第22話 巨人の驚異2

 刀夜達を見失った巨人はそこから動こうとはせず、静かに辺りを見回してターゲットを探している。


 刀夜は自分がくぼみに落ちて巨人の死角に入ったことを悟ると、地面に伏せながらも美紀を引き寄せて奥へと身を隠した。


 巨人は腰を下ろして低い姿勢で探している。プレッシャーで息が苦しい。巨人の放つ威圧感は恐ろしく、誰でも感じとれるほどだ。


 美紀は必死にそんな恐怖に耐えている。だがあまりの緊張に息が荒くなり、体が震えだして自分でもどうすることもできない。


 刀夜は密着した体越しに彼女の状態を感じとると騒がれないように口にそっと手を当てた。


 巨人はさらに頭を下げて地面すれすれに木の間から刀夜たちを探し始める。


 距離は近い、恐ろしいほど近い。


 刀夜の心臓が激しいほど脈を打つと、それは美紀の背中越しに彼女へと伝わる。


 巨人の顔が近くなる。


 臭い息が落ち葉を飛ばして刀夜の上で舞った。


 刀夜の太ももに生暖かい感触が流れてきてジャージをらし始める。美紀は恐怖心と恥ずかしさで涙をボロボロ流しだすと刀夜の手もらす。


 刀夜は臭いでバレないかと冷や汗を流した。


 だが恐怖に耐えかねたのは、最も遠くに逃げていた坪内七菜であった。そのまま隠れていれば助かったかも知れないのに彼女は落ち葉の影から這い出ると、悲鳴をあげて尾根側へと逃げ出してしまう。


 先生達がいる方向へと逃げたいのだろうが、あのように派手に動けば当然巨人に見つかってしまう。


 巨人のターゲットが彼女へと変わった。そして追いかけだす。


 その様子を刀夜は静かに聞き耳を立てて巨人との距離を見計らう。十分に距離が空いたのを感じると立ち上がり、美紀を抱き立たせた。


「逃げるぞ!」


 だが彼女の足はガクガクと震え、濡れた足が内股となって動けそうにない。刀夜は仕方がないと美紀の横から腰に手を回し、彼女の腕を自分の肩に回して支えながらも無理矢理走らせた。


「走れ! 死ぬぞ!」


 刀夜の言葉に押されて美紀は千鳥足でも無理に足を動かした。やがて徐々にほぐれてきたのか駆け足になってゆく。


 落ち葉に埋もれて隠れていた梨沙が状況を把握して顔をだした。人気を感じて振り向けば、すぐ側に刀夜達が逃げてきている。


「鎌倉、走れ! 逃げろ!」


「八神! で、でも――」


 刀夜達の逃げる方向の先には地面が続いていなかった。そして小川の水の音が明らかに違う。


「くッ、崖か!? だがもうやむえん!」


 刀夜は梨沙の手を掴んで走り出すと巨人が刀夜達を見つけた。再び七菜を見るとどちらを追うべきか迷いが生じたのか足を止めた。


「そうだ、悩め、足を止めてろ! そうすれば彼女にもチャンスが――」


 刀夜は巨人がそのまま迷うことに期待を込めたが、巨人は迷わなかった。その場で大きく両手で構えたハンマーを持ち上げる。


「クソ! 来るぞ!!」


 巨人のハンマーが降り落とされると大地を打ち付け、発生した衝撃波に刀夜達は襲われた。離れていてもその威力はすさまじく、落ち葉に足を取られて再び吹き飛ばされた先は崖であった。


 刀夜は崖から落ちる刹那せつな、目があってしまう。


 崖から舞う大量の落ち葉に紛れて飛んでいた誰かの首を……。落ち葉の隙間から涙にれた恐怖と無念に駆られた片目は刀夜を見ていた。まるで刀夜を恨んでいるかのように見ていた。


 刀夜達が落ちた先は幸いにも大きな川だった。だが水深が深いわけではない為、刀夜は水面に激しく体を打ちつけたあと、川底にも体を打ちつけて気を失ってしまう。


 智恵美先生と他の生徒達は尾根道を逃げようとしていた。だが巨人は木の枝を払いのけながら谷底から上がってくる。


 このままでは鉢合わせになるため、やむをえず刀夜達とは逆の方向に逃げざるをえなかった。


 委員長と先生が誘導して龍児が皆を先導する。


 しかし彼らの選んだ逃走ルートは崖の岩肌が多くて曲がりくねっており、思いのほか時間がかる。当然巨人に追いつかれる結果となってしまった。


 息を殺して岩肌に隠れる。


 巨人は辺りをウロウロと歩いて先生達を探す。時折臭いを嗅いでいるのか削げ落ちた鼻をスンスンと音を鳴らしていた。


 巨人がそっぽを向いている間にゆっくり進む。振り向けば隠れて息を殺す。一歩一歩ゆっくりと進む。だが完全に足が止まってしまった。


 これ以上隠れて進める場所が無くなったのだ。


 まだ巨人との距離は稼げていない。だが400メートルほど進めばまた巨大な岩がゴロゴロと転がっていてまた隠れて進めそうであった。


 龍児が意を決して突き進もうとしたとき、青ざめた俊介が彼を止めた。


「まって、彼女を下ろして」


「お、おう……」


 龍児は何事かと腰を深く下ろす。


 俊介は彩葉の顔にそっと手を当て彼女の容態を確認する。そして悲痛な面持ちで涙をこぼすと彼は彼女の膝元に崩れ落ちて声を殺して泣いた。


 智恵美先生が慌てて彼女の脈を計ると彼女はすでに亡くなっていた……


 彼女の状況を察したクラスの皆も涙をこぼし始める……


「お、おいなんだよ。じょ、冗談なら……よせよ……」


 彩葉を背負っていた龍児だけが状況を理解できず、雰囲気だけで嫌な予感を感じ取った。ぐすりと鼻を鳴らして委員長が龍児の肩に手を当てた。


「龍児君、ご苦労様。もう彼女は下ろしていいよ……」


 目に涙を浮かべて委員長は彼の苦労を労った。だが龍児は屈辱だった悔しかった。


「う、嘘だろ。こんな、こんな最後なんて……」


 龍児は本気で彼女を助けるつもりだった。ウジウジと告白もできない中溝俊介は好きでは無い。だがチャンスぐらいは作ってやりたかった。


 なのに彼女は誰にも看取られず自分の背中で息を引き取ったのだ。龍児は悔しさを込めて岩肌を強く叩きつける。


「さ、龍児くん」


 委員長が促す。だが龍児は首を振って彼女を下ろそうとはしない。


「――いや、彼女は連れていく」


 龍児の目は本気だった。


「りゅ、龍児君、いくら君が凄ヤツでもずっといつまでも背負って逃げるなんて不可――」


 思わず大声になりそうな委員長の口を颯太が塞いだ。


「見つかっちまうぞ、それにこうなったらコイツは止まらねぇよ」


「――龍児君その役、僕にやらせてよ」


 そう重い声をかけたのは俊介だった。


 だが運動部でもなく、決して体格の良いと思われない彼にそんな事をやらせるのは適しているとは思えない。


 だが彼の目は本気だった。たとえ死しても好きな人のことは自分が面倒をみたい。中溝の男気を感じた龍児は何も言わず彼女を降ろした。そして俊介が彼女を背負う。


「さあ、行こう」


 龍児が岩肌の影から巨人の様子を伺い、タイミングをはかる。巨人が奥を向いた瞬間、龍児の合図とともに皆が飛び出してゆく。


 だが50メートルほど走った所で俊介は突如向きを変えて巨人の方向へと向かいだした。


「え!? な、中溝くん!」


 驚いた由美の声に皆が一斉に振り向くと、俊介は巨人を回り込むように走りって皆と離れようとしていた。皆が唖然あぜんとする。だが彼が何をしようとしたかすぐに分かった。


「あ、あの、バカ……認めねぇぞ! そんな事させる為に譲ったんじゃねぇ!!」


 おいかけようとした龍児を皆が一斉に止める。


「だめだ、龍児! もう間に合わねぇ!」


 颯太が叫ぶのと同時に俊介は巨人に見つかってしまった。巨人が彼に向かっていく。


「バカな……バカな……なんで…………」


「龍児頼む走ってくれぇ! みんな全滅してしまうぞ!!」


 颯太の悲痛な叫びに皆も声を揃える。


「お願い龍児ィ!」

「走ってぇ!」

「龍児君!」


「うッうううッ――」


 涙を堪えて龍児は岩場のあるほうへ走り出す。泣き声とも雄叫びとも言えない複雑な声を上げた。彼らが岩場に着いたとき背後でハンマーの激しい音が響いた。


 龍児は止まらずにそのまま岩場を進む。


 皆は置いていかれないようにするので必死だった。やがて巨人は見えなくなったがそれでも龍児は止まらない。さすがに苦しくなった先生が彼を止めに入る。


「ちょ、ちょっと、龍児く――」


 突如、龍児が止まったため先生は龍児の背中に埋もれてしまい、反動で後ろに痩けそうになった所を由美が受け止めた。


 龍児は静かに獣から奪った腰の剣を抜く。


 皆は龍児の横から前を見るとそこには猪のような面をした二足歩行の怪物がいた。


 体は全身茶色の毛に覆われていかにも猪と言った感じだが頭は虹色の鶏冠とさかを有している。身長は黒い獣と同様低いが体はガッシリしていて手には石斧のような武器を持っていた。


「く、前門の猪、後門の巨人かよ!」


 颯太が悪態をつく。だが颯太は凄まじい殺気を横から感じて身震いをした。


 恐る恐る龍児を覗くと、彼は今までに見たことも無い鬼の形相をしているではないか。颯太は初めて見た龍児の表情に「ひぃ」と腰を抜かす。


 無謀にも気迫の声を上げて龍児が猪達に突っ込んでゆく。


「ま、まて龍児!」


 晴樹も剣を抜いて加勢しようとしたが、龍児の迫力の前に足が前に出なかった。


 晴樹は驚いた。ジュニア全国常連の自分が前に出られない。獣に対してでは無く龍児の気迫に完全に呑まれてしまったことに驚いた。


 龍児の剣術はデタラメだ。


 だがその突進力と破壊力はまるで除雪車のように次々と獣を蹴散らしていく。剣が血だるまになると敵の武器を奪い、彼の勢いは止まらない。


 晴樹と委員長は打ち漏らした獣と対峙するがその数は少なかった。


 龍児がようやく止まったとき、そこには十数体の獣の残骸が横たわり、龍児は返り血でドロドロになっていた。


 フゥーフゥーと肩で息をする龍児に、その場に居合わせた皆は何が起こったのかと呆然ぼうぜんとする。


 龍児はやり場の無くなった怒りを天に向けて狼のように吠えるのであった。

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