17.黒い霧

「モニカっ!」

「お嬢様!!」

「モニカぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」


 なりふり構わず飛び出した空中。目に飛び込んだのは、背後から回された腕で首を絞められ、シュネージュを持つ手を掴まれ拘束された姿。苦痛に歪むモニカの表情かお、そのすぐ傍には勝ち誇るようにニヤつく魔族の顔。空中に浮かぶ二人の姿に憎悪の炎が猛り出す。


「ハッハーッ!油断したな?動くなよ?動いたらこの女がどうなるかぐらい分かるだろう?クックックッ、なかなか良い女だな。殺すには勿体ないぐらいだ。俺のモノにするか?」


「やめて!離してっ!誰があんたなんかのモノになんてなるものですかっ!離しなさいよっ!!」


 嫌悪感を全面に押し出し、どうにか逃げ出そうと全身をバタつかせて必死の抵抗を試みるモニカ。だがそんな可愛い抵抗では水蛇を握り潰すような奴から逃れることは出来やしない。


「モニカを離せ!てめぇ殺すぞ!離しやがれっ!俺の女に触るんじゃねぇぇぇっ!!!!」


 声に出すことしか出来ない感情、それに気を良くした魔族は俺へと視線を向けたままこれ見よがしにモニカの首筋に舌を這わす。



──やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろぉぉっ!ぶち殺すぞっ!糞魔族がっ!!!



「気持ち悪い!止めなさいってば!!!」


 無駄だと分かりながらも抵抗を続けるモニカ。偶然にも振りかぶった後頭部が魔族の顔面に当たるが、弱々しいヘッドバット程度ではダメージにすらならない。

 しかし奴はそれが気に入らなかったようで、眉間に皺を寄せるとシュネージュを奪い取り、あろうことかモニカの肩へと突き立てた!



「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」



 飛び散った赤い飛沫が宙を舞い、再び放たれたモニカの悲鳴が谷に反響し一帯を埋め尽くす。


 ゆっくり進む時間の中で見せつけられたケネスに斬られるユリアーネ、その姿が鮮明に浮かび、肩を刺されたモニカと重なる。

 爆発的に膨れ上がる黒い感情、全身を満たす奴への殺意。行動を押し留めていた理性など簡単に黒く染め上げ、俺の全てを黒へと塗りつぶした。



──メキッ



 目の前が真っ暗になりモニカの姿すら見えなくなった。すると、小さくもハッキリと聞こえた気味の悪い音。

 その音のおかげか何なのか、身体のありとあらゆる場所を負の感情に侵されながらも、思考だけはクリアになりキレて暴走してしまうことはなかった。


 それでも溢れ返るのはあの魔族に対する殺意と怒り。俺のモニカに触れ、更に傷まで付けた。殺す!殺してやる!!殺してやるっ!!!!

 感情と共に腹の底から湧き上がるドス黒い力を余すことなく奴へとぶつけたい!冷静ではありながらも腹を焦がす怒りの炎はより一層勢いを増すばかりだ。


 塗りつぶされた視界が徐々に戻れば見えてくるのは現実、肩からシュネージュを生やし、脂汗を流しながら苦痛を表情で訴えるモニカの姿が目に焼き付く。


──更に濃度を増す激しい怒りと纏わりつくような黒い力。


「このやろぉぉぉぉぉぉぉぉ……」

「てめぇ動くんじゃねぇよっ!この女殺すぞ!おいっ!誰かあいつを殺せ!どうせ動けやしないんだ、誰でもいいから今すぐ殺れ!」


 己の有利性を理解した野党の一人が、仲間の仇とばかりにギラつく視線を携え駆け寄ってくる。


 一撃の元に斬り捨てるべく袈裟がけに振り下ろされた剣、だがそれが俺に届く事はなかった。

 何故か死なないと悟った俺は至極冷静な目で迫りくる刃を眺めていた。すると身体から湧き出した黒い霧がそれを包み込んだ瞬間、肝心要の剣身が消えて無くなったのだ。


「は?」


 手応えの無さと自らが産んだ予想外の結果に自分の手にする短くなった剣と俺とを見比べて戸惑う盗賊。気持ちを代弁する声は俺も同感だ、何せ自分でも何が起きたのか理解していないのだから。


 だが、その声がソイツの最期の言葉となる。次の瞬間、黒い霧に飲まれて忽然と姿を消した盗賊。ヤツが居た後には黒よりも黒い濃い霧だけが漂っていた。


「なんだ?なんなんだ!?その黒い霧はなんだっ!」


 感覚として理解出来るのはソレが俺の力だということ。慌てる魔族を睨みつければビクリと身を震わせたが、いつのまにか伸びていた刃物のような長い爪をモニカの首に当て必要以上に大きな声を張りあげる。


「動くな!動くんじゃねぇぞっ!少しでも動いてみろ、この女はただの肉人形と化すぞ!分かってんだろう?おいっ!何とか言えや!!」


 言葉の終わりと共に長い爪の生えた手が鈍い音を立てて地面に落ちる。奴の腕は肘から先が無くなっており、傷口には赤い血ではなく黒い染みがこびり付いていた。


 その音でようやく異変に気が付いた魔族は、自分の腕であったモノが黒に侵食されて消えて行く様を呆然と見守っていた。

 静寂に包まれた戦場、そこでようやく先の無くなった己の腕を見つめる。


「ぎやぁぁぁあぁぁぁああぁぁぁあぁぁぁぁっ!!!」


 事態を理解した途端に青ざめる顔。見開かれた目、吹き出した汗、崩壊を始めた心は声帯を引き裂かんとばかりに張り上げる声を生んだ。


「おっ、俺のっ、俺の腕がっ!うでがぁぁぁぁぁっ!!」


 冷めた目でその様子を見ると同時、俺は自分が何をしたのか理解した。

 腹の底から湧き出した黒い霧は自分の思い通りに制御出来る。この黒い霧が奴の腕を消し去ったのならば、モニカを害した汚らわしい奴そのものも消し去る事もできるだろう。


「消えろ、クズ野郎」


 未だモニカを抱きしめる形で空に浮かぶ魔族。俺のイメージ通り奴だけを黒い霧が包み込めば、一瞬の後には初めから存在しなかったかのように忽然と消えてなくなる。


 突然解放されたモニカは重力に従い落下を始める──あぁっ、不味いな。

 すぐさま飛び出しできる限り衝撃を与えないようにと抱き留めれば、肩から生えたままの血の滴るシュネージュが目に入り胸が痛んだ。


 元凶たる魔族を消し去り、多少なりとも落ち着きをみせた怒りが再び蒸気を上げ始める。



──ここに居る盗賊の全てが同罪だ!死んでモニカに詫びろ!!



 更なる黒い霧が俺の体から噴き出すと、音もなく四方八方へ散らばり始めた。


 ボスの末路を目に焼き付けた盗賊達は女子供のように悲鳴を上げながら我先にと逃げ惑う。しかしそんなことなど梅雨知らず、次々と黒い霧に飲み込まれて姿を消して行く。

 ものの一分もかからずに盗賊団のアジトが静寂を取り戻せば、役目を終えた黒い霧は風に溶け込むようにして消えてしまった。



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