11.ノンちゃんの講義
毎晩欠かさずフラウの魔石を飲み続けているモニカをララの監督の元に眠らせているので少しずつとはいえ慣れてはきた。
ハリセンの一撃で目を回したアリシアを闇魔法の練習を兼ねて眠らせると、幸せそうな顔で涎を垂らしながらスヤスヤと寝息を立て始めたのでライナーツさんが回収してくれる。
その様子を見ていたノンニーナはまだ中身の入っていたグラスを煽って空にすると静かに置いて立ち上がり、ほろ酔いで上機嫌なのか、ニコニコとした表情でゆったり飛んで来る。
「雷を操れるとは久しく見ぬ素晴らしき才能の持ち主だな。軽くで構わんから我に向かって撃ってみせい」
一瞬理解が追い付かなかったのだろう。褒められた事に頬を緩ませたティナだったが、すぐに唖然としてしまい言葉が出てこないようだ。
「いやいや、ノンニーナ。流石にそれは危ないだろ」
「ノンちゃんと呼べ」
ニコニコの表情から一転、有無を言わさぬ凄まじい威圧感がその場を支配し、膝の上にいた雪が恐怖のあまりにびっくりしてしがみ付いてきたほどだ。
「ノ、ノンちゃん……危ないからやめよう」
感情の消えた顔で大きく見開かれた目がより恐怖を煽っていたが、絞り出した “ノンちゃん” というキーワードにより元の楽しそうなノンニーナへと切り替わった。
「我はこうみえても長い時を過ごしてきた。其方の先代に当たる暴走した若者……ほれ、何と言ったかな? そうそう、確かアベラートと言う名の愚か者を鎮めるのにも一役買ったのだぞ?心配は無用、遠慮せずやるがいい」
アベラートの暴走って闇魔戦争の話じゃないか。ルミアは特別製だとしても、世界最強で最長寿の種族レッドドラゴンの長ギルベルトと同じだけ長生きしてる平均寿命四十年のはずのシルフって一体何者なんだ?
「ノンちゃんは五百年も……」
失言とは得てして油断した時に起こりやすく、素直に驚いただけで深い意味はなかったのだが配慮に欠けていたとは口を突いてから気付いても遅いのであり、再び放たれた威圧感により俺を掴む雪の手に力が篭った。
「す、すみません……女性に歳の話をするのは気分がよろしくないですよね、反省します」
慌てて謝罪をするとあっさりにこやかな顔に戻ったが、ノンニーナから生まれたヘルミ同様、温和そうな彼女も感情の変化が著しいのだと思い知らされる事となった。
「本当に大丈夫なの?丸焦げになっても知らないわよ?」
「小娘が言いよるな。だが其方の得意とする雷撃では我に傷一つ付けられぬ事を知るが良い。戯言だと思うのであれば殺すつもりで全力で撃ってもかまわぬぞ?ふふふっ。
惰性で生きてきた我にも守りたいものはある。其方等が作る新しい世界も見てみたいしの。まだ死ぬつもりなどない故、安心して臨むがいい。
さあ、分かったらその手に在る全ての魔力を解き放てっ!」
不敵に笑いながら風の絨毯の端まで退がると『早くしろ』と顎をしゃくってティナを挑発する。
彼女の言う通り怪我などしない自信からの挑発なのだろうが、それでも踏ん切りが付かない様子のティナが『どうしよう』と不安げに視線を向けてくるので力強く頷いてやった。
「ティナの雷撃は強力な魔法だが防ぐ手段があるのだとすれば、それを見ておくのも勉強だ。せっかくああ言ってくれてるんだから胸を借りてもいいんじゃないか?」
「何かあったら責任とってよ?」
「大丈夫、風魔法のスペシャリストならよほど強力な雷撃でない限り防げるわ。彼女の宣言通り、今の貴女の雷魔法では傷も付けられないわよ」
腕を組み成り行きを静観していたララがいつもにも増して真剣な眼差しで静かに言葉を発すると、反応したのはティナではなく、意外にもノンニーナの方だった。
「ララと言ったか?其方は我のやろうとしている事を理解していると言うのか。人間でそれほどまでに……」
見つめ合ったまま動かなくなった二人だが表情の変わらないララとは違いノンニーナは驚き、感嘆し、満悦するという三変化を遂げると、顎に手を当て意味深に頷き始める。
「ララ殿の事情は相分かった。実に興味深いが、一先ず実地訓練と行こう。
ティナ、早ぅ撃ってくるが良い」
二度目の催促で突き出された両手のケイリスフェラシオン。甲に嵌まる黄色い宝石エリプスから溜め込んだ魔力を引き出すと、その周りに細かな稲妻が迸るのが見える。
「ティナさん……凄い」
魔力が高まるにつれて見ているだけで吸い込まれそうな感覚さえし始め、つい先ほどまで長閑だった風の絨毯の上に異様な雰囲気が立ち込める。
ほどなくして真剣な顔付きとなったティナの腕までを、先ほどより太くなった稲妻が音を立てて走りだす。
「黒焦げになる覚悟は出来てる?」
「よもやそれほどの魔力を溜め込んでいたとは恐れ入ったが我の提唱通り全力で来ようとは良い心掛けだ、いつでも来るがいい」
制御出来るのか心配になるほどの魔力が凝縮されて行くと、心配になったサラが万が一の時の為にと魔力を練り始めるので肩に手を置き『大丈夫だ』と微笑んでおく。
「出でよ、雷龍っ!!」
一瞬で視界の全てが真っ白になる程の眩い光が辺りを包み込み、刹那の後には轟音と共に、一メートルはあろうかという極太の、雷を素体とする龍擬きがノンニーナへと襲いかかる。
涼しげな顔で迎え撃つノンニーナは身動ぎ一つしないままその様子をただ黙って見ていたのだが、ティナの掛け声と同時に信じられないほど凝縮された風の魔力を自分の前へと急激に展開させた。
ババババババババッ!!!!
自然界の雷とは異なり、魔力で作り出された雷撃の照射時間は魔力の許す限り限界が無いのかもしれない。
それでも魔力消費が大きいとされる雷の魔法。とても長いように感じたノンニーナを襲う光の束はおよそ二秒の間彼女を焼き尽くさんとばかりに煌々と輝き、轟音の消失と共にあっさり姿を消した。
光が収まった後には何事も無かったかのような長閑な青空と、宣言通り無傷なまま不敵な笑みを浮かべるノンニーナが平然と宙に浮いている。
「ティナっ!」
これほどの魔力を使ったのは恐らく始めてだったのだろう。
俯き、肩で息をしていたティナはノンニーナの姿を視界の端に捉えると、自分の最高の攻撃が全く効かなかった事に悔しそうに歯噛みしながらゆっくり前のめりに倒れ始める。
ここは風の絨毯の上、例え顔面から倒れても痛くはないだろう。しかし、肉体は大丈夫でも攻撃した側なのに精神的なダメージを負ったであろう彼女を支えるのは夫となった俺の役目だ。
慌てて駆け寄ろうとするサラを、突然の事に目を丸くした雪と共に追い抜いた。
倒れる寸前を身を捻りながら背後から抱きかかえると、左手にはしがみ付く雪、右手には力無く身体を投げ出すティナを抱いた状態で静かに腰を降ろす。
「大丈夫か?」
「ん、レイ……私、負けちゃった」
「そうだな。でも、ティナがあんなに凄い雷撃を撃てるなんて正直みくびっていたよ。相手がノンニーナじゃなければ真っ黒焦げになって……」
「ノ・ン・ちゃ・んっ!!」
傷付いた妻の心を愛情を持って癒す夫という良いシーンにだったのに、息が出来ないほどの圧迫感が突然襲いかかり目を丸くしたティナの視線の先に在るモノに恐る恐る目をやると、片方だけ吊り上げた口角を怒りのあまりヒクヒクと動かしながら両手を腰に当てた宙に浮く小さき人の姿が目に入ってしまった。
「ノ、ノン……ちゃん」
魔法の言葉により一瞬にして笑顔の花が咲き、それだけで潰されかねない威圧が解除されれば安堵から思わず溜息が漏れる。それはティナも同じだったようで、同時に突いた溜息に二人で微笑み合うと腕を組んだノンニーナが逆に溜息を漏らし返した。
「まったく、其方は我を仲間だと認めてはくれぬというのか?こんなに沢山の女を抱え込んでおるくせに冷たい男だのぉ。
それとも何か?我の容姿では其方の気にそぐわぬという事か?」
「そういう意味じゃない。ノン……ちゃんは雰囲気からしてお姉さんの風格だから “ちゃん” 付けで呼ぶのが慣れないだけだよ。
だいたい、俺が “ちゃん” 付けで呼んでる奴なんて居ないぞ? 呼び方なんて言いやすいように好きに呼ばせてくれよ。
一応言っておくけど、ノンニーナは誰から見ても美人だし、魅力的だし、あんな凄い雷撃をいとも簡単に止めちゃう凄い実力の持ち主だし、惚れ惚れしちゃうけど身体のサイズが違い過ぎるのが残念だよな。
でもまぁ、そんな人が一緒に居てくれるだけで俺は幸せ者だよ」
長年シルフの長を務めて来たと言うだけあり、人の上に立ち続け過ぎて対等な立場から褒められる事に慣れていないのかもしれない。
「そ、そんな……口から出まかせを……」
空中で一歩後退り、どう見ても照れた顔を隠すように口元に手を当てながら退がった足元へと視線を移すノンニーナ。
彼女に気付かれぬよう視線だけ動かせば、乾いた笑いを浮かべるティナと目が合い『ちょろい奴』と意思の疎通をしたのだが、こういうところを見るとヘルミとそっくりだよな。
「其方の心持ちは理解した。一先ずそれは置いておいて話を戻そう」
平静を装うノンニーナの目は キラキラ と輝いており、少しばかりでも機嫌取りになればと社交辞令を交えただけのつもりが良からぬ方向へと解釈されてしまったようだ。
後から波乱を呼ばねば良いがと心配になるが、この体格差は埋められるものではないだろうから安心しておこうと自分を納得させておく。
「其方の雷撃は長き我の生の中でも比類無きほどに見事なものであった。
魔石の力を借りたとはいえあれほどの魔力を貯めるのは大変だろう。それに加えて雷を操るセンスというものは、努力だけではなく先天のものだ。
目を見張るほど秀逸した魔法だったが、あっさり受け止めた我が不思議であろう?
アレは原理さえ理解出来ればさほど難しい事ではないのだが、その原理を理解出来るかどうかは其方等次第だと言っておこう」
そこで一旦言葉を切ったノンニーナの表情は先ほどまでの デレッ とした浮かれポンチではなく、長い時を生きてきた賢者のような、此処ではない何処か遠くを見つめる目をしていた。
「大森林フェルニアに暮らすシルフ、セイレーン、サラマンダー、ドワーフ、そしてエルフにレッドドラゴンをも含めた亜人族と呼ばれる七つの種族の元を辿れば全て、獣人族に行き着くというのは知っておるか?
逆に言えば、魔法の不得意な獣人族の中に在って各属性の魔法だけを得意とするはみ出し者の集まりで出来た集団が離反し、独自の道を歩み始めた結果が今という事だ。
我がシルフ族は風の魔法を得意とする一族、先程の雷撃を防いだのも当然風の魔法だ。
では風の魔法とはいかなるものかは知っておるか?」
「風……を操る魔法、ですか?」
風魔法が得意なエレナが、そういうことでは無いのだろうと分かりながらも自分が言わねばと長い耳の先を垂らして自信なさげに手を挙げて答えると、講師であるノンニーナはその様子に顔を綻ばせた。
「うむ、間違ってはおらぬが、その “風” とは一体何なのだ?」
風は風だろうと言うのが率直な俺の答え。だが彼女が求めている答えとは何かと考えても “空気の流れ” と言う言葉しか頭には思い浮かばないのだが、それもまた違う気がする。
この中では一番賢いだろうサラでも顎に手を当てて考え込んでいるし、コレットさんもお茶の用意をしながら何処か上の空な顔をしているので考えてみてはいるが納得出来る答えには行き着いていないようだ。
「こうすると我と其方等の間にある何が動いているのだ?其方達が感じる風とは何が当たったモノなのだ?」
答えが出ないことを確認したノンニーナは、取り囲むようにして座る俺達に向かい軽く手を振り柔らかな風を起こす。
「ん?やっぱり空気なのか?」
「そうだレイシュア、それも間違いでは無い。では空気とは一体なんなのだ?」
「私達が呼吸に必要なモノ、酸素……ですか?」
「そうだな。サラの言うように酸素を代表とする様々な気体の集まりの事を空気と呼ぶ。その空気とは余程特別な場所でない限り存在せぬ場所は無いほどにこの世界を満たしておる。
風とは即ち、ただ存在するだけでは我等が見たり感じたり出来ないほど極々小さな物質が大量に激しく動くことにより肌で感じられるようになった流体運動による波のようなモノ。
イメージし難いのならば湖の中を想像してみるが良い。水の中で力強く手を振れば離れていても水流が感じられるだろう?
水は重いので強い水流を起こすのは大変だが、それに比べて空気とは遥かに軽いモノなので風を起こすのは簡単だという違いなだけなのだ。
つまり風魔法とは、空気中に無数に飛び交う酸素等の気体の元となる更に小さきモノを制御する事なのだ」
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