第277話 復讐再燃

 刀夜はオルマー家の執事兼ボディガードのハンスに連れられて迎えの馬車に乗った。


 バカンスのときに借りた馬車のお礼は返したときにすでに済ませている。大したものではないがビスクビエンツのお土産も渡し済みなので、何か不備があったのだろうかと不安に刈られた。


 もしくは深刻な事件でも起きたのかと、そう思えるほど迎えにきたハンスの表情は曇っていた。


 最初はリリアもついてくると言い出したのだがハンスは焦ってそれを拒んだ。もしかしたらその辺りに何かあるのかと思案するも刀夜には思い当たるふしはない。


 やがて馬車はオルマー家の門をくぐった。ここも見慣れた感があり、少々新鮮味が薄れている。


 相変わらずここの主人とは似つかわしくないと思えるほどの綺麗な庭を馬車が通過する。


 その庭で女性が花の手入れをしているのが目に入る。だが彼女が庭師でないことは一目で分かった。彼女は作業服を着ているが綺麗すぎて業者感がまったく感じられなかったからだ。


 そのような彼女は刀夜に気がつくと作業をしていた手を止めて礼儀正しく頭を下げてきた。刀夜も馬車の中から深く頭を下げる。


 やがて噴水のロータリーに差し掛かると馬車が停止する。刀夜は馬車から降りた際に振り向いて御者を見れば運転していたのはエドだ。


 彼はまだ刀夜がオルマー家と杯を交わしたことに戸惑いを覚えているようで、目が合うとその戸惑いの表情を隠せないでいる。


 エドとはここでリリアの件で一触即発寸前になったことを刀夜は思い出した。だが彼とはもう争うことも無いであろうから軽く会釈しておく。


 刀夜がもたもたしているうちに先程の女性が近づいてきた。年齢はまだ40代後半くらいだろうか、非常に落ちついつていて人と会うことに臆するようなタイプではないようだ。


 そんな彼女の肌は日々ケアをしているのか、かなり綺麗であることから剪定作業は彼女の趣味なのだろうと刀夜は推測する。


「刀夜様ですね。御挨拶が遅れました。夫と息子の為にご尽力頂いたことに心から御礼申し上げます」


「いや、こちらこそお初にお目にかかります。お二人には何かとよくしていただき、恭悦に存じます」


 彼女が頭を下げてきたので刀夜も深々と頭を下げた。彼女はデュカルドの妻にしてカリウスの母親であった。


 刀夜は挨拶を交わしたが内心は複雑な想いでいる。何しろ最初はその息子に殺されそうになったのだから。


 しかも過去に色々と闇をもつオルマー家の人間なのだ。信頼を勝ち得ていなければ警戒すべき相手となっていただろう。


 彼女からその後の二人はかなりの上機嫌であることを教えてもらう。だが息子のほうは少々浮かれすぎて羽目を外しそうで困っているという。


 心配している心情を隠しきれない作り笑顔を浮かべると、息子を宜しくお願いすると頼まれた。


 彼女と別れて館へ入った刀夜は、先を歩いているハンスに訪ねると、どうやら今日呼ばれたのはそのことらしい。


 ハンスに連れられて2階へと上がる。ここの廊下ももう見慣れた光景だと刀夜は昔を思い出した。ハンスに捕まり地下で拷問を受けたあと、血まみれでこの廊下を引きずられたことだ。


 そのような廊下をハンスの後を刀夜はすたすたとついて行く。旅行から15日。刀夜はもう杖なしで早歩きできるほどに回復していた。


 マリュークスからもらった薬はそれほど凄かった。走ったり体をひねるような動作はまだ無理ではあるが、本来ならば何年もリハビリするような怪我だったことを思えば驚異的である。


 あの薬を現代で売ったら幾らになるだろかと思わず刀夜は考えてしまう。そのような邪なことを考えているうちにカリウスの部屋の前に到着した。


 部屋に入ると相変わらず装飾された剣がずらりと壁に並んでおり、その真ん中に刀夜が送った刀が飾られていた。どうやら今回は父親に奪われずに済んでいるようだ。始めて彼に送った刀は同じ剣マニアの父親に奪われたことを思い出した。


「おお、よく遊びにきてくれたな」


 カリウスは豪華な椅子に座ったまま、振り向きざまに上機嫌な声で刀夜を迎えた。


 声のぬしを見た刀夜は嫌な顔をあらかさまにする。カリウスの顔には魔女のような長鼻の付いた蝶々をあしらったアイマスクを着けていた。


 刀夜はあきれ顔でハンスに顔を向けると彼は困り果てた表情を浮かべていた。そういえばあのときも彼はカリウスの後ろで困った顔をしていたなと当時を思い出した。


 刀夜にとってそれは忘れるはずもない貴重な想い出である。彼が今つけているマスクは奴隷市場でリリアを巡ってカリウスと競り合ったときに使っていたマスクだ。


 そして彼がそのマスクを着けているということは……刀夜はハンスに尋ねた。


「連中はいつ来るのです?」


 ハンスは諦めぎみに答える。


「……予定では40日後だ」


 奴らがこの街に来るのだ。あの奴隷商人どもだ。母親が頼むといったのはこれのことだと刀夜は理解した。


「カリウス様……こんなスキャンダルを捕まれたらあなたの議員入りは取り消しですよ」


 刀夜は一応忠告した。だがこんなことは既にハンスや両親から言われていることだろう。


 それでも止めようとしないのは恐らく彼のフラストレーションがピークに達して現実から目を反らそうとしているに違いないと刀夜は予想した。


 ハンスも同じ考えだ。ゆえに命の危険を冒してまで議員入りに力を貸してくれた刀夜の言葉なら聞いてくれるだろうと願った。


「お、お主がそれを言うのか? お主はあの娘を買えたからさぞ楽しんでおるのだろうが、買えなかったわたしは欲求不満なのだぞ!」


 カリウスは怒っている様子だ。だが本音はでた。刀夜やハンスの思ったとおり原因は彼のフラストレーションである。


「であれば、せめて高級娼婦とかにしていただけませんか」


 高級娼婦ならば相手の秘密は守ってくれる。それに加え他の議員たちも利用している者は多いのでとやかく言われる可能性は低い。


 たが性奴隷はまずいのである。多くの街でもそうだが表上はそのような制度は認めていないのである。それが建前であることは皆周知であるが議員となれば立場というものがある。ライバルを蹴落とすのにこれ程格好のマトはない。


「分かっておらぬな。生娘が恥ずかしがって嫌々服従する。それを調教するのが楽しいのであろう」


 カリウスのその言葉にハンスは頭を抱えた。それは外道の所業である。


「――生娘…………」


 その言葉を聞いた刀夜の雰囲気は突如変わった。


 生娘――処女の女。リリアはいまだ処女である。性奴隷に落ちても商品価値としてそれだけは守られた。


 だがそれだけだ。リリアは一度だけ妖艶な姿を刀夜に見せた。刀夜はその時のショックをいまだ忘れたことはない。それは彼女が商品として教育を受けた大きな傷だ。


 嫌がる彼女の体にどれだけの男の手が回ったことか。想像するだけで反吐が出そうな気分に襲われる。


 忘れたい感情が一気に膨れあがるとドス黒いものが刀夜の心を染め上げてゆく。


 ハンスは刀夜から殺気を感じると思わず体を反応させた。包み隠さず放たれた殺意はカリウスをも恐れさせる。


 恐怖心に押されて彼は後退りすると椅子に足を取られると尻餅をついて痛みを伴う。だがそんなことなどどうでもよく刀夜のほうが怖い。


 出会った頃なら彼の殺意など意にも介さなかっただろう。だがもう刀夜がどのような人間なのかよく知っているだけに怒らせるととても怖いとカリウスは萎縮した。


「わ、わかった。奴隷、いや女遊びは止める! や、止めるからそんなに怒るな……」


 刀夜がなぜそこまで怒るのか分からなかったがとにかく彼が怖い。ハンスという腕利きが側にいても怖かったのである。


 カリウスの言葉に刀夜はハッとなって我に返った。気がつけばカリウスはもうしないと誓っていいる。よくわからないうちにカリウスの一件は片付いたらしい。


 その後、刀夜はエドに送ってもらい帰路についたが、どうにも黒い感情が押さえきれなかった。このまま家に帰れば晴樹やリリアにすぐ悟られてしまう。


 刀夜はエドに頼んで馬車を降りることにした。


 街のメインストリートを歩いて頭を冷やすことにしたのだが、どうしてもリリアの泣き叫ぶ姿が頭から離れない。


 そのため刀夜の注意力は散漫となり、彼は気づかなかった。フード被った怪しい者の尾行に……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る