第139話 刀夜の背負ったもの

 窓から朝日が差し込んだ。


 いや既にといったほうが適切かもしれない。刀夜が起きると一緒に寝ていたはずのリリアの姿がない。彼女がどこか手の届かない場所にいってしまったような、そんな不安にかられた。


「リリア! リリア!」


 刀夜は慌ててベッドから這い上がると部屋の扉を開けた。リビングを見回すと台所でリリアが朝食の準備をしている。彼女の姿を確認できたことで刀夜はほっと安堵のため息が漏れた。


「あ、刀夜様。おはようござます」


 そこには今までどおりのリリアがいる。元気な声で、誰もが魅了されそうな愛らしい笑顔を向けていた。彼女の笑顔に刀夜の脳裏に『演技』の文字が過る。だがそんなわけはない昨日確認したはずだと。ここにいるのは本当のリリアなのだと刀夜は自身に言い聞かせた。


「あ、ああ……おはよう」


 リリアに声をかけると彼女は再び朝食の準備にいそしむ。ギリギリ聞こえるぐらいの鼻歌を奏でて、どことなくいつもより上機嫌なような気がした。


 少し冷静を取り戻すと辺りから視線を感じとり、視線をそちらへと向けると他の女子が唖然とした表情で硬直している。なにか見てはならないものを見てしまったといったそんな顔だ。


「――あ……」


 刀夜は自分の上半身が裸であることに気がつく。これではまるで昨日リリアと何かあったかのうようではないかと恥ずかしさがこみ上げてくる。全身真っ赤となると慌てて扉を閉めて部屋へと戻った。


 ベッドに腰を掛けて「ハァ……」と大きなため息をつき、項垂うなだれて落ち込む。『何かあったのよう』ではない『何かあったのだ』と昨夜の一件を思い出してしまったのだ。


 情に流されたとはいえ、とんでもないことを約束してしまった。元の世界に帰る前に彼女から奴隷という名の錠を外してやらないといけないのはこれまでどおりではあるが……


 刀夜はリリアの左手に刻まれた刻印を取り除くことができれば彼女の心も自然と良くなるだろうと思っていた。その程度にしか思っていなかったといっていい。


 だがリリアの心の傷は遥かに重いものだった。考えが甘かった……性奴隷がこれ程とは思いもよらなかったのだ。彼女の精神は極細のクモの糸に立っているようなものである。舵取りを誤れば彼女の心は壊れる可能性があることを見せつけられた。


 刀夜の中に沸沸ふつふつと怒りがこみ上げてくる。あの奴隷商人の髭男に対しての殺意だ。沸き上がったドス黒い感情は奴等を地獄に叩き込んでやらないと治まらないそんな気がした。


 心がどんどんと殺意で満ち溢れてくる。ふと鏡に映った自分の顔を見て刀夜は焦った。


『俺はなんて顔をしているんだ……』


 醜く歪んだ顔に、そして自分の心に驚く。自分の心の奥底に醜いものが住み着いているのを感じた。嫌でも思い出される幼少期の悪夢……


『愛など許されるはずもない……』


 刀夜は集中して平常心を取り戻す。そしてリリアに朝食の用意ができたと呼ばれると急いで服を着て部屋を後にした。


◇◇◇◇◇


 リビングではすでに朝食の用意ができており、皆が座って待っている。刀夜もいつもの席にすわると隣にいるリリアがお茶をカップに注いでくれた。


「ありがとう」


 改めて朝食を見ると心なしかいつもより気合いが入っている。手のかかる料理が目につくと刀夜の腹が鳴り、体が彼女の料理を欲した。よくよく考えれば昨日の朝食以降から何も食べてないのだった。


「いただきます」


 食してみると二つの相乗効果によって涙が出そうなほど旨い。


 だが料理の味とは裏腹に食事は物静かに黙々と進む。昨日、あのようなことが起こってなんの説明もなく床についたので皆は刀夜の話を待っているのだ。


 重い雰囲気に舞衣が咳払いをした。刀夜に話すよう促したつもりだったのだか、口を開いたのは別の人物であった。


「ねぇ、刀夜くんは昨日……お◯ん◯ん、立たなかったの?」


 美紀のとんでも発言にスープを飲んでいた刀夜とリリアが吹き出す。唖然とする舞衣の箸からすり身団子がボトリと落ちた。


 周りは完全にドン引きだ。


「ちょっと、美紀! うら若き乙女が朝っぱらから『お◯ん◯ん』とかいうんじゃないよ!!」


 思わず梨沙は突っ込みを入れた。朝っぱらからするような話ではないし、そもそも聞くところはそこじゃないと。


「り、梨沙……」


 晴樹が困った顔で彼女をたしなめる。梨沙は自分の発言にハッっとすると赤面して縮こまってしまった。


 不覚、まさか自分の口から『お◯ん◯ん』などと言ってしまうとは。それもよりによって彼の前で言ってしまった。


 梨沙は恥をかかされたと元凶となる美紀を睨んだ……が美紀は見向きもしない。


「ああ、すまない。昨日の試験で……多分試験の影響だと思うのだが辛い過去を思い出してしまって――あんなことになった。試験は気を効かせてもらって延期だ」


 刀夜は美紀の発言を無視して、皆が聞きたがっていることを説明する。責任を感じてしまったリリアは落ち込んでしまった。


「それは分かったわ。でもちゃんとリリアちゃんに対して責任を持てるのでしょうね?」


「え?」


 なにやら急に話がとんでしまい、刀夜は舞衣の言っていることが理解できないでいた。刀夜はリリアに手を出してなどいない。困惑している刀夜に梨沙が捕捉する。


「昨日の夜の話、丸聞こえだったの……」


「え?」


 冷や汗がダラダラと流れる。こともあろうにあの恥ずかしいセリフを聞かれたというのだ。刀夜は穴があったら入りたい心境である。


「あんな薄壁一枚じゃ、ヒソヒソ声だって聞こえるわよ」


 梨沙は説明しながらも昨日の二人のセリフを思いだして赤面する。


「せっかくの初エッチのチャンスを勿体ないナァ~」


 先ほどから余計な話をする美紀に対して、刀夜は堪忍袋の緒が切れそうになる。だが彼の怒りが爆発する前に梨沙の拳骨が先に火を吹いた。美紀の頭をポカリと殴りつける。


「うぐぅー」


「美紀さん。デリカシーなさすぎです」


 殴られながらも笑う美紀に反省の色は見えない。


「話が脱線しそうだから結論だけいうと、あたしたちも協力するから一人で抱え込まないでって話よ」


 舞衣は照れ臭そうにした。面と向かってこんなセリフをいうのは気恥ずかしかった。


「あ、ありごとうごいます」


 心配している皆にリリアがお礼を言うと、彼女は再び笑顔を取り戻した。


「いっそのこと結婚しちゃえばぁ~」


 まったく反省していない美紀の頭に梨沙と舞衣の拳骨がとんだ。

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