15.二人の魔族

 焦らすかのようにゆっくりと歩いてくると、地面に張り付けにされている顔のすぐ横まで来て立ち止まる女。

 地面と平行になっている俺の視界の中にこんな森の奥深くには合わない、どこかの城の中で履いてそうな煌びやかなミュールとスラリとした白い足とが映る。


──綺麗な足だな……


 呼吸もままならない生きるか死ぬかのこの状況、そんな事が頭を過ぎったとき、歓喜とも驚喜ともとれる昂った声が降ってくる。


「あらあらぁ?もしかしてレイじゃないっ!?わぁぉっ、久しぶりねぇ!ちょっと待っててね」


 誰だ?なんで俺の名前を?

朦朧としてきた意識の中でそんな疑問が俺の中で木霊する。



 パチンッ!



 押さえつけていた重圧が急激に緩めば、解放された肺が酸素を求めて急速に活動を始める。


「ガハッ!はぁはぁはぁはぁ……」


 呼吸が出来るようになり九死に一生を得たのだが、急激な環境の変化に対応しきれず呼吸の乱れは治らない。


「ごめんねぇ、結界に引っかかってしまったのね。でもこんな所に来た貴方達がいけないのよ?」


 汚れる事も気にせずすぐ隣に座り込み、赤児のように優しく抱き起こされれば女の顔が目に入る。それは以前チェラーノで出会った魔族、アリサだった。

 五年の歳月が過ぎ去ったにも関わらず当時と寸分違わぬ容姿の彼女は満面の笑みで俺を見下ろす。


「レイ、カッコ良くなったわねぇ!うぅ〜んっ食べちゃいたいくらいっ!

 それにしても大きくなったわねっ、元気だった?アレから強くなったかしら?彼女は出来た?フフフッ、わたくし舞い上がってる、はしたないわね。せっかく久しぶりに逢えたのに、こんなんじゃ嫌われてしまうわね」


 上機嫌に話すアリサを尻目にみんなの様子が心配になり視線を向ければ、全員倒れてはいるものの大事は無いようで、荒い呼吸を繰り返している。


「心配しなくてもレイの仲間を傷つけたりしないわ。今のはわたくしが張った結界に入ったからお仕置きされたのよ?入ってきちゃった貴方達が悪いんだからね、って言っても気が付かないわよね、普通。

 ただ、ここであまり動いて欲しくないから完全には止めてないわよ?」


 確かにさっきの呼吸が出来ない状態はやばかった。あのままいけば一分もしないうちに死んでいただろう。それに比べたら全然マシだが、まだ身体が重くて動けそうにないな。


 アリサの腕の中、見知った顔に少しだけ安心して彼女に身を任せた。そうする他なかったと言うのもあるけれど、敵意の全くないアリサから少し甘い花の匂いがして落ち着くので、居心地の良さも後押しして甘えてみたくなったんだ。



「レイから離れなさいっ!!」



 怒声に視線を向ければ、怒りに顔を歪めたユリ姉が白結氣しらゆきを支えに必死になって立ち上がろうとしている。膝を突いてしゃがんではいるが、それ以上は結界の効果が効いていてユリ姉でも立ち上がれないようだ。


「あら、頑張るわね。あまり無理しない方が良いわよ。大丈夫、取って食べたりしないわ」

「うるさいっ!離れろ魔族!!」


 親の仇にでも会ったかのように、見たこともないほど歪んだユリ姉の顔。一瞬にして全身に魔力が満ちると パリパリ と音を立てて稲妻が駆け巡り、力任せに無理やり立ち上がって白結氣を抜き放った。その長い刀身も例外ではなく、雷の魔力に包まれ稲妻を迸る。


 こんなに怒ったユリ姉は初めて見た。何がここまで彼女を怒らせるのかは分からないが確かにアリサは魔族だ。それでも危害を加えてくるような人ではなく寧ろその逆、五年前はあの男魔族ケネスから俺を助けてくれた。



 怒れるユリ姉が消えたのと入れ替わりにアリサの前に現れた宙を舞う二本の黒い剣。次の瞬間には白結氣とぶつかり合い静かな森に激しい金属音を響き渡らせ、ユリ姉の行く手を阻んでいた。


「うぁぁぁぁぁっ!!」


 目を大きく見開いた鬼気迫る表情、気合いと共に押し退けようとするが結界に囚われたままの体では本来の力が出せるはずもなく、交差する二本の剣はピクリとも動かない。


「レイを、返して……」


 弾き飛ばされ太い木に叩きつけられる姿に息を飲んだ。

 磔にされたかのように背中を木に預けて動きを止めたユリ姉、力無く地面にずり落ちながら呟いた一言がハッキリと聞こえてくる。


「取ったりしないって言ってるじゃない、聞き分けのない子ね」

「アリサ、ユリ姉に酷いことしないでくれ」

「んふっ、大丈夫よ。流石に剣を向けられれば黙ってはいないけど、そうでなければ好んで傷つけたりなんかしないわ」


 アリサは少しも動く事なくユリ姉を撃退し、腕に抱いたままの俺を見下ろし優しい微笑みを浮かべる。


「あの娘と遊んでる内に時間が来てしまったわ。貴方達ラッキーねっ、面白い物が見れるわよ?」


 視線で促すのは俺達が向かっていた更に奥にある少しだけ開けた森の空白地、何も無かった地面に高さ一メートルの祭壇のような物が徐々に姿を現し始めた。きっと以前見た幻影の魔法で隠されていたのだろう、俺達がひっかかったのはその祭壇を守る為の結界だったようだ。


「あれは……?」


  台座の上に置かれた小さな緑色の魔石、ほんのり光を帯びて浮かび上がると、そこに向かって風が吹き始めた。


 徐々に強さを増していく風の中に瘴気が混じり、魔石を中心に渦を巻いて吹き荒れる。

 大きな木が ミシミシ と音を立てる程の強風、竜巻でも起きたかのような猛烈な風ではあったが、地面へと押さえつけるアリサの結界が俺達まで吸い込まれるのを助けてくれているようだ。


「わわわわっ!?なんなんですかっ!!」


 風の中心から発する眩い光。急激に増した魔石の輝きは目を開けていられないほどに強く、思わず手で顔を覆ってしまった。


 だが、ものの数秒で光は収まり、全てを吸い込む勢いで渦を巻いていた風も ピタリ と止んでいる。その中心にあった魔石はどうなったのかと視線を向ければ、台座の上に浮き上がり赤く綺麗な輝きを放っていた。


 アリサが手を差し出せばそれに従いこっちに飛んでくる。ゆっくりと手のひらの上に降り立つと淡い光は鳴りを潜めた。


「はい、お終い。魔石の強化なんてなかなか見れないわよ?どうだった?」

「今のは魔石にこの森の瘴気を吸わせたのか?」


 驚いた顔をしながらも嬉しそうに小さく拍手をするアリサ。


「大正解よっ!さすがレイね。ここに来るまで森の中は瘴気が薄かったでしょ?この森で生まれる瘴気をあの魔導具で一箇所に集めていたのよ。本当はもっと時間をかけるはずだったんだけど、ほら、誰かさん達のお陰で結界が解かれちゃったからね。安全装置が作動して今まで集めた瘴気が台座に置かれてた緑色の魔石に入れられたって訳なの。

 ほら見て、これが今出来た赤い魔石なんだけど色も薄いし小さいでしょ?予定ではもっと大きくなる筈だったのよ」


 丁寧に説明してくれるアリサだけど、それって魔族にとって何かしらの重要な秘密なんじゃないのか?俺達に教えてしまって大丈夫なのか?


「そんなの作って何に使うんだ?魔導具?一体全体魔族は何をしているんだ?」

「流石にそれは教えられないけど、人間にとっての魔石の利用方法って魔導具のエネルギー源よね?でも自然界ではどんな使われ方をしてたかしらね?んふふっ、ほらっよぉく考えてっ」


 自然界?そんなところで誰が使うんだ?

リリィを見るけどフルフルと首を横に振る。ってかリリィと馬鹿兎、なんで二人並んで体操座りしてるんだ?結界が完全に解けて楽になったとはいえスカート短いのにそんな格好で座ってるもんだから中身が見えてるぞ!考えて座れよ、考えてっ!


「魔石ってどうやって手に入れるのかなぁ?」


 悪戯っぽく笑いながらアリサが覗き込むと薄藤色の長い髪が流れ落ちて俺の頬を撫でる。艶やかな髪を優しく掬って肩にかけると、アリサは嬉しそうに微笑んだ。

 魔石は店で買うか、モンスターを倒して手に入れるかだよな。モンスター?まさか……


「あら、冴えてるわね。魔族の秘密分かっちゃったのかな?モンスターが魔石になるのであれば、その逆も可能よね?レイ、魔族には気をつけなさいね。あぁ、わたくしも魔族だったわね、ウフフッ」



 魔石があった台座の隣になんの前触れもなく男が現れた瞬間、アリサが残念そうな顔をする。その男は頭に白い布を巻いており背中には大きな剣。そう、あのときの魔族ケネスだ。


 ケネスは俺を見るなり憤怒の化身のように顔を歪め、射殺さんとばかりの鋭い眼光で睨みつけてくる。


「そいつはあのときの男か!?まだ生きてやがったのか、くそっ!

 おいお前っ、アリサに抱かれてもう思い残すこともないだろっ。こんな所で会ったのも何かの縁だ、この俺様が直々に引導を渡してやる!!」


 言い終わる前に現れた紫色の巨大な炎、死の恐怖を感じて慌てて身を起こそうとするものの胸に置かれた手に力が篭りそれを制した。

 強大な魔法が迫る危機的状況──なのに、思わず見上げた顔には変わらない笑顔がありウインクまでしてくる。


 禍々しい紫の炎が俺達へと到達する直前、見えない壁にぶつかった完熟トマトのように何も無い場所で突然潰れて形を変えた。

 そのまま何事もなかったかのように消え去る紫炎、今のは……魔法?


「ケネス、仕事は終わったの?」

「ああ、予定通りな」


 出来たばかりの赤い魔石を投げると、それを受け取ったケネスは何か言いたげにこっちを見る。


「それを持って先に帰って頂戴、任務完了の報告するの忘れないでね。わたくしはもう少しここにいるわ」

「アリサ、そんな奴ほっといて帰ろうぜ」

「……わかったわ、じゃあこうしましょ。今夜の夕食、一緒してあげるからそれを回収して先に戻ってくれないかしら?」


 目を見開いて驚きを顕にしたケネス、すると、こんな顔もできるんだと感心するほどの嬉しそうな顔に変わる。


「本当か?約束だからなっ!約束破ったらただじゃおかないぞっ!!」

「はいはい、分かったわよ。報告はお願いしたからね?」


 子供のように コクコク と何度も頷くと上機嫌で姿を消した。


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