12.お茶目さん
目にする事は出来ないが、確かにそこにある “空気” 。
それは、窒素という聞いたこともない気体が八割を占め、残りの二割を動物が呼吸するために必要な酸素と、名前を言われても右から左へと抜けて行くようなまさに空気と言った十数種類もあるらしい僅かな気体が入り混じって出来ていると言う。
ティリッジの地下ダンジョンでベルに案内された建物群が世界中に存在した二千年前の所謂 “旧世界” に生を受けたララが言うには、当時使われていた科学という名の魔法を使い肉眼では見えない粒子の集まりである気体ですら見る事が出来るようにする魔導具を造り出し、この世の摂理を解明しようとしていたらしい。
その技術力は凄まじく、家畜などの生き物を自分達の都合の良いように改良したり、身体の一部から生命までをも新たに創り出すと言った “神の領域” にまで手を伸ばすほどだったようで、物語風に言えば『分を弁えなかった人間が神の怒りを買って滅んだ』といったところか。
科学の力によって解明された事実の一つには雷の移動原理もあったそうだ。
「この世界に満ちている空気はほぼ、窒素と酸素で成り立っているのは理解出来たよね? その窒素と酸素を更に細かく見てみると “原子” という名の万物を構成する極々小さな物質が組み合わさって出来ているの。
ここからが本題なんだけど、例えば、たくさんの石が顔を覗かせているちょっと変わった湖を想像してみて? 水に入らずに向こう岸まで行こうとしたら、どうしたら良いかしら?」
ピンと伸びたウサ耳と同じように満面の笑みを浮かべて自信満々に手を挙げたのは他ならぬエレナだった。
「はいっ!空を飛びますっ」
今度は完璧とばかりににこやかやな笑顔だったのだが、ララ講師のこめかみに出来た青筋を見て ビクッ と背筋を伸ばすと『空気読めよ!』とばかりの鋭い眼力に押されて力無く垂れ行く耳と共にすごすごと手を降ろす羽目になる。
「水面に出ている石の上をぴょんぴょんとカエルのように飛んで行く?」
待っていた言葉を放ったモニカに『ソレ!』と言いたげに指を指しながら、満足気な笑みを浮かべるララ講師。
欲しい言葉が決まってるのならわざわざ聞かずに自分から言えば良いのに、とは今は怖くて言えない。
「それと一緒なのよ。 夜空に輝く無数の星より遥かに多い数の原子が飛び交う空間で、原子というオアシスを転々としながら目的地へと向かう、それが雷の進み方なの。
逆に言えば “原子が無い所を雷が進む事は出来ない” と言えばノンニーナがやった事が分かるかしら?」
「風の魔力を用いて空気を移動させ、雷の通る道を無くした? だから、ティナの雷撃はノンちゃんまで行き着く事が出来なかった、って事かしら?」
何かを深く考えるときの癖なのか、顎に手を当てたままツルスベな眉間に皺が寄りそうなほど難しい顔で何処か遠くを見つめながら答えると、その解の正否を確かめる為にララへと視線を向けるサラ。
「そういう事よ。 原子が全く存在しない空間の事を “真空” と呼ぶのだけれど、雷はおろか、伝うモノの無い空間は熱も通さない。
でも考えてみなさい。 湖の中でどれだけ必死に掻き分けても水の無い場所を作る事などそう簡単に出来るかしら?
よしんば囲いを造り水を追い出したとしても、そこには恐らく空気があるはず、全く何も無い空間を作るなんてほぼ不可能。
ノンニーナは原理が分かれば簡単だと言ったけど、私には真空を創り出す事は出来ない。けど、風魔法の本質を理解した上での応用術なら可能よ」
⦅ノンニーナの事もお嫁さんにするつもりかしら? それだったら、リリィではない私の事も少しは見てくれても良いと思うんだけどなぁ⦆
今を生きる者では知る由もない難しい話をしていたのに、視線を俺で止めたララはにこやかに微笑みながら一呼吸置くと口を動かす事なく話しかけてくる。
この距離、このタイミングで通信具を使って話す内容かと耳を疑ったのだが彼女の左手は通信具にある魔石には触れておらず、そうではないと分かるようにわざわざ両手を俺に向けて広げ、小さく舌を出しているので、何の脈絡も無く始まった話が風魔法を使った実演なのだと気付くのに五秒もの時間を要した。
「えっ!?」
今度は膝の上で不思議そうに見上げていた雪に話しかけたらしく、驚く雪とにこやかなララが暫し見つめ合うと隣に座ってその様子を黙って見ていたモニカへと視線が移った。
何を言ったかは知らないが、どうやら順番に一人ずつ話しかけていくつもりのようだ。
「さっきティナの放った強力な雷撃、物凄い音がしたよね?あの時 ビリビリ と空気が震える感覚がしなかったかしら? 私達が発する声もそうだけど、音というモノは空気が振動する事によって他へと伝わるの。
空気中の原子の動きをコントロールするという風魔法本来の意味が理解出来れば、風の魔力に言葉を載せて相手の耳に声を届ける事なんて真空を創り出すのに比べたら然程難しいモノではないのよ」
一人ずつ全員に話しかけ終わると人差し指を立てて解説を始める。
生まれてからずっと一緒のリリィなのに、ララが身体を支配するようになってから要所要所で見せる見慣れない仕草に ドキリ とする事があるのは本人には打ち明けていない。
今もまた得意げにウインクをする姿に見惚れているとエレナの声が現実へと引き戻してくれる。
「魔力に言葉を載せて……空気を震わせる?」
「原理はね。でも、難しく考えずに伝えたい言葉と共に練り上げた風の魔力を相手の耳に飛ばす感じで良いわ」
一斉に向けられた視線と同時に練り始められる風の魔力。それだけで『俺って愛されてるなぁ』と実感出来るのだが、残念ながら誰一人としてララのように声を届ける事は出来なかったようだ。
俺の反応が無いことから新しい魔法の失敗を感じ取っている俺の嫁さん達。
風魔法……と言うか、魔法自体みんなと比べたらそこまで得意ではないティナは上手くいかない事にイライラしてきたのか段々と表情が崩れ始め、そろそろ爆発しそうな顔をしている。
「まぁ、やり方は分かったんだから後は練習するのね。それが出来るようになったら真空を創り出す前段階としてこんな練習もしてみたらどうかしら?」
パチン と鳴らされたララの指を合図に空気が重たくなった感じがしたと思うと急速に息苦しくなり始める。
「トトさま! トトさまっ!?」
どれだけ息を吸い込もうとしても吸い込めている感じがせず、まるで見えない水の中にでも顔を押し込められたかのように呼吸が出来なくて視界がボヤける。
「は……ぐ、ふっ……!?」
朦朧とする視界の中、『死』という言葉が頭の片隅に浮かんだ時、再び聞こえた パチン という音と共に突然息が吸えるようになり堪らず背後に倒れ込んだ。
「だ、大丈夫ですか? トトさま……」
真っ暗になりかけた視界が解除され、空気というのがこれほど重要だと初めて意識する。
乱れた呼吸を戻しながら心配そうに覗き込んでくる雪の頬に手を当て笑いかけると ホッ と安心したように笑顔を返してくれる。
多少の余裕が出来て横を見ると、倒れ込むまではいかないものの皆一様に胸を押さえ酸素を求めて苦しそうにしている。
どうやら雪と、寝ているアリシア以外のメンバーはララの起こしたとんでもない魔法を体験する羽目になったらしいが、ノンニーナだけは涼しげな顔でコレットさんが淹れたお茶を飲んでいた。
「ハァハァハァ……ララ殿……ハァ、い、今のは?」
肉体自慢のジェルフォですら片目を瞑り大きく肩を揺らしている。
どれだけの範囲まで有効かは知らないが、こんな魔法を集団にかけられらるのであれば例え屈強な軍隊であっても立ち所に殲滅させられるだろう。
「貴方達の顔の周りにある酸素の流れを止めただけよ。陸で溺れる感覚はなかなか斬新でしょ?
けど、パニックにならなければ纏わり付いた私の魔力に気付けたはず。 魔法がそこそこ使える人ならば、その魔力をかき乱してしまえば簡単に解除されてしまう脆弱な魔法よ」
一本だけ立てた人差し指を振りながら得意げに解説する姿に更なる脱力感が伸し掛かるので『これは一言物申しておかねば』と俺の胸を枕に嬉しそうに頬を寄せて寝そべる雪の頭を撫でた。
「ララ……」
「何?」
陽の光を浴びて色の薄さが増した金の髪を指で梳き上げると得意げな顔で『何でも聞いて』と キラキラ とした目を向けてくるので、これ見よがしに溜息を吐いて見せた。
「やり過ぎ」
皆の様子を見れば少しばかりやり過ぎた事くらい分かっていたようで、拳を頭に乗せると小さく舌を出しながら笑顔で小首を傾げたので『リリィもこれくらい茶目っ気があれば誰からも親しみやすいだろうに』と先程とは違う意味でもう一度溜息を吐いた。
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