第167話 刀夜の予期せぬ誤算

 だが命を助けてもらったはずの刀夜は体の不調を感じた。気分が悪くなり、心臓の鼓動が段々早くなってくると鼻で呼吸するのが苦しくなる。


 危機は過ぎ去ったはずなのに、どんどん体調が悪くなる。刀夜は自分の身に起こっている異変に身に覚えがあった。


 自分の両手をそっと持ち上げて、恐る恐る視線を下ろした。自分の両手は先ほどの男の血でベッタリだ。


 刀夜の心臓が跳ね上がり、呼吸が一気に乱れた。鼻どころか口で呼吸をしても間に合わないほどの激しい息苦しさに襲われる。


 刀夜はこんな無様な姿を人に見られまいと、ヨロヨロと足をもつれさせながらも岩影へと移動した。


 そんな刀夜の異変に負傷した男の搬送を手伝っていたリリアが気がつく。気分を悪そうにしている刀夜に一体何事かと急いで彼の元に駆けつける。


「刀夜様?」


 刀夜は岩影で呼吸困難に陥って苦しそうに倒れていた。荒々しい呼吸で顔面蒼白状態だ。額からジワジワと汗が溢れだしている。


「刀夜様!!」


 刀夜は苦しそうにしながらもタオルで両手の血を必死に拭いている。


 リリアは刀夜の行動に何の意味があるのか分からなかった。だが彼女は刀夜の両手を水筒の水で洗い流して拭くのを手伝う。洗い終わると刀夜が乾いた声で何かを言っている。


「――カァー――カァーガァヒィー」


「……か……鏡ですか!?」


 刀夜は頷く。だが鏡など持っていない。リリアは青ざめてどうして良いのか分からずオロオロとした。


 そんなリリアを確認した刀夜は腰の刀を取り出した。そしておもむろに刀を半分抜く。


 リリアは刀夜の行動に一瞬ギョッとした。どうしていまここで刀が必要なのかと。


 刀夜は刀の刃に自分の顔を映す。そして苦しそうにしながらも口ずさんで何かを唱えている。何を言っているかわからないが同じ言葉をずっと唱えている。


 リリアはハラハラしながら終始その様子を見ていた。見ることしか出かなかった。


 刀夜の呼吸がヒューヒューという音にかわると、やがて力を失って静かになる……


「刀夜様? 刀夜様! 刀夜様!!」


 リリアは青ざめて刀夜の名前を何度も呼ぶ。


 『まさか』という言葉が過って恐怖を感じたとき、彼女の手を刀夜が握った。彼は泣きそうな目を向けている。


 生きている……そのことにリリア胸を撫で下ろした。


 刀夜は持病の発作に襲われたのだ。しばしの休憩で刀夜は回復した。


「あの、一体なにが起きたのですか?」リリア刀夜を心配して尋ねた。


 症状がここまで悪化したのなら、もう彼女に黙っておくわけにはいかない。万が一を考えて彼女にも協力してもらったほうが良いかも知れない。刀夜は自分の身に起きたことをリリアに話した。


「これは発作だ。発症すると呼吸困難に陥る。幼少時代の心の病なんだ……」


 刀夜は突然、不穏な乾いた笑いを漏らした。それはまるで滑稽な自分を嘲笑っているようにリリアには見えた。


「過去の罪が俺を粛清しようとしているさ……」


 それはまるで罪滅ぼしを強いられているような言葉だった。


「幼少の頃に師匠が記憶の封印を施してくれたお陰でずっと治まっていたのだが、どうやらもう完全に解けてしまったようだ……」


 刀夜は当時の記憶を完全に取り戻した。それは今後、発作が頻発することを指し示すものである。そして先ほどの応急手当てもやがて効かなくなるとリリアに伝えた。


 リリアは肩をおとした。心の傷は魔法では治せない……だがいったいどんなトラウマを受けたのだろうか。


「――リリア……俺は……俺は……」


 刀夜は震える口で真実を語ろうとしている。辛そうな彼にリリアは首を振った。


「辛いなら話さないで下さい。刀夜様の身にどのような過去があったとしても私は刀夜様と共にいます……」


 リリアも過去の記憶に翻弄したとき、刀夜は受け入れてくれたのだ。今度は自分が彼を受け入れる番だと。


 突然刀夜がリリアを抱き締めた。


 驚きはしたがリリアもそっと彼を抱き締める。


 あの夜と同じくまた彼に抱きしめられた。だがリリアはあのときはまた違うと感じた。それはきっと受け入れられるのと受ける側の違いかも知れない。


 だが彼女が両方を受け入れたとき、それは堪らなく愛しいと心が叫んだ。


 そして刀夜も同じ感覚に陥っていた。その感情を受け入れてはならいと必死にあがなうも、心がそのことに悲鳴をあげる。もはや理性では体の自由が効かず、体が勝手に彼女を求めた。


 体を少し離して互いを見つめ合う……


 心臓の鼓動が高ぶる。


 互いの顔が近づくと相手の体温を感じた。


 唇が薄く開き、相手を求めて受け入れようとする。



 ズウウウウウウン……


 突如、大きな音と振動と共に兵士達の悲鳴が聞こえてくる。激しい地響きが全身を震わせる。


「ま、まさか……」


 刀夜とリリアは岩影から顔をだして騒ぎの元凶を確認した。そこには完全武装している巨人兵が立っている。


「そんなバカな! 奴は倒したはず!」


 二人は青ざめた。だが巨人の姿は倒した巨人のものと異なる。岩影から外にでてみれば倒した巨人兵はそのまま横たわっていた。


「に、2匹目!?」


 完全に想定外だ。誰が2匹目などと想像できようか。すでに対巨人の兵器は使い切ってしまっている。刀夜にとれる手段は無様に逃げるしか方法が思いつかなかった。


「おい刀夜! 早く撤退の命令を出さないか!」


 レイラが呆然とする刀夜に詰め寄った。


「ああ、そうだ、撤退だ! 全員撤退しろぉ!!」


 刀夜は大声を張り上げて命令した。兵士達は言われるまでもなく逃げている。


 巨人の巨大な片刃の剣がぎ払われると、巻き込まれた兵士がバラバラとなった。


 その様子にリリアは青ざめてガタガタと震えだす。


 彼女は知っている……突然現れた巨人兵はプラプティを襲った奴だ。使ってる黒い武器、そして一本だけ折れた角の兜、赤い鎧、彼女の記憶と一致する。


 炎の海と化したプラプティの街に佇んでいたあの巨人……決して忘れはしない。


「リリア!」


「はい!」


 刀夜は呼びつけたリリアの肩を押した。意表を突かれた彼女はバランスを崩してレイラの胸に背から倒れる。レイラはそんなリリアの肩を掴んで支えた。


「と、刀夜様?」


 事態を理解できないリリアが驚いた。


「彼女を頼む」


 それはレイラにリリアを連れて逃げるよう頼んだ言葉であった。


「ど、どうしてですか!?」


「新たな巨人が現れた以上、リリアの魔法は再び必要となる」


「それは刀夜様だって」


「いや巨人の倒しかたも兵器もすべて教えてある。次は俺がいなくともできる」


 再び現れた巨人兵を倒すにはリリアの魔法は必要だ。そして自警団団員が死にすぎた場合、次の戦いに萎縮してしまう可能性がある。次の戦いのめに一人でも多く返さないといけない。


「さあ! 行け!」


 刀夜は叫んだあと近くのバリスタに向かって走ってゆく。リリアは刀夜が居残って団員の脱出の時間を稼ぐつもりなのだと気がついた。そのようなことをすれば生き残るのは不可能だ。


「承知した」


「いやぁぁ! 離して! 刀夜様! 刀夜様!!」


 レイラは追いかけようとするリリアの肩を強く握って止める。レイラも刀夜が時間稼ぎをするつもりなのだと判断した。


 この作戦の失敗に対し責任を取るつもりなのだと……

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