第130話 郷愁のプラプティ3

 エステルの話を聞き入っていた母とリリアは思わず吹き出してしまう。


「ええ、ええ、笑うといいわ。よーく考えれば分かるはずなのに浮かれてました。待ち合わせが議員会館のカフェテラスで知っている議員ばかり囲まれた場所で、そんな話なんか出てくる訳ないって!!」


 エステルは涙目で鼻をすする。


「あなたらしいわね。でも残念ではあったけれども、そう悲観的なることもないのではなくて、エステル?」


「どうして?」


「ドゥニーは多くいる職員の中で貴方を頼ったのじゃないの? 他の誰でもないあなたを」


 エステルは母の言葉にハッとした。ドゥニーは大事な用事といっていたのだ。その大事な用事を私を信じて託してくれたのだ。


「それでドゥニーさんの仕事はどうしたのですかエステル姉様」


「え? うん、受けたよ一応、図書館職員だし……」


 母親とリリアは互いに顔を見合わせて安堵した。もし断っていたりしたらドゥニーとの間に亀裂ができたかもしれないからだ。


「それで、ドゥニーさんの大事な仕事とはどんな内容だったのですか?」


 リリアは勤務前の朝早くから呼び出すような内容に興味を示した。


「あ、うん。今この街に賢者がきていてさ……」


 エステルの『賢者』という言葉にリリアはドキリとする。今日、聖堂院内ではその話題で持ちきりだった。


「その賢者様がこの街にいる間だけ、助手が欲しいといいだしたらしいのよ」


「まぁ、だからエステルに白羽の矢が当たったのね」


「しかも昨日から行方不明ってことで、最後に立ち寄った図書館に行ってみたら本に埋もれていたわけ。掃除が大変だったんだから……」


 エステルはリリア同様、プラプティ大聖堂の卒業生ではあったが彼女はリリアと違い魔法の才能には恵まれなかった。


 多少は扱えるが魔術師を名乗るのは烏滸おこがましいほどだ。


 そのため彼女は魔術図書館で猛勉強をする。魔術図書館の魔法の書は院で習うものより遥かに高度だ。お陰でエステルは書物の書いてある内容は分からずとも図書館のどこに何の本があるのかはよく知っている。


「エステルお姉様。その賢者様はもしかして神壁の賢者様のことですか?」


「ええ、そうよ。もう噂になっているの?」


「はい。でもお姉様はずるいです。賢者様の教えを乞いたい人は山ほどいるのですよ? それを独り占めにできるのですから贅沢な悩みです」


「あたしは賢者様よりドゥニーよ!」


「リリア、賢者様は忙しいからエステルのように知識はあるけど魔法を教えて欲しいと思わないような人を要望したのではなくて?」


 母親の意見は最もだ。賢者はここに講義をしにきたのではないのだから。


「そうかぁ……」


「できのわるい娘で悪かったわね」


「あら、そんなこと言ってないわよ。むしろ自慢の娘よ。それに今の貴方だからドゥニーといい関係になれているのではなくて?」


「…………」


 エステルは出会ったころの事を思い出したのか顔を赤らめる。二人が仲良くなれたのは図書館で出会ったからだ。


◇◇◇◇◇


 エステルとリリアは就寝の準備を始める。二人は同室だ。一人部屋はクラリスが使用していて姉が出ていってからも引っ越しが面倒なのでそのまま使用している。


 それにエステルとリリアは割りと仲良しである。エステルは鏡台前に座ってブラシで髪をとかす。鏡台は一つしかないのでリリアとは交代で使用している。


「エステル姉様、灯りを最後に消してくださいね」


「な!?」


 エステルが振り向くとリリアはすでに布団に潜り込んでいた。顔を半分だけ出してじっとエステルを見ている。


「ずるいわよ。髪もとかさずに寝るつもり?」


「えへへ。だって明日もお父様の朝御飯の用意で早いんだもの」


「もう!」


 姉は灯りを消すのが面倒だと思いながらも再び鏡台にむかって髪をとかす。


「……お姉ちゃん……」


 呟くようなその言葉にエステルはハッとする。『お姉ちゃん』そんな呼び方をされるときは大概甘えたがっているときである。


 まだリリアが小さい頃はずっとそう呼ばれていた。物心ついた頃には『姉様』呼びになっていた。


「ど、どうしたの?」


 エステルは恐る恐る聞いてみた。


「お姉ちゃん、ドゥニーさんと結婚するの?」


 リリアの直球な質問にエステルはたじろぐ。エステルは結婚したい気持ちで一杯だがドゥニーの気持ちが分からない。


「えー……そ、そうねぇあたしはしたいかな……」


「…………」


 エステルはブラシを鏡台に置いた。そっと振り向くとリリアが悲しそうな目をしている。


「……リリア?」


「お姉ちゃん……人を好きになるってどんな感じなの?」


 妹といえどさすがにその質問に答えるのは恥ずかしい。だがリリアは悲しげな目をしている。普通はこの手の話は目を輝かせるものではないのかと思った。


 エステルはふと姉のクラリスが結婚して家を出ていったときのことを思い出す。そしてリリアが寂しがっているのだと感じた。


 あの時、自分が感じたのと同じ気持ちに……


 家族を失うような喪失感だ。


 エステルは立ち上がるとリリアのベッドに腰をかけた。そして不安な顔をしているリリアの髪を撫でてあげる。


「人を好きになるとね、その人のことばかり考えるようになって……思い出すとドキドキが止まらなくなって……それは家族や友達が好きとはまた違う特別な感情だよ……」


「ドキドキが止まらなくなるの?」


「そ。そして何気ないことが恥ずかしく感じたり、触ってみたいと思ったり、その人のこともっと知りたいと思ったり……これって独占欲かのかな……」


「触ってみたいってキスとか?」


「え?……えぇ……まぁ……それも含むかな…………」


 エステルはリリアのベッドに潜り込んだ。じゃれあい、リリアをぐいぐいと体で押して自分のスペースを確保する。


「あたしも好きな人とかできる?」


「できるよ。リリアにだっていつか必ず好きな人は現れるよ……ねっ」


 エステルはリリアの髪を撫でるとようやく彼女に笑顔が戻った。


「お姉ちゃん、今日は一緒に寝てくれる?」


「なぁ~に~13にもなって。この甘えん坊」


「うん……なんか胸騒ぎがするの……」


 再びリリアの表情に陰りが訪れる。姉の話に寂しさを感じたのか、はたまた別の予感を感じたのか、リリアには分からなかった。ただ胸の奥が苦しいように感じていた。


「いいわよ」


 エステルは一度ベッドから出るとランタンの灯を消した。窓の外には大きな月が顔を覗かせて月明かりを送り込んで部屋を照らす。


 その夜、リリアは久しぶりに姉に甘えた。

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