第379話 引き裂かれる二人

 モンスター工場、正しくはボドルド魔法研究施設は山をくりぬいて作られた研究所である。その最上階に外庭と吹き抜けになっている駄々広い部屋がボドルドのいる部屋だ。このような山頂なので雨は降ることはない。


 現在の外気温は8度であり寒いときは軽く氷点下となる。だが吹き抜けのはずの部屋の中は常に20度が保たれている状態だ。


 研究所内も部屋ごとに温度は異なるが常に一定温度が保たれている。それは当然魔法により気温がコントロールされているためではあるがボドルドが去り、教団は壊滅、施設は破壊されつつある今徐々にその制御も失おうとしている。


◇◇◇◇◇


「ボドルド様!」


 扉を勢いよく開けたのはティレスだ。


 開けかたが龍児とまったく同じであることに刀夜は軽いデジャブを喰らう。


 ティレスが部屋を見回すとボドルドはすでにいなかった。代わりに先ほどのゴツい体の男と顔に大きな傷のある人相の悪い男が立っている。


「あれ? ボドルド様は?」


「あの男ならもう先に脱出した。お前も急げ」


 ティレスの質問に刀夜が答えたが、ティレスにしてみれば初対面の男だ。そのような馴れ馴れしく命令されるいわれはない。


「お前……」


「と、刀夜様!?」


 刀夜の顔を見たリリアが驚く。むろん彼の顔の大きな傷があまりにも衝撃的だったからだ。


 自分のいない間に刀夜の身に大きな事件が見舞われたのだと容易に想像ができる。そのようなときに自分がいなかったばかりか龍児と浮かれていた姿を見られたのでは怒って当たり前だ。


 リリアが今にも涙をこぼしそうな顔で刀夜の前に掛けてくると頭をさげた。


「申し訳ありません。あたしの不用意な行動のせいで刀夜様の気分を害してしまいました」


 リリアは深々と頭を下げて涙を溢した。そんな様子を見ていたティレスはこの男がリリアを助けたのだと分かった。そしてリリアの思い人であるとも。


 正直いってリリアの理想とは随分かけ離れているように見えるのだが、となると気に入ったのは内面なのだろうかとジロジロと見つめまわす。


「――リリア」


「はい」


「龍児との一件で君が謝る必要はない。それは俺の誤解だった。むしろ不安にさせていたなら俺のほうが謝らなければならん」


 刀夜の言葉にリリア胸の支えが取れた思いだ。笑顔を龍児に向けると、彼は親指を立てて説得できたことを彼女に報告する。


 とはいえ刀夜を説得するのは困難極めいていた。話は脱線し、互いの欠点を突いての罵倒の応酬。互いに不毛だと気がついたときには喉がカラカラだった。


 そして冷静に考えて、理屈一辺倒のこの男ですら恋愛ごとに関しては子供レベルなのだと気がついた。


 龍児は落ち着いて出来事を細かに説明し始めると、刀夜の頭も冷静をともりどし自分の見た記憶と照らし合わせた。


 すると確かに龍児のいうとおり辻褄があったのだ。キスしていたと思われたシーンは単に頭が重なっただけであり、口を交わしている所を見たわけではなかった。


 抱き合っていたシーンもその前に嫌がらせで押されたところは見ていなかった。


 むしろリリアが同じ魔術師にそのような嫌がらせを受けていたことに驚いた。そして龍児はそんな彼女をずっと守って約束を果たしていてくれたのだ。


 なのに誤解した挙げ句、龍児に八つ当たりをしてしまった。恥ずかしくて穴に入りたい気分だ。


「本当にすまなかったリリア」


 刀夜の言葉にリリアは安堵の涙を溢すが続く言葉に彼女は絶句する。


「君を縛っていたものはもう見受けられないようだし、魔術師という地位も得た。俺は君のお陰で色々助かって感謝している。これからは好きなように生きてくれ、君は自由だ」


 それは決別の言葉だ。いつか、いつか言われるであろうと分かっていても、直接本人から言われれば心が抉られるように辛い。


 ようやく手の届くところにまで来たのに、目の前に彼がいるのに、はるか遠くに感じた。


「刀夜!!」


 龍児が怒って睨み付けてくる。だが次に口を開いたのは意外にもティレスだった。


「こんな奴がリリアちゃんの思い人? 冗談でしょ?」


「なんだ、まだいたのか?」


「ちょ、失礼だね。いたら悪いのかい!」


 ティレスが膨れっ面で怒るが刀夜は毛ほどにも気にも止めずに会話を続けた。


「――龍児。俺たちの帰還が決まった」


「なに!?」


「ちょっと聞いてるの? 無視すんな!」


「次の新月の日だ。つまり10日後の正午から2時までの間しかチャンスはない。場所はマリュークスの囚われていた館だがそこから距離がある。だから朝のうちに皆を連れてくるんだ」


「か、帰れる?」


「あぁ、ボドルドとは交渉できた。だが肝に命じておけ、このチャンスを逃したら帰れないばかりか皆の命はなくなると。その覚悟と責任をもって皆を連れてきてくれ」


 龍児は刀夜の気迫にゴクリと喉を鳴らした。刀夜は真剣だ。本気で失敗すればみんなの命がなくなるのだと警告している。


 だが龍児に連れてこいということは刀夜は家に戻らないつもりなのだと龍児は気づく。


「おい、刀夜!」


「なんだ?」


「お前は皆の元には戻らないのか?」


「俺は帰還の手伝いがある。マリュークスの襲撃にも備えなければならない。いいか間違っても自警団を館に連れてくるなよ。奴らも俺たちの帰還には邪魔な存在なんだ」


「もし来たらどうなるんだ?」


「館の罠が作動してモンスターだらけとなる。相手していたら時間に遅れるし、場合によっては仲間が死ぬことになる。ゆめゆめ忘れるなよ」


 刀夜は龍児に後のことを頼むとティレスの背中を押してポータルゲートのある部屋へと入ろうとする。だがいい忘れていたことを思い出すと足を止めた。


「それと、拓真に伝えておいてくれ。アリスさんを守りきれなかったこと済まないと……」


「え? アリスってあの賢者の? 守りきれなかったって……お、お前!」


「多勢に無勢、もうどうにもならなかったんだ。許してくれ……」


 それは龍児には信じがたい話だった。付き合いは短かったがあの陽気でちょっと色っぽいお姉さんの彼女が死んだ?


 刀夜の言葉は短かったが話からモンスターに襲われてのことなのだろうと想像した。だがあの彼女が死んでもうこの世にいないなどとまったく実感が湧いてこない。


 龍児はアリスが亡くなったことに急には受け入れられず呆けた。


 刀夜はその件を長々と話すわけにもいかず再びティレスの背中を押して彼女を部屋に押し込んだ。


「ちょ、押すなよな!」


 ティレスが押されながらも文句を垂れるが、自警団が迫っているのでもうこれ以上の長居は無理であった。


「リリア! ボクはまだ諦めてないからね!!」


「――刀夜様ァ!!」


 リリアにしては珍しく鼓膜が破れるほどの大きな声で彼の名を叫んだ。刀夜はその声に答えるかのように振り向く。


「リリア元気でな。君が幸せになれることを向こうで祈っている……」


「…………!」


 最後に一言欲しかった。『愛している』『好きだ』どちらでも良いせめて最後にその一言が欲しい。たが、刀夜の最後の言葉にリリアはその願いを口にできなくなってしまった。


 扉の向こうへと姿を消してガチャリと扉が閉まるとリリアは再び膝が折れ、呆然と扉を眺め続けた……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る