第131話 プラプティ炎上1

 夜もどっぷりとふけて本来ならば誰もが寝静まる時刻。この日、リリアの父親とクラリスの夫はついに帰ってこなかった。


 そして夜明けの三時間前、プラプティの街の住人にとって運命のときがやってくる。


 突如、街の大ホルンの音が鳴り響いた。重低音の音が町中の空気を振動させる。それは街の危険を知らせるものである。


 街中の人々が慌てて起きると着替えて街から脱出する準備を始めだす。それはリリアの家でも同様であった。


「エステル! リリア! 起きて!!」


 母親の慌てた大きな声が階段下から発せられた。リリアの母親、フローネは夫の帰りをずっと待っていたので昨日の服のままである。玄関に近いリビングでウトウトとしていた所を警報で起こされた。


 目覚めの良いリリアが咄嗟とっさに起きる。そして目覚めの悪い姉の体を揺すって起こす。まだ月明かりの差し込む夜中である。


「姉様! エステル姉様!!」


「うー……な、なにぃ……」


 寝ぼけまなこでウナりながらも横向きから仰向けとと寝返りをうった。エステルは普段の無精な生活ですっかり起きれない体となってしまっている。そんな姉をリリアは更に強く揺すった。


「姉様! 警報です。すぐに起きて下さい!」


「警報? こんな時間に演習……?」


「こんな時間に演習なんかしません! すぐに脱出準備をして!!」


 エステルはリリアの真剣な声に青ざめた。何が起きたのか分からないが何か良くないことが起きたのだ。慌てて直ぐにベッドから這い出た。


『エステルー! リリアー! 起きてるの!!』


 心配になった母親の声にリリアは慌てて返事をした。


「はーい! 起きてます!」


「いま、準備している所!!」


 合わせてエステルも声を張り上げた。


 急いで服を着替えると、緊急脱出用のリュックをボックス棚から引っ張りだす。そこに日常品をさらに追加して二人は部屋を後にした。


 母親と三人、家を飛び出すとはるか南、防壁上に篝火かがりびが多く炊かれて、まるで朝焼けのようである。


 突如走りだそうとしたエステルに母親は彼女の手を掴んだ。


「どこ行くのエステル?」


 エステルは振り向いて答える。


「賢者様の所よ! 賢者様は警報の事を知らないわ」


「そうかもしれないけど……」


「私はドゥニーから賢者様のこと頼まれているのよ」


 正直逃げたい気分だったがエステルは彼氏との約束を破ることができなかった。それにどれ程いまが危険なのか、この時点でエステルは計りえなかった。エステルは心配する母の手を振りほどくと急いで走ってゆく。


「エステル! 無茶しちゃ駄目よ!!」


 止められないと悟った母親が大きな声で注意を促すとエステルは軽く「わかってる」と返事をする。そして振り向きもぜす街の中心、賢者の元へと駆けていった。


「お母様、あたしも聖堂院へ行きます。お母様はクラリス姉様の所にいて下さい」


 聖堂院の生徒は傷ついた人たちの治療のために召集するよう義務づけられている。そのことは母親も承知していた。


「分かったわ。でも気をつけるのよリリア……」


「はい、お母様も。クラリス姉様を頼みます!」


 リリアは母親との別れを惜しむ気持ちを振り払って聖堂院へと向かう。


 だが彼女にとってこれが家族との最後の会話となった。


◇◇◇◇◇


 防壁の上でリリアの父親、ヨムルド・ミルズとクラリス姉の夫、義理兄と自警団の面々が息を飲んで迫りくる驚異にたたずんでいた。


「本当に来てしまったのか……」


 ヨムルドは無念そうに月明かりに照らさせたモンスター軍団を見つめた。その数、約十数万。とてつもない数だが、そこにいるものの数など誰も気にはしていなかった。


 防壁を守っている彼らが恐怖しておののくモンスターはたった1体のみ。全長10メートルはあろう、突出した大きさを誇る鎧武者姿の化け物。


『世界を滅ぼし巨人兵』


 彼ら議員や自警団がずっと忙しかった理由がこれであった。モンスター軍団が迫っている情報を得て準備を進めていたのである。


 パニックを押さえるためにこの情報は戒厳令をしかれていた。だが予想より彼らの進撃は早かった。早すぎた。


「ヨムルド・ミルズ! ヨムルド議員!!」


 リリアの父親を強く呼んだのは自警団のクラムベルガ団長であった。


 短い茶髪頭ともう何日も剃っていない髭を生やし、まだ真新しい銀ピカのフルプレートを着込んでいる。厳つい自警団のトップにまで上りつめただけのことはあって厳格な雰囲気を漂わせていた。


「大きな声を出さずとも聞こえている」


 娘からもらったリボンで背中まで伸びた長い金髪を束ねて、吹き込む冷たい風に体をさらしながら望遠鏡を覗く。そして迫りくる驚異にヨムルドは肝を冷やしていた。


「聞こえていたのなら、さっさとここから退去してもらおうか」


 クラムベルガは厳しい口調で言い放つ。


「君たちをこの戦場に立たせたのは私だ。私には責任がある。己の安全を優先して引っ込んでる腰抜けどもと一緒になれというのか?」


「もう戦が始まる。貴方のやるべき仕事は我々が十分に力を発揮できるよう下準備を行うことだ。そしてここからは我々の仕事である。ここでの貴殿の役目は終わったのだ」


「クラム……」


 ヨムルドとクラムベルガは同い年で二人はお互いの事をよく知っている。クラムベルガはヨムルドが卑怯ものどころか、自身に厳しい人間であることをよく知っている。


 そしてヨムルドはクラムベルガの厳しい口調は自分のためにいってくれていることを知っている。クラムベルガは下準備はできていると言ったが、到底十分などとは言えない有り様である。


「なぁヨムル……恐らく防壁は持たないだろう。街を脱出する必要がある。街の住人達を先導するものが必要なんだ。やってくれるな……」


「…………」


 クラムベルガの言っていることは正しい。ヨムルドは頭では分かっていても彼らを死地に置いてゆかねばならぬことが辛かった。


 それもこれも自分が今できる最良の手段として提案した作戦である。ヨムルドは彼らと共にすることで罪滅ぼしをしたかったのだ。


「敵! 斥候来ます!!」


「火矢を放て!」


 兵士の報告と同時に開戦した。大地を疾走するDWウルフに火矢を放つがそうそう当たるものではない。


 DWウルフにくっついていたリビットがウルフから降りると狙い澄ませてクロスボウガンを放ってくる。


 開戦は互いの矢の応戦から始まった。だがこれは巨人兵が到着するまでの時間稼ぎ、嫌がらせの類いであることは明白である。


「さあ、行け! ヨムルド!」


「……クラムベルガ……すまない」


 ヨムルドはクラムベルガの肩に手をあてエールを送ると防壁降りた。そして馬に乗ると街中へと駆けてゆく。クラムベルガはそんな彼を見送って、再び指揮に戻った。

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