第135話 孤独な戦い1

 北門を抜け、街道を突っ走る。


 門を守っていた兵士達と運命を共にするつもりだったリリアは今の状況が飲み込めずポカンとするばかりである。


 顔に生暖かいモノが滴り落ちたとき彼女はようやく我に帰った。そして助けてくれた兵士の顔を見た。それは見覚えのある顔だ。


「ミケーレ義兄さん!?」


 それはリリアの姉、クラリスの夫であった。深手を負ったのか、頭や腕のガントレットからも……至るところからかなり血を流している。


「お、義兄様。今すぐ回復魔法を……」


 だがミケーレは一言だけ彼女の耳元で囁やいた。


「君だけ……でも……いき……よか…………」


 ミケーレは最後まで言葉できなかった。意識が飛ぶと、ずるりと体が崩れてそのまま落馬してしまう。


「ミケーレ義兄様ー!!」


 リリアは馬に乗ったことはあるが、コントロールしたことはない。しかも全力疾走している馬に乗ったのは初めてである。


 リリアは馬の鞍のようにうつ伏せ状態となっているので振り落とされないよう鞍にしがみつくことが精一杯であった。


 過ぎ去ってゆく義兄あにの姿にリリアは再び涙した。大事な人々が次々と失ってゆく。こんな不条理が許されるのかと……


 だがリリアには悲しんでいる間すら与えてもらえなかった。


 背後からサーベルドゥワイトが一匹追跡してくる。黒豹のような姿に鋭い爪を備えている。襲撃してきたモンスターの中で最も足が早く鼻が効く。追跡者としてはうってつけのモンスターだ。


 このままでは追いつかれる。相手は馬より早い。こちらは人を乗せているため明らかに分が悪い。


 サーベルドゥワイトに追われ、どんどん森の奥へと入ってゆく。この辺りは道を外すと沼地になっており、非常に危険だ。


 しかも今走っている街道は途中までしかない。ヤンタルの街と交流がないのはこの為である。


 リリアは馬にしがみついていたポジションを変えて正規の位置に移動する。そしてあぶみに足をかけて体を固定した。


 リリアは考える。どうしたらアレを振り切れるのかと。


 プロテクションウオールがあればベストだが、まだ習得していない。手持ちの魔法で何とかならないか……義兄が命をして助けてくれたのだ諦めるわけには行かない。


 リリアは振り落とされないよう気をつけながら、おもむろに聖堂院の上着を脱ぎだした。そして脱ぎ去った衣服を額に当てて呪文の詠唱に入る。


「我が親愛なるベェスタの神よ、清らかな水をもちてこの衣の不浄なる汚れを取り除きたまえ。ミストスイーパー!」


 聖堂院の上着に水蒸気が立ち込め出す。上着を後ろにしてなびかせるようにした。だが彼女は手を離さないので水蒸気は後方へと四散する。


 サーベルドゥワイトは霧のような水蒸気の中、視界を奪われて匂いだけで追うコトとなる。リリアはタイミングを図って上着をサーベルドゥワイトに投げつけた。


 完全に視界を失っていたサーベルドゥワイトに突如布が覆い被さり転倒する。何事が起きたのかと慌てふためき、布を剥ぎ取った。


 そして再び追撃を行おうとするが後ろ足が沼に埋まっていた。


 視界を奪われ、嗅覚も奪われ、曲がり角に差し掛かっていることに気がつかず沼に突っ込んでいたのだった。


 焦り、這い上がろうとするが今度は前足が埋まってゆく。もがけばもがくほど沼に埋まり、サーベルドゥワイトはついに身動きがとれなくなってしまった。


 そんな一部始終をじっと見ていたものがいた。沼から顔を半分だけ出していたソレは音もなくゆっくりと沼に消える。


 サーベルドゥワイトが殺気を感じたとき、助けの声を一声鳴いただけで、あっという間に沼へと引きずり込まれて消えた。


◇◇◇◇◇


 どれだけ走っただろうか、すでに追手は撒いたようだ。義兄の馬も限界に達しようとしている。


 リリアは見よう見まねで手綱を引っ張った。すると馬は止まってくれる。馬を降りたリリアは馬の顔を撫でてお礼をいう。


「ありがとう……あなたのお陰で助かったわ…………」


 義兄を思いだして涙が流れた。そしてすでに朝日が登っていることに今更ながら気がついた。


 辺りは沼のある森の中で濃い水蒸気を朝日が照らして幻想的な雰囲気と描いていた。覆い茂った木と背丈の高い雑草が沼から生えている。


 地面のあるところは葉っぱや枝、小さな雑草だらけで倒木が所々にある。それらがまるで一色の絵の具の濃淡だけで描かれたような光景であった。


 朝から朝食もなしに働き詰めだった彼女はもう空腹で仕方ない。腹の虫が食料をくれと訴える。


 リリアは鞄をあさって非常食を取り出した。頑張ってくれた馬にも何かやりたいが、さすがに馬の食べ物までは用意していない。


 馬は沼の水を飲みだし、喉の乾きをうるおす。リリアは倒木に腰を掛けて辺りを警戒しながら食事をすることにした。そして朝日の差し込む方向から北の方向を求めた。


「確か、ヤンタルの街は北だったわね……」


 リリアは向かうべき方向を確認する。最初はハッキリしていた道もここまで奥に入るともう殆ど道として機能していない。


 非常食はそんなに多くはない。今後の事を考え、適度に食事を終えると倒木から腰を上げた。その辺りの草をんでいる馬の元へとゆく。


「ごめんね、ちゃんとしたご飯なくて……」


 急に寂しさが込み上げてくる。


 もう二度と街に戻ることはないだろう……多くの思い出の詰まったあの街へとは。家族の皆は大丈夫だろうか、母と姉があの潰れた家にいないことを願うばかりである。


 リリアは馬の首を抱き締めると撫でて呟いた。


「もうあなたと私だけね……」


 涙を流し震えるリリアに馬は顔を擦りつけた。同情し慰めてくれているのだろうか。優しい子だと感じたとき、馬の耳がピクリとする。


 突如頭をもたげると辺りを警戒し始めた。


「どうしたの?」


 馬の様子に気がついたリリアが問う。


 沼の水面が盛り上がったと気がついた瞬間、突如大きく長いものが馬に目がけて延びてきた。それは大きく裂けた口で馬の大腿部に鋭い牙で噛みつく。激痛に馬は驚いて鳴いて暴れた。


 リリアは飛ばされて尻餅をつくと襲ってきたものを見た。大きな亀のような形状、首を伸ばして馬に噛みついている顔は獰猛どうもうな面構えである。


 初めて見る獣である。聖堂院でもこんなモンスターは教わったことがない。


 馬は助けを乞うかのようにいななくがもう体半身は沼に埋まっており、沼の水に血が混じっている。


 もはや助ける術などない。


 リリアは驚きのあまり、起こった一部始終を見ていることしかできなかった。そしてあっという間にすべてが沼に引き込まれてしまった。


 信じがたいほど、あっという間の出来事だった。亀の大きさは馬よりわずかに大きいだけだが、重量は遥かに馬より重そうだ。


 それがあんなに機敏に動いて襲ってくるのだ。噛みつかれたら最後、助からないだろう。


 リリアはそう思うと回りにある沼のすべてが恐怖の対象のように見えた。


『ここにいたら私も殺される』


 リリアはソロリソロリと後退して沼から離れる。そして慌てて駆け出して逃げた。


 北へと北へと……

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