが倒れる事は無かったが、振り下ろされたリリィのハリセンによってティナのオデコが机を叩くと再びグラスが音を立てた。


「いちいちうるっさいわっ」

「エレナ、おめでとう。どうせなら呼んでくれたら良かったのに」


「サラさん、ありがとうございます。ホント言うとティナさんみたいにみんなが怒ると思ってました。抜け駆けしたのは分かってます、ズルしたのは謝ります。けど私は皆さんと違って獣人なのです。

 皆さんは優しいから私をそんな目で見ないけど、人間の世界からすれば人の形をしたペットに過ぎないのです。知ってますか?ペットは飽きたら捨てられてしまう事もあるのですよ。だから私は “婚約” という結婚の約束よりも、私がレイさんの隣にずっと居てもいいんだという “証” が欲しかったのです。

 ティナさん、本当にごめんなさい」


 机にオデコを付けたまま話を聞いていたティナに向かい頭を下げるエレナ。意味が分かったのか分かってないのかは知らないが、そんな彼女の頭を ヨシヨシ と無邪気な笑顔でエマが撫でる。


 エレナがそんな事を考えていたとは知らなかったがやはり人間の世界では獣人は生きにくいものなのだな。肩身の狭い思いをしている獣人に、それを強いている人間という種族の一人として謝りたい衝動に駆られた。


「お?」


 物思いに耽っているところにフワリと優しく頬を撫でられ、思わず視線で追いかければソファーの肘掛にグラスを持った腕を置き、少しだけ眠気が漂う赤味がかった茶色の瞳が柔らかな眼差しを向けていた。この人は職業柄なのか天性のものか、出会った時から人の心を詠んでくる。今もきっと『また馬鹿な事を考えて』と止めてくれたのだろう。


「トトさま、私も人間ではありませんがここに居る方達は違和感なく受け入れてくださいます。人間という種族の全てが皆さまのような方ばかりであればみんなが平和に暮らせるようになりますね」


 コレットさんに微笑み返して気遣いに感謝の意を表すと、雪まで気を遣ってくれた事に嬉しく思い「そうだな」と頬を寄せて ギュッ とした。




「何よ、また私だけが悪者みたいじゃない……リリィは何とも思わなかったの?」


 ようやく頭を上げたティナのオデコは赤くなっていたが、今笑うのは火に油を注ぐようなもの。皆が笑いを堪える中、名指しにされたリリィは溜息を一つ吐くと笑いを飲み込んだようだ。


「レイは私の事が必要だと、傍に居て欲しいと言ったわ。だから私にとって婚約だとか結婚だとか、そんなのはどうでもいいのよ。ただ私の居場所がそこにある、それだけで十分だわ。アンタは形にこだわり過ぎなのよ、人が人を愛するのに形なんて必要ないわ」


 同意を得られず不機嫌な顔で キッ! と鋭い視線を向けられたサラは一瞬怯むものの、苦笑いを浮かべて両手を挙げると降参の意思を示す。


「私は “婚約者” なんて不明確な結びつきよりも “妻” という伴侶として不動の立ち位置が欲しいと言うのが正直な気持ちよ。それでも私は抜け駆けは出来ないから安心して?

 変えられるものなら変えたいけど、残念ながら産まれ付いた家は決して変える事が出来ない。サルグレッドの王女として産まれた以上は相応の相手と国の見世物としての式を挙げる事が私の義務だわ。


 でもリリィの言う事も分かるし尤もだと思うけど、人の気持ちは移りゆくモノ。みんな変わり行く未来が不安だから型に入れて簡単には逃れられなくして安心を得たいのよ。それが叶ったエレナが羨ましい。


 今ほど身分というものが嫌に思える時は無いわ。残念だけど私達はしばらくオアズケよ、ティナ」


 はっきりとオアズケと言われたにも関わらず、それでも裏切らない仲間がいることに安心したのか大きく一つ溜息を吐くとサラに寄り掛かる。妹でも可愛がるようにオレンジの髪を撫でるサラの気持ちもどうやらティナと同じようだ。


「婚約者であろうが妻であろうが俺の中に違いは無いよ。俺のみんなへの気持ちは指輪と共に伝えたつもりだし、それは今後何年経とうとも変わる事なくみんなを愛し続けると誓うよ」


「はいはい、ご馳走さまっ。そうやって強く言い切れる旦那、私も欲しくなってしまうな。どうだ?ついでに私も貰ってくれるか?これでもまだ誰にも染まっていない純潔だぞ?」


 薄桃のシャツの上、それほど大きくはないが形の良い胸を押し上げ、怪しげな目付きで唇に当てた小指をチロリと舐める仕草で俺を誘うイオネだが、それは恋人が欲しいのでは無く単に俺を試したいだけなのだろう。国を持たないとは言え姫君なのにも関わらず、普段からの鍛錬で鍛え上げられた無駄のないしなやかな身体は男を釣る為の餌にするには十分すぎるほどの魅力を備えているように思える。


「ちょっとぉ?何を言い出したのかしらぁ?」

「あら、イオネもやっとその気になったのなら良いんじゃないの?貰っちゃえば、お兄ちゃん?」


「本気でない者に応えてやれるほど俺は暇じゃない。ティナやモニカを愛するので手一杯だから遠慮しとくよ。

 それよりさ、パーニョンと言う町はどんなところなんだ?ちょっと行ってみたいんだが、どれくらい離れてるんだ?」


「フッ、この私に対して暇は無い、か。お前は本当に容赦の無い男だな。こんな私でも精一杯の誘いを無下にされれば傷付くと言うのにな……まぁ、良い。所詮お前にとって私など取るに足らん存在だという事なのだろう。


 それはさて置き、パーニョンは魔導車なら東に半日の距離だがあんな碌でもない町に何の用だ?あの町を任される胸糞悪い男の所為もあって “奴隷の町” と呼び名が付くほど奴隷商人の出入りの多い町で、特に獣人の取引が盛んなのだ。領主が世界でも有数の獣人コレクターで、奴の屋敷にいる獣人の数は四十とも五十とも言われるほどだ。


 だが奴には黒い噂が絶えなくて一度調査に行ったのだが、その時に保護したのがそこに居るエマなのだ。見ての通り彼女はヒョウの獣人で大変珍しいのだが、奴の所に出入りする闇ブローカーが連れているのを見つけ出して捕獲申請が無かった事から密猟を疑ったのだが、審査の為にその男を拘束していた際、残念ながら逃げられてしまい領主との関係性を問えなくなってしまったのだ。

 本来であれば大森林に返すのが規定だが、エマ本人の同意の元に、子供の居ないトンプソン夫妻が引き取り養女にして今に至ると言う訳なのだよ」


 人間と獣人達との間には曲がりなりにも規定が設けられている。獣人が人間達の住む世界に入り込んだ場合それを捕獲して奴隷とするのは認められているが、獣人達の住処である《大森林フェルニア》に人間が入り込み獣人を捕えてくるのは禁止されているのだ。

 つまり獣人達は大森林から出なければ人間に捕まる事が無いのだが、それでも豊かな人間達の生活に憧れてか、大森林を抜け出す獣人が後を絶たないので当然捕まる者も居なくならない。


 しかし豊になり過ぎて生活に余裕のある人間は娯楽を求めて獣人の奴隷を欲するようになり、捕まる獣人の数と、それを欲する人間の数とが釣り合わなくなって行った。そうなると獣人の売買値はうなぎ登りに上昇し、獣人を捕える専門のハンターまで出始める事になる。


 そこまでは良い。


 大森林を抜け出した者は人間に捕まる覚悟を持っていたはずなのだから、たとえ捕まろうとも自業自得と言うものなのだ。


 だが金に目の眩んだ欲深い人間はそれでは飽き足らず、禁止されている大森林へ侵入しては捕まえて連れてくるという所謂 “密猟者” が現れ始めた。

 これの防止策として捕えた獣人は近隣の冒険者ギルドを通して何処で誰がどの獣人を捕えたのかを申請、登録しなくてはならないという制度を作ったのだが、密猟により捕まえてきた獣人など大きな屋敷に入れてしまえば調べるのも一苦労なのでバレ難い事から密猟が減らず、高い金を払ってでも獣人を手に入れたがる輩が後を絶たないのが現状らしい。




「そんな糞虫共の住処にお前は何をしに行こうというのだ、レイシュア・ハーキース?」



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