第17話 水沢有咲事件

 逃亡の殿しんがりは八神刀夜、河内拓真、久保颯太、金城雄真、藤枝一郎の5名で行っていた。最も獣に襲われる可能性が高いポジションである。


 拓真のポジションは本来なら龍児だったが、彩葉を背負うことになった為に入れ換えることになった。


 戦力の低下を懸念して雄真と一郎を投入する。決して戦いに向いているとは言えない二人であったが投石による援護要員という建前で入れさせた。


 そうこれは建前だ。


 刀夜の本音は最悪の事態に陥った場合にこの二人をおとりにするつもりである。戦力として戦える他二人を失いたく無いという理由で。


 刀夜は分かっている。自分が非道なことを考えているということを。だが一人でも多くの仲間を助ける為やむを得ないこともあるのだと自分に言い聞かせていた。


 背中から感じる脅威きょういに晒されつつも必死に自身の感情を殺すよう、何度も心の中でつぶやいた。まるで呪いの暗示をかけるように……


 ドタッ!


 突如、刀夜の隣を走っていた雄真の姿が消える。雄真は木の根に足を取られて転けていた。振り向いた刀夜の視界からあっと言う間に彼は闇夜に消えてしまう。


「ま、待ってくれ! た、助けてーーーーー!!」


 彼の悲痛な声が聞こえた。


「金城君!?」


 拓真が振り向いて足を止めようとした。だが刀夜は拓真の手を掴み引っ張る。


「止まるな委員長! 約束しただろう!!」


 脱出の計画案を説明する際に仲間が倒れても立ち止まらないことを皆に約束させていた。立ち止まれば最悪全滅する恐れがある。


「助けてぇぇぇぇーーーー!」


「だ、だが……」


 約束させていても感情がついてこれない。それもあり得ると刀夜は計算して焚きつけるセリフを用意していた。


「もう、助からん。皆を巻き込んで全滅したいか!」


 刀夜が怒鳴る。よろよろと走っていた拓真の足はスピードを上げた。目から涙を流して念仏でも唱えるかのように「すまない、すまない」と口にする。


 獣達の気配が遠退いてゆく。


 彼があそこで転けるのは想定外だったが結果的は刀夜の思惑どおり獣の足止めになった。


 だがまたしても想定外の事が起こる。先頭の松明が止まっており、後続の松明の明かりも次々と同じ場所で止まっていた。


 刀夜達が追いついてしまった。


「なぜ、止まっている!」


 刀夜は激怒した。折角苦労して仕かけたトラップが無駄になる。犠牲になった者の命が無駄にる。それだけは許せない!


 だが松明に照らされている先には刀夜が仕かけた木の枝トラップにかかってしまった水沢有咲がいた。無惨にも木の杭が彼女に腹や肺に刺さっている。


「……水沢さんが……道を外してしまって……そしたら……」


 副委員長が泣きながら説明をする。


 刀夜はさすがに動揺した。仲間を守るはずのトラップがその命を奪ってしまった!


 疲労とは異なる激しい動悸どうきに襲われて呼吸が乱れる。


 彼女はまだ生きていた。口から吐血して目は虚ろでもその表情は助けを求めている。だがこうなってはもはや助ける術はない。


「八神ィ! てめぇの罠だろ!」


 龍児が激怒する。刀夜はだから何だと言い返したかったが、まだ呼吸も動悸どうきも収まらない。


「何とか言えよ!」


 刀夜が動機を落ち着つかせるとようやく返事をした。


「すでに説明してあったことだ。運がなかったな……」


 水沢有咲の虚ろな目から涙がこぼれ落ちた。


「てめえッ!」


 殴りかかろうとする龍児を拓真と智恵美先生が止める。だが龍児のほうが強くて彼らが押し戻されると、他の生徒も加勢して龍児を止めに入った。


 今はこんな事で時間を取られるわけには行かない。だがこのままでは皆は動きそうにない。そして彼女、水沢有咲をこのまま見捨てるのも不憫ふびんだと刀夜は感じた。


 刀夜は覚悟を決めると彼女に近づいて後ろに回る。その様子を見た皆は刀夜が彼女を助けるのかと思った。


 刀夜は彼女の目を手で塞ぐと有咲は力の入らない腕で刀夜の腕を掴んだ。その手も彼女の顔もまだ暖かい。


 刀夜は背後から抱きかかえるようにして彼女の耳元でささやくく。


「……ごめん」


 バッグから取り出していたナイフを彼女の肋骨の間から一気に心臓へ突き刺した!


 その光景に全員が信じられないといった顔で驚愕きょうがくする。


「いやああああああああああッ!」


 赤井美紀が絶叫してへたりこんでしまう。


 突き刺したナイフを抜く瞬間、有咲の体はビクリと動いた。そして大量の血が吹き出す。彼女はやがて力を失い、掴んでいた刀夜の腕から手を離すとだらりと落ちた。


 この行為には龍児ですら言葉を失った。


 刀夜は木の枝を切り落とすと彼女を横にする。


「急げ、敵はすぐそこだぞ」


 刀夜の言葉に龍児は何かを言いたそうにするが言葉にならない。餌を求める鯉のように口を震わせていた。


「非難なら後で聞いてやる! 背負っている彼女を殺す気か?」


「ふ、ふッ……」


 龍児は『ふざけるな』と言いたげだが、またも声にならなかった。背後から獣の気配を感じたからだ。皆は慌ててその場を逃げ出した。


「委員長! 先導するんだ! ここからは印は無い。尾根伝いに走れ! 走れ! 走れ!」


 刀夜が激を飛ばすと再び闇夜の逃避行が始まった。


 背後から草むらを掻き分ける音が聞こえてくる!


 獣の荒い息づかいが迫ってくる!


 せっかく稼いだ距離が一気に縮められてしまった。


 美紀は泣きわめきながらも必死に逃げる。


 遅れて最後尾を青い顔で走っていた藤枝一郎は背後から荒い息づかいを感じて恐怖した。


「うわぁぁぁぁ」


 一郎は堪えきれず声を張り上げた瞬間、背中に激痛が走り倒れてしまう。恐ろしくて振り向けず、次々と身体中に痛みが走る。生臭い息に囲まれて最後の絶叫を上げた。


「止まるな! 振り向くな!」


 刀夜は再び激を飛ばす。


 誰もが必死に走る。


 転けても直ぐに立ち上がり走る。


 迫り来る恐怖に誰も振り向けなかった。

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