59.お母さん
「よっこらせっ」
丈の長いスカートを捲り上げ、日焼けの無い白くて眩しい太腿を惜しげもなく晒すと、若者らしくない掛け声で俺の後ろへと跨った。
エアロライダーの座席でその様子を見ながら待っていると、見送りに来ているヴィクララも俺と同じく何か言いたげな顔をしている。
「お主、その格好で良いのか?そんなスカートなのじゃ、女らしく横乗りとかで良かったのではないのか?」
顎に人差し指を当てて空へと視線を流し、少し考えたアリシアだったが「それもそうね」とあっけらかんと答えたのみで態勢を変えるつもりはないようだ。
「ヴィクララ、元気でね。またいつか会えると良いわね」
「うむ、お主も達者でな。あまり娘に迷惑をかけるでないぞ?」
「ちょっと!それどう言う意味!?酷くない?ねぇ、レイ君、別れの挨拶の時にそれって酷いと思わない?」
「あははははっ……」と笑って誤魔化すとエアロライダーへ魔力を流す。少しだけ地面から浮き上がった浮遊感にアリシアが驚いているので誤魔化しは成功だろう。
「ヴィクララ、ありがとう。落ち着いたらまた顔を見せに来るよ」
「あっ!レイ君だけとかズルイっ、その時は私も呼んでよ?ねぇ、聞いてる?」
にこやかに笑うヴィクララが手を挙げたのを合図にエアロライダーは緩やかに走り出す。振り返ったアリシアと互いに手を振り合う姿に、何ヶ月か生活を共にした二人の仲の良さを垣間見た気がした。
闇魔法の説明を受けた俺は『結晶くん』を設置させてもらいルミアに連絡すると、ミカエラの時のようにルミアが転移してきた。
やはり、というか最早当然というか、ヴィクララとルミアは顔見知りだったようで軽い挨拶を交わして結晶くんを起動させるとさっさと帰って行った。
その後分かっていたかのように用意してくれていた闇竜の爪を貰い受け、今に至るというわけだ。
ちなみに、義理母であるアリシアに『レイさん』とエレナと同じ呼び方で言われるのがこそばゆく「レイで良い」と言えば「じゃあレイ君ね」という事で落ち着いた。
更に言うと「義理母様ってもう一回呼んで」と催促されたのでご期待に添えれば、頬を両手で挟みイヤンイヤンと嬉しがっておられたのだが『アリシアでいいわ』と言われたのでそう呼ぶ事にした。
アリシアを乗せる為の特別な魔法を自ら差し出された、そんな気分だったのは余談だ。
心地良さげに風を受けて喜ぶアリシアとは裏腹に俺の心はミアとの別れの事が拡がりつつあった。ヴィクララにかけてもらった魔法の効果で見えなくなっていた心の傷が再び開き始めた感じ。
相乗効果なのか、ミアのおかげで忘れかけていたノアとの別れまで思い起こされ、悲しい気持ちでいっぱいになる。
いつまでも引きずっていてはいけないと思いつつも、思うだけで心の傷が見えなくなれば世話はない。
そんな折、そろそろキャンプの場所をと思っていると何も無い荒野に一本の枯れた木が見えて来る。「マジかよ……」と思わず漏れた一言に耳の良いアリシアは「何が?」と聞き返して来るので堪ったものではなかったが「なんでもない」と誤魔化した。
ミアとの夜を思い起こしながら全く同じ場所に焚き火を作ると、テントも取り出し設置した。
「何これ!?下手な家より立派なベッドよ?」
ご飯はやるから!と押し込んだテントの中を物色し終わったアリシアがひょこっと顔を出すと、その姿にミアが重なるが、ご飯の用意で忙しいフリをして目を逸らすことに成功。
アリシアの用意してきた『お弁当』を勢いだけで胃の中に捻込むと、保冷庫の余り物で作った自作料理で口直しをする。
アリシアも「上手ね!」と褒めてくれたので次回以降の食事も任せてもらえるだろう。
「レイ君、嘘ついても駄目よ?義理母さん、ちゃんと分かってるんですからねっ。見張りなんていいからこっちに来なさい」
外に居るからテントで寝ろと言った俺を無視して背後から羽交い締めにするとテントの中へと引きずり込まれる。
布団に放り投げられると、なんだか知らないが年上ぶる年上とは思えない女性に頭を抱きかかえられた。
──また拷問か?俺を寝かさない為の拷問なのか!?
柔らかな胸に顔を包まれながらもそんな文句を思い描いていると、子供をあやすように優しく頭が撫でられる。
「ミアちゃんのことが忘れられないのね」
エレナの母親なのに勘が鋭いなと感心する一方で仕方なく正直に頷くと、予想が当たった事が嬉しいのか ウフフッ と勝ち誇ったように微笑んだ。
「伊達に貴方より長く生きてないわよ?それくらいのことすぐに分かるんだからね。
悲しい事や辛い事があったのなら思いっきり泣きなさいっ。涙を流すということはね、心に付いた傷を洗い流すということなの。だから思いっきり泣くだけ泣いて気が済んだら、明日からは忘れて元気に生きるの。
いい?今日は特別だからね。特別に私が手伝ってあげる」
短期間に二人の女性に別れを告げられ心が弱っていたからかもしれない。その所為で自分を受け入れてくれる存在を求めていたのだろう。
アリシアの言葉はなんの抵抗もなく心に染み渡ると俺の意思とは無関係に涙が溢れてきた。
本当の母親であったとしても、こんなことは恥ずかしくてしないだろう。しかし今は、ただただアリシアから感じる母親のような優しさがうれしくて甘えてしまいたい自分がいる。
「エレナの旦那様なら貴方は私の家族、私の息子でもあるわ。だから我慢しないで、泣いていいのよ?」
▲▼▲▼
気が付くと外が明るくなっていた。どうやらアリシアの胸に顔を埋めたまま寝てしまっていたようだ。そのアリシアはといえば俺の頭に手を置いたままスヤスヤと寝息を立てている。
「あはんっ、レイ君……そんな事しちゃ……だめぇ」
柔らかな感触を頬に感じ、心地が良かったのでしばらくそのままでいると『はぃぃっ!?』とビックリするような寝言が聞こえて ドキッ とした。
昨晩の癒しの時間のおかげで気分はスッキリしている。正直に言おう、確かにアリシアのお胸様が気持ち良く、少しだけ……ほんの少しだけ邪な気持ちが芽生えたのは男として正常な反応ではないだろうか?
たった二日シテないだけで欲求不満とはと思っていた所に、狙い済ましたかのように聞こえてくる寝言……心臓が止まる思いをしたのは致し方ないだろう。
「あら、起きたのね。気分はどぉ?」
「お、おおおっ……おはっ、おはようございますっ!おかげさまでスッキリしております。じ、自分は朝食の準備をしてまいります!」
キョトンとするアリシアを残し、逃げるようにテントから飛び出すと大きく深呼吸をした。彼女はエレナの母親であり、俺の義理母だ。それにライナーツさんの奥さんでもある。そんな人に手を出すなどあってはならぬ事。いくら大勢の嫁を手に入れようとしている非常識な俺でも倫理くらいはあるつもりだ。
だが、昨日の残り物を温める俺の背後に忍び寄る気配がある。足音を立てないように忍んでいるのは分かるが、俺には無駄な事。
「アリシア、何してるの?」
声をかければ驚いて止めるだろうと思った俺の考えが甘かった。
「!!」
振り向きもせずに自分に気が付いたことで驚くには驚いたのだが、動きが止まるどころか逆に飛び付いて来たのだ。
危うく二人で焚き火にダイブ!となりそうな所をなんとか踏ん張って堪えると、俺の頑張りは余所に怪しげな独り言を呟くアリシアが背中に張り付いたままでいる。
「ば、バレなければ大丈夫……よね、バレなければ。こんな場所ですもの、二人で口裏を合わせれば絶対にバレたりしない、わ」
絶対にバレるからっ!問われれば、俺、絶対に言っちゃうから!頼むから誘惑しないで!?っつか、何言ってるの、この人……義理母なんだから、そんなの駄目な事くらい分かるだろ?誰だよ、昨日年上ぶって慰めてくれたのはっ!?
「アリシア!落ち着け、落ち着くんだっ!ほら大きく息を吸って〜、はい、吐いて〜。はい、もう一度大きく吸って〜、吐いて〜。ほら落ち着いただろ?朝飯食べるから座って、座って」
アリシアの頭から危険な思惑が身を潜めると、どうにか落ち着いてくれたらしい。
二人きりはお互いに危険、そう悟った俺はさっさとみんなの元へと帰る決心をすると共に、早くライナーツさんの元へとこの人を連れて行こうと心に決めた。
▲▼▲▼
「ごめん、早くエレナに会いたいだろうけど、少しだけ寄り道していい?」
決心をしたにも関わらず俺の方から寄り道を申し出ると「いいよ」と気楽に返事をしてくれる。
パーニョンの町の近くでエアロライダーを停めると、念のために結界くんを展開してアリシアに「十分で戻る」と告げた。
手を振る彼女に笑顔で見送くられ、風魔法で空へと飛び立つと急いで男爵の屋敷へと向かう。
──これは俺の心にケジメを付ける為に必要な事
そう言い聞かせながらノアと昼寝をした庭の木に降り立った。
すぐさま魔力探知で屋敷内を探そうとするものの、そんな必要すらなかった事に少しばかり驚く。
たまたま開いていた窓から見えた金色のフサフサ尻尾、それは紛れもなく俺の愛したノアのモノだと一目で分かった。
当然の事だが最後に見た泣いている姿とは違い、ごく普通に掃除する様子にチクリとしたものが胸を刺したが、それ以上の衝動に駆られなかったのは昨晩のアリシアの癒しのおかげなのだろう。彼女には感謝してもしきれないな。
尻尾を振りながら箒片手に一生懸命に掃除をしている姿をしばし見つめると、アリシアを待たせている手前いつまでもここに居るわけにはいかないので、一呼吸置いて心を固めた。
「ノア……元気でな」
届くのか届かないのかは知らない。寧ろ届くなどと思っていないけれど、最後の自分の想いを風の魔力に乗せて弱い風を作り出すとノアの頬を撫でるようにそっと飛ばす。
「やべっ!!」
すると魔法を放ったと同時に、急に手を止め窓の外を向いたノアに焦り、思わず枝を蹴り飛び出してしまった。
慌てて風の魔力を纏い逃げるようにして屋敷を後にするが、アリシアへと向かいながら『なんで焦ってるんだ?』と自問し、顔を合わせてしまえば逆戻りしそうだった弱い自分に苦笑いする。
「頑張れ、俺」
自分で自分に言い聞かせるように呟くと、ノアへの気持ちを置き去りにしてやろうとアリシアの元へと全力で飛んだ。
▲▼▲▼
アンシェルへと辿り着いたのは夕方になってから。茜色に染まった海を見て「綺麗」と言ったアリシアは風に靡く金髪を片手で搔き上げている。
その様子に感嘆し『アリシアの方が綺麗だよ』とか口にしそうだったけど、お世辞で言ったとしてもそれは不味いと悟り「そうだな」とありふれた答えを返すに留めた。
オーキュスト邸に到着すると、みんなは食堂にいるというので早速向かった。
少し緊張している様子のアリシアを連れて扉を開くとみんなの視線が俺達へと注がれる。
「ただいま、遅くなってすまない」
「おかえりっ、お兄ちゃん!」
「おかえりなさい、レイ」
「おかえりっ、レイ」
「おかえりなさいませ、レイ様」
「おかえりなさい、トトさま」
俺が声をかけると皆一様に笑顔で返事をしてくれる。事情を分かっているみんなは、いつもならコミュニケーションの一環で文句の一つも零すのだろうけど空気を読んでそれ以上の言葉は発しなかった。
ただ一人、エレナだけは俺の連れてきたアリシアに目が釘付けとなり、思わずといった感じで立ち上がると座っていた椅子が音を立てて倒れてしまう。
「おぉっ!アリシア様……よくぞご無事で……」
「アリシア……?じゃあ……じゃあ……」
自分の直感が間違いでなかった事をジェルフォの発した名前で確信すると、エレナの目に涙が溢れてくる。
「エレナ……エレナなのね?こんなに大きくなって……」
それがエレナだと確信したアリシアが両手を広げてフラフラと近寄り始めると、エレナも席を飛び出しアリシアと固く抱き合った。
「お母さん!お母さんっ!お母さぁぁんっ!!!」
「エレナ!貴方が無事で良かった……こんなに大きくなって……生きててくれてありがとう」
涙を流して抱き合う親子を目にしてハンカチを片手にみんながもらい泣きを始めると、俺の隣に寄ってきた一人の女がいた。
エレナ達を見ながら俺の肩に力強い拳を落としたそいつは最後のシメにと姫君らしい一言を残した。
「これで密売事件は本当の意味での終焉を迎えた。お前も大変だったろう、ご苦労さま」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます