9.風竜の社

 森の中にひっそりと佇むのは、石や土は一切使わず、成形された木のみで建てられた平屋の家。

 その場所は獣人王国ラブリヴァから徒歩で一時間ほど離れた場所にあるのだと言う。


 王宮の三階、国王の私室とは別の部屋にあった本棚を退けて現れた隠し通路を進めば、驚く事に転移魔法陣が描かれた小さな部屋に辿り着く。

 それを抜けた先こそがラブリヴァの民が拠り所とする守護神 《風竜ルアン》を祀る為の社だった。


 転移した先、魔法陣の部屋を出る際に「靴を脱げ」と言われたのにはびっくりした。

 靴専用の《下駄箱》という、本の入っていない本棚にブーツを仕舞いその先へと出てみれば、ツルツルとした感触の良い床板に驚き皆で顔を見合わせた。



 粒が大き目の白い砂利が何かの模様を描くように慣らされた中庭は、横へと伸びる枝葉が力強さ醸し出す背の低い松やら小さな岩などがセンスよく配置され、芸術などよく分からない俺であってもこれが見るために造られた庭なのだと分かる。


 無意識に背筋を伸ばしたくなるような厳かな雰囲気こそが “神聖な空気” というやつなのだろう。

 そんな空気が漂う屋根付きの橋のような変わった形の廊下を庭を眺めながら進んで行けば、二十メートル四方の広間へと繋がっている。


「此度の訪問は予定されたものではない、一体何用ぞ?」


 広間の奥、天井から垂れ下がる簾の前で姿勢良く座っていたのは着物姿の一人の女性だった。


 何はともあれ目に付くのは、仄かに光る金色の髪。背中の中ほどで切り揃えられた真っ直ぐな髪は前髪も眉の上辺りでパッツンと一直線に切られ、その頭には尖り三角のキツネ耳がピンと立っている。


 広間の入り口から少し入った所で立ち止まり、彼女と同じく姿勢良く正座するセルジルに倣ったアリシアとライナーツに続いて『これが作法なのか?』と思いながらも正座をした。


「予告なき突然の訪問、恐れ入ります。

この度は昨日あった魔族による襲撃事件の報告と、長年国を離れていた我が娘アリシアの帰還の報告、並びにご挨拶に加えて、私の孫に当たりますアリシアとライナーツの娘エレナの初お目見えを目的とし、参上致しました」


 自分の娘にさえ生ゴミのような目で見られるエロジジィの影は何処へやら、両手を床に付け、そこにオデコを付ける勢いで深々と頭を垂れて話し始めたセルジルはまるで別人のようだ。


「生憎ルアン様はお出ではありませぬ。しかし、折角参った皆々様を追い返したとあらばお叱りを受けるやもしれませぬな。

 代役でも構わぬと言うなればこの玉藻が話を聞き、後にルアン様にお伝え致しましょう」


 まるで頭から一本の串を刺してあるみたいに体の芯をズラすことなく スッ と立ち上がる女性。赤で縁取りされた真っ白な着物姿が見る者の目を釘付けにする程に美しい。


 だが、それより更に目を惹くのは、腰に巻かれた赤い帯と同じ色ながらも先端だけは朱色から橙、そして白へと変色している太くて長いキツネの尻尾がゆらゆらと揺れている事だった。

 しかも驚く事に、一メートル以上あろうかというそれが九本もあるものだから、我が目を疑い思わず擦って二度見してしまったのは不可抗力というものだろう。


「ふふっ、そこな人間、そんなにも我が珍しいかぇ?」

「ぇ、ぁ、あの……」


 差し込む光を反射する ツルツル とした床をゆったりとした足取りながらも滑るように近寄ると、絵具で塗り固めたような真っ白い肌を切り裂く赤い唇が僅かに開く。

 玉藻と名乗った九つの尾を持つキツネの獣人は、初めて相対にした時に感じたサラの父親であるサルグレッドの国王陛下を思い起こさせるような威厳に満ちており、そういった偉い人との触れ合いには多少なりとも慣れて来たつもりでいた俺の口を完全に塞いでしまった。


「なんじゃ、お主は口がきけぬのか?その容姿に見合わぬ嘆かわしさ、哀れだのぉ。

 それにしてもお主からは、何か……他とは違う異質の力を感じる。もしやお主が噂のレイシュアという人間かぇ?」


 何故こんな僻地に閉じ篭る女が噂など聞いているのか気になりはした。

 しかし、腰を直角に曲げるというあり得ない姿勢で、正座する俺へと立ったままに顔を近付けてくると、糸のように細い目に埋もれる金色の瞳からは俺など及びもしない底知れぬ力が感じられ、蛇に睨まれたカエルのように固まって動けず冷や汗すら出てきてしまう。


「プッ、クスクスッ……レイ、貴方本当にメンタルが弱いわね。そんなんで虚無の魔力ニヒリティ・シーラの誘いに勝てるのかとても心配だわ」


「娘、今、虚無の魔力ニヒリティ・シーラと言うたかぇ?と、なれば、やはりお主が闇の皇子だとい……」


「その化け狐はラブリヴァにとっては守護神だと崇める風竜の巫女なのかも知れない。でも、人間である私達にとってはただの獣人に過ぎないわ。

 場の空気や雰囲気に飲まれないでしっかりと自分を保ちなさい」


 俺に向けられているでもないのに喉がカラカラになるほどに凄い威圧感などモノともせず、玉藻の言葉を遮ったララは真っ直ぐ俺を見つめていつもの顔で ニコリ と微笑む。


「ララ……さん!?」


 守護神同様に崇め奉る巫女を、化け狐だの、ただの獣人だのと罵られれば気が気でないのはセルジルだ。

 青ざめた顔をしながらも必死になって首を振ると同時に “落ち着け” と手振りで伝えるが、目にしたララは知らんぷり。


 もう終わりだと頭を抱えて小さく身悶えする横で、それを見てこめかみに青筋を立てたアリシアは彼の行動がウザかったんだと思う。

 鞄へと手を伸ばそうとしたが、更に隣に座るライナーツさんが目を丸くしながらこちらも必死になって止めていた。


 そんな漫才にも似た光景を見れば流石に緊張は解れて少しは落ち着いてくる。


「郷に入れば郷に従えとは言われるけど、作法は重んじて倣う必要は感じても信仰まで受け入れる気にはなれないわよね。

 つまり四柱もの属性竜に認められて来た貴方は、風竜の巫女を名乗るその女よりも立場が上だという事よ。横柄な態度を取れと言うわけではないけど改まり過ぎはかえって良くないわ」


 アリサの落ち着いた声は普段の自分を取り戻すのに十分な力を持っていた。

 でも俺とは逆に、最早断罪を待つのみと魂が抜けていないか心配になるほどに脱力したセルジルが少しだけ気の毒に思える。


「貴女の言う通り俺の名はレイシュア・ハーキースと言います。あまりの容姿に見惚れてしまったことは謝りますが、最初の質問に答えるなら、九つもの尻尾を持つ獣人など初めて見ました。

 もちろん俺が人間である以上、この森で暮らす亜人達の事など大して知りませんが、貴女が特別な存在だというくらいは分かるつもりでいますよ」


「なんじゃ、口を開けばお主も立派なルイスハイデの男よな。軽口で我を誑し込もうという太々しい態度、普段なら切り捨てるところだが不思議と悪い気はせぬ。それがお主の継ぎし黒い力の強さ故なれば末恐ろしいモノを感じるのぉ」


 顎に手を当て、紅を引かれた赤い唇が吊り上がると同時に、アリサの重力魔法のように重くのしかかっていた空気が軽くなった感じがした。



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