第23話 川辺にて

 刀夜は何かに引っ張られる感じがして目が覚める。


 赤井美紀と鎌倉梨沙が刀夜の両手を引っ張って水辺から引き上げていた。


 身体中ずぶ濡れだ。引き上げられた川辺は丸い石だらけでそこに横たわっているため背中が痛い。


「気がついたか?」


「八神君、大丈夫?」


 心配そうに顔を覗き込む二人に刀夜は、状況を整理した。


 美紀をかかえたまま崖から落ちて、しこたま背中を打ち付けた所までは覚えており、記憶通り背中は痛いが深刻な痛さではない。後頭部が痛いことから頭をぶつけて気絶したと判断した。


 そしてこの二人が生きているということは刀夜が空中で見たのは坪内七菜ということになる。


 刀夜は彼女の死を思い出す。一瞬見ただけだが彼女の恐怖とも悲しみとも言える目が忘れられない。


 自分の判断が正しかったのか分からなくなってしまった。ナイフを投げていなければ彼女は死ななかったのだろうか。


 だがその場合、尾根にいた皆はどうなる?


 もしかしたら誰も死ななかったのだろうか?


 水沢有咲はどうだろうか、逃走ルートだけ示してトラップなぞ仕かける必要は本当は無かったのではないか?


 自分の中で疑問が堂々巡りを初めていた。


 刀夜が目を開けたものの呼びかけに反応しない為、二人は顔を見合わせた。


「だ、大丈夫かな?」


「あぁ、ヤバい事になってなきゃいいんだがな」


「高さは6~7メートルぐらいあるよね……」


「それよか水深がやべーよ、あたしまだケツ痛いし」


 梨沙は四つん這いのまま、れたスカート上からお尻をさすった。


 刀夜に引っ張られて崖へと逃げたが衝撃波で飛ばされ、彼に握られていた手が離れた。


 刀夜は手を伸ばしていたが届かないと悟ると美紀を抱き締めるようにして水面に落ちた。お陰で美紀は大した怪我は無い。


 一方梨沙は空中で回転し、お尻から水面に落ちて川底でさらにお尻を打っていた。だが美紀をかかえていた刀夜と違って一人分で済んだため大事にはいたらない。


「打ち所、悪かったのかな……」


 そんな心配を余所に、刀夜は勢いよく上半身を起こした為、二人は何事と驚く。


「や、八神君?」


「お、おい大丈夫なのか?」


「……俺は……正しいのか、間違っていたのか?」


 刀夜のつぶやくような言葉に二人は意味が分からないと言った顔をする。


「……ええっとぉ……」


「体は問題ない。ただの打ち身だ。二人は大丈夫なのか?」


 話の繋がらない会話に二人はどっと疲れ、どこか頭のネジ一本外れたのかと思うのであった。


「あたしは大丈夫です」


「なんともねぇよ」


「ならいい。……びしょびしょだな……」


「――そ、そうね」


「どこから落ちたんだ?」


 刀夜が振り返って二人と顔を合わせると二人は慌てて胸を隠した。


「どうした? 寒いのか?」


「バ、バカ。わかれよな!」


 恥ずかしそうにする彼女達もずぶれであった。れた白いシャツは透けやすい。二人は色物のキャミソールを着用していたため、見事に透けていた。


「あ……そうか、すまん」


 刀夜は遅れて事情を察すると、顔を背けて再び崖側を見ながら立ち上がった。


「ヤツは……先生達のほうへ向かったのか?」


「そうなんじゃないか、あれから全然音がしないし」


「ふむ……」


 崖を嫌ったのか、それとも他の獲物が近かったのだろうかと思案を巡らす。だが今言えることはすぐにここから移動したほうが良いということだ。服や靴がずぶれで歩きにくいだろうが気にしている場合ではない。


 しかし彼の心の片隅に迷いが生じていた事を本人は自覚していた。これまで明確に指し示していた方向性がぐらついていた。


「これから、どうする?」


 刀夜の言葉に二人は驚いた。今まで相談などしてこなかった男が尋ねてきたからだ。


 だが二人には刀夜の中に迷いが出ていることなぞ知るよしもない。これまで散々彼に重荷を背負わせたことを思い出すと自分で考えなくてはならなかった。


「と、取り敢えずこのれた服を何とかしたいなぁ。服を乾かしてから川を下るのはどうかな?」


 美紀の言葉に刀夜は目眩を感じた。これまで散々な目にあっているのに、まだそんな平和ボケなことが言えるのかと。


「あたしは、皆と合流したいわ」


 梨沙の意見は分からなくともないが現実的ではないうえに具体性が無い。しかも向こうには巨人がいる可能性が高い。


 刀夜は結局のところ、迷いがあっても自分の考えを通すしか無いように思えた。


「あの、八神君ならどうするの?」


 美紀の問いに刀夜は自分の意見を述べる。


「川を下るという赤井さんの意見に賛成だ。ただ服を乾かしている暇はないと思う」


「でも~乾かさないと靴がれて移動しづらいよぉ」


「それは分かるが煙を立てるのはまずいし、いつ巨人がこっちに来るかわかったものじゃない」


「あ、そうか……」


 乾かすには火を炊くしかない、となれば煙が立つ。わざわざ巨人を呼び寄せているのと同じである。


 それに加えて場所が悪い。ここでは奴が現れたら逃げる場所がない。いま刀夜達がいる川辺には大小様々な石や砂利ばかりで少し奥に雑草が生い茂るが隠れることはできない。どこも見通しが良すぎる。


 隠れるには奥の木々が生い茂る場所まで逃げる必要があるがここからでは遠い。


「合流は無理なのか?」


「まず先生達がどこにいるか分からない、探している暇はない。それに二人とも崖を登れないだろ」


「まぁ……確かに」


 三人が落ちてきた崖は川沿いにずっと続いており、到底登れそうになかった。


「それに山をさ迷うよりは確実に皆と合流できる場所を目指したほうが良いだろう」


「え、それは何処どこなの?」


「あ、街だね」


 刀夜は美紀がその答えにたどり着いたことが少し嬉しかったのか彼女にうなずいた。ただし、街への道のりは相当厳しいだろうと刀夜は覚悟をする。


 見えたと言っても殆ど蜃気楼しんきろうのように見えただけなのだ。距離がまったく分からないのである。長距離を移動するには装備が必要だ。


「八神」


「何だ?」


「こういう状況だから、あたしの事は梨沙って呼んでいいよ。いざって時に呼びやすいほうがいいだろう? それにあまり鎌倉って呼ばれるの好きじゃねーんだよ」


「わかった、俺も刀夜でいい」


「じゃあ、あたしも美紀って呼んでいいよ」


 刀夜も確かに『鎌倉さん』とは言いにくかった。まるで地名を呼んでいるような気分になってしまうからだ。呼んだ相手の顔が大仏に見えてくるような気もしないでもない。


「刀夜って変わった名前だよな」


「爺の趣味だ」


「変わった爺さんだな」


「ああ、変わり者だ」


 三人は出発の準備をする。鞄もれてしまって中はぐしゃぐしゃだ。だがビニールの袋やポーチに入っていたものは無事である。


 果実も無事だったのは幸いであった。もし潰れていたら鞄の中はもっと悲惨になっていただろう。


 刀夜は剣を失っていることに気がついた。落とした場所は恐らく川の中か崖の上の可能性が高いので、これは諦めるしかない。


 使える武器は短剣が二本だけとなって一本を梨沙に渡した。


 川沿いを進んでいくが大小様々な石は学校の上履き程度の靴底では結構痛い。痛みに耐えて歩いていると意識がそちらに向いてしまうために必然的に黙々と歩いてしまう。


 耐えかねた美紀が話題をふってきた。


「そう言えば山で遭難したとき、尾根を歩けとよく言うよね。どうしてなの?」


「そういや逃げるときも尾根沿いに逃げろって言ってたよな」


「理由は色々あるが、今回の場合は位置を把握するためだ。元々遭難しているようなものだからな、視界は広いほうがいい」


「じゃあ、谷は視界が悪いからダメなのぉ?」


「今回はそうだが、谷ってのは削られてできた地形だ。崖など危険な所が多い。実際落ちただろう?」


「……あー確かに」


「ん? じゃぁあたし達こんなところを歩いてちゃダメじゃん」


「川を泳いであの崖を登るのか?」


「……無理です」


「それに徹夜で下山したから、もうかなり降りてるはずだ。上から見た景色では……あと20キロぐらいかと思うぞ」


「にっ! ……キロォ……」


「大丈夫だ1キロなんか10分ちょいだろ」


「刀夜……お願いだからあたし達を女子として扱って……」

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