第75話 見える鎖と見えざる鎖

 リリアが慌てて袖で刻印を隠すと店員が料理を運んできた。サラダが目の前に置かれる。サラダと言っても生野菜ではない。


 高性能な冷蔵庫などない世界で生野菜は死活問題となるので蒸された野菜にドレッシングがかかっているものだ。


 また一般食堂で取り分け皿という風習もない。以前に入った高級ホテルのようなレストランにはあったが、一般食堂では洗い物が増えるのを嫌って出されることはない。


 スープは数種類の豆と刻まれた野菜が入っている。定番中の定番料理なのでどの店にも存在する。店ごとに味付けが異なるので、どの店に行くか判断の一つとなることもあるため店は味付けにこだわりを持っていたりする。


 肉料理は香草の独特の香りを立ち込めていた。肉の臭みを取り除くのに利用される。獣肉のように癖の強いものほど強い香りの香草が使われる傾向にあり、高級店では香草の代わりに高級品のスパイスが使われる。


 これらの料理情報をくれたのはリリアである。一部刀夜の経験もあるが大半は彼女の話によるもので、聞けば料理は聖堂院の修行で掃除、洗濯と並んで勉強していたそうだ。


 彼女からこの情報を引き出せたのは食事が終盤になった頃である。最初、リリアは食事に手をつけようとしなかった。


 彼女は奴隷として教育されているので主人が食べ終わるまで待つのが当たり前である。したがって刀夜から食べるように言われたとき、彼女は戸惑った。


 だが一度料理を口にすると彼女は涙を流しながらかぶり付いた。空腹もあっただろうが、リリアにとってはもう二度と口にできないかもと諦めた味の食事である。


 奴隷として捕まっていた間は経費節約のため、ろくな食事をだして貰えなかった。このような生活のまま一生を終えるのかと何度涙を流したことか。だが暖かい食事を口にできたとき、奴隷となる以前の楽しく幸せだった頃の記憶を思い出すこととなる。


 清楚で可憐なイメージと異なる彼女の食べっぷりと幸せそうな姿に今は野暮な話はすまいと刀夜は思った。


 彼女の腹が膨れ、気持ちが収まったように見えたとき、ようやく彼は語りかけたのだった。


 刀夜はリリアのような奴隷とはどんなものなのか無知であった。彼なりに想像はしていたが実際は彼の予想を遥かに上回る悲惨な実態があった。


 刀夜がそれらのすべてを知るにはこの後、かなりの時間をかけて知ることになる。


 リリアのような性奴隷は他のメイド奴隷とは大きく異なる。彼女らは買われた後、飼い主により薬で子供が生めないよう去勢されてしまう。普段はメイド、風呂や夜は主人の相手をする。相手も主人一人とは限らない。


 問題は飽きられた後だ。大半は捨てられて亡くなるか、そうなる前に自殺を選ぶこととなる。


 彼女が奴隷として教育を受けた期間は一年足らずで短いほうである。自由を得たのならその時点でそれらの事など即座に忘れることが可能なレベルである。


 だが彼女らには見える鎖と見えざる鎖に囚われていた。見える鎖とは先程刀夜に見せた刻印である。これがあるかぎり彼女はどこに行っても永遠に奴隷として世間から見られる。


 見えない鎖は、刻印との相乗効果による生活の喪失である。この世界は奴隷に居場所など与えられるようにはできていないのだ。


 野良で彷徨ほうこうすれば、あっと言う間にゴロツキどもの玩具にされて再び奴隷商人の元に帰ることになる。


 ゆえに彼女のような奴隷は、どれほど酷い主人でもその元を離れることができなくなるのだ。巧妙に発展した奴隷制度は姿を変えても本質は変わっていない。


「さて、今後のことなんだが」


「はい」


「俺は見てのとおり異国の旅人で国に帰ることを目的にしている。しかしながら帰る手立てを得ることはとても難しく、困難で時間がかかると思われる」


 刀夜は彼女と出会ったときに話したことをもう一度言った。改めてわざわざいうのは、あのときは肋骨の怪我で意識が朦朧もうろうとしており、ちゃんと伝わったか記憶があやふやであったため、彼は目的を今一度明確にした。


「はい」


 リリアは真剣な表情で刀夜の目をみてキレの良い返事をする。一見良いことのように見えるが刀夜にはそれが機械を相手にしているかのように感じた。


 これは本当の彼女ではない。


 本当の彼女は先ほど涙を流して食べ物を頬張っていた、あの姿こそ本物のような気がしていた。


「俺はこの街を拠点にして生活をしながら帰る方法を模索するつもりだ」


「はい……」


 急にリリアの声のトーンが下がったことに刀夜は気づく。リリアは不安にかられたのだ。彼女は良くしてくれている今の主人を失いたくなかった。したがって嫌われないよう奴隷らしく良い子に振る舞っている。


 しかし彼が帰る方法を見つけたとき、私は捨てられるのだろうかと不安にかられた。


「明日は家を探そうと思う。俺たちの家だ」


 沈みがちだったリリアの心は刀夜の『俺たちの家』という言葉に心が跳ねた。彼の居場所に自分も含まれていることに。


 何か、ずっとそこで二人で一緒に暮らしていそうな、そんなトキメキを感じた。それが幻想だったとしても今の彼女はそれにすがりたかった。


「どうやって探せばよいと思う?」


 刀夜の質問にリリアは少し考えて口を開く。

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