第136話 孤独な戦い2

『怖い怖い!』


 冷や汗がどっと吹き出す。


『いやだ、死にたくない!』


 乱れた呼吸は一気にスタミナを消耗する。


『く、苦しい!』


 だが背後に感じる恐怖が彼女の背を押す。


『足が痛い! 走りにくい!』


 生えている草が足をうっすらと切り刻む。


 どれほど逃げたのか、呼吸が限界に達すると膝を折った。四つん這いで全身で呼吸をする。


 少し落ち着くと立ち上がって辺りを見回してみた。どうやらいつの間にか沼は抜けていたようだ。腰ほどの背丈の雑草が至るところに生えており、木々はずいぶんと数を減らした。


 沼地を抜けたことでリリアはようやく安堵した。


 すると急に足の痛みが大きくなる。しゃがみこんで足の具合を見ると足は細かな切り傷だらけだ。だがそれ以上に靴の底が剥がれてベロベロになっている。


『道理で走りにくいわけだ……』


 リリアは縛るものがないかと探そうとしたとき、非常用の鞄を置いてきてしまったことに気がついた。


 青ざめて走ってきた森の奥を見つめる。取りに戻るなど自殺行為だ。


 なにか紐になりそうなものを捜すが、こんな森の中ではあるはずもない。


 リリアは取り敢えず痛む足に回復魔法を施した。その際に自分の服が目につく。聖堂院のインナー服である。


 青色のチャイナ服のような衣服なので袖は無いが前掛けと後ろ掛けは長い。これを利用できないだろうかと考える。だがこれを切り裂いたら……


 こことて安全とは言えないのだ。リリアは恥ずかしいがやむを得ないと意を決する。


 リリアは落ちている石の中から鋭利なものを拾った。そしてその石のエッジを刃代わりに使って、太もものスリットから生地を横に引き裂いた。


 前と後ろ両方を引き裂くと二本の布ができ上がる。それを靴の上から巻き付けて固定した。試しに歩いてみると足の裏に違和感はあるが歩くには十分だ。


 しかし下半身は下着丸出しとなるため、かなり恥ずかしい。もしここで人に出くわせば痴女と思われても仕方がないかも知れない。


 だがそのようなことはいってられない。鞄を失くした以上、早く街に行かなくては飢えてしまう。リリアは再び北へと向かって歩いてゆく。


◇◇◇◇◇


 ほどなくして彼女は森を抜けた。眼前には草原の大地が広がり、ずっと奥には再び森と大きな山々が見えると絶望しそうになった。


 左右どこを見てもヤンタルの街などない。


 リリアは最初っから間違っていたのだ。皆が北だ北だと言うので彼女は真北へと向かってしまったが、正確にはヤンタルの街は北東なのである。


 リリアが立ち尽くしている場所は、後に龍児達が自警団と初めて出会った場所のずっと南に位置していた。


「そんなぁ……」


 リリアは途方に暮れる。こんな場所から人里を探すのは困難であり探している内に飢えるか獣に襲われるだろうと思った。


 だが彼女は諦めるわけにはいかない。自分を逃がすために多くの人が亡くなったのだ。


 何か方法はないかと景色を見回した。するとリリアの目に山脈が飛び込むと閃く。山脈と森が流れるように左右に列なっているなら街道もあるかも知れない。


 リリアはまっすぐ北へと進んだ。空腹もそろそろ限界と感じたとき、彼女の予想通り街道が見えてきた。


「あぁ……やっぱり、これで助かるわ」


 リリアに笑みが戻る。これで馬車に拾ってもらえれば助かる。そんな期待を込めて歩き続ける。


 丁度、東から馬車の一団がやってくるのが見えた。リリアは間に合うように急いで街道へと走る。馬車よりも早く街道にたどり着くと大きな一本の木のふもとで馬車を待った。


 ただ下着丸出しなので変に思われないかだけが心配だった。


 馬車が近づいてくる。じっと見つめていたリリアはその一団に違和感を感じた。先頭に幌馬車が3台、その後ろに豪華なバス型馬車が1台、さらにその後ろ要塞のような馬車が連なっている。


 リリアは青ざめた。


 その一団はプラプティの街にはきたことはないので初めて見たのだが、噂では何度も聞いたことはある。


「ど、奴隷商人!」


 こんな何もない街道で手ぶらの少女が一人で下着を晒して立っていれば間違いなく狙われる。リリアは慌てて元きた方向へと逃げ出した。


◇◇◇◇◇


 一団の先頭馬車の運転席に御者ぎょしゃと全身黒づくめの男が乗っている。


 黒づくめの男は退屈そうに馬車の足場に足を組んで後ろの荷物に背中を預け、だらしなく座っていた。つばの広い帽子で顔をおおっているが別に寝ているわけではない。


 雇われ者として、ちゃんと仕事はしている。ただ長旅であまりにも退屈極まりなかった。


 黒づくめの男は帽子を少し持ち上げた。


「これは、これは……」


 帽子の奥の目にリリアが映る。


 彼女は下半身丸出しの恥ずかしい姿だ。なぜこんな所でそのような姿なのか疑問はあるが、そのような姿で必死に逃げる姿がなんとも滑稽こっけいに見えた。


「おい仕事だ」


「へい」


 顔が切り傷だらけの御者ぎょしゃが馬に鞭を入れると馬車は加速する。


「オメーら仕事だぞ」


 帽子の男は暴れる馬車を気にも止めず、後ろの荷台にいる連中に命令した。既に得物えものを手にしたゴロツキどもがニヤニヤと笑って返事をする。


 いつもと異なるシチュエーションの狩りに彼らの心は踊っていた。


 馬車は街道を外れて草むらを一気に突っ走る。ガタガタと揺れる馬車を慣れた感じで意にも留めず獲物をめがけて突き進む。


 そしてリリアの進む先に回り込むと急停車した。


 ゾロゾロとゴロツキが荷台から降りてくる。鎧などは着てはいないが手には短剣や斧を持っている。獲物を逃がさないように円弧状に広がって包囲網をあっという間に展開されてしまう。


 ニヤつく男どもに囲まれるとリリアは恐怖した。もう逃げ場はない……そう思えると彼女の心臓が今にも爆発してしまいそうだ。


「お、お願いです。許して下さい……」


 リリアは許しを願うがゴロツキどもは意にも介さない様子だった。そんな言葉など彼らが聞くはずもない。


 そしてジリジリと間合いを詰めてくる。一気に襲わないのは彼女の反応を楽しむためと、誰が取り押さえるか彼らの中で駆け引きが行われていたからである。


 視線と体の動作だけでやり取りが展開される。だが最終的な決定はリリアの行動次第であった。


 一番つまらない展開は彼女が抵抗を諦めたときである。彼等はリリアが抵抗し泣き叫ぶのを期待している。


 その為に展開している円陣にわざとスキを作る。隙間が大ければ大きいほど逃口として効果的だ。


 誰のどこにスキを作るか? 誰が取り押さえるか? リリアの挙動を見ながら随時、男たちの間で駆け引きが行われていた。

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