第138話 妖艶のリリア

 水晶玉に手を添えて虚ろだったリリアの目から涙が溢れた。突然、恐怖の声を上げるとリリアは後ろに倒れ込んでしまう。


 一体何がおきたのかと、その様子に驚いた審査員は席を立った。


 刀夜は慌ててリリアの元に駆けると倒れている彼女の上体を抱き上げて彼女の意識を計る。


「リリア! リリア!」


 声を掛けると虚ろだった彼女の目に光が戻っていた。刀夜の顔を見るとくしゃくしゃの顔で再び大粒の涙を流して彼にしがみついた。


 胸に顔を埋めてわんわんと泣き散らす彼女に刀夜は訳がわからず困惑する。


「どうやら、辛いことを思い出させてしまったようじゃな……」


 審査員の爺さんが申し訳なさそうに謝る。彼らはプラプティの悲劇を知っている。だが、その後のリリアの身に起きた悲劇までは知らない。それは刀夜も。


「……実技試験は延期にしましょう」


 プラプティに行ったことのある審査員が延期を申し出た。刀夜もさすがにこの状態で試験の継続は無理だと感じた。


「お願いできますか」


「事情が事情だ。特例を認める」


「ありがとうございます」


 リリアは刀夜にしがみついたまま離れようとしない。仕方なくナタリーに馬車を呼んでもらう。一度家に戻って彼女を落ち着かせたほうが良いと刀夜は考えた。


 プラプティの悲劇、そしてリリアの身におきた絶望、それは刀夜には計り知れるものではない。


 刀夜は苦しむリリアになんと声をかけてあげれば良いのか分からなかった。哀れむことと背中を擦ってあげることぐらいしか思いつかない自分を不甲斐ないと呪う。


◇◇◇◇◇


 家に戻った刀夜は両手でリリアを抱え込み、器用に足で家の扉を開けた。初めてリリアを抱きかかえたが彼女は思いのほか軽るかった。


 刀夜の胸の中で子猫ように丸まっている彼女は泣き止んではいるがしがみついた手は離そうとはしなかった。


「と、刀夜!?」


 刀夜の突然の早い帰宅に晴樹を初め皆が驚く。だき抱えられたリリアをみてただ事ではないと感じた舞衣が掛けよってくる。


「ど、どうしたの? リリアちゃん!」


 刀夜は手を差しのべようとする舞衣の横を急いで素通りした。


「精神的なショックだ。彼女を寝かせる」


「試験はどうなったんだ?」


「延期だ」


 晴樹の言葉にも振り向きもせず、一直線に寝室へと向かった。心配する美紀が扉を開けてくれた。


 刀夜は静かにリリアをベッドへと下ろす。しかし彼女はしがみついた手を離そうとはしない。


「リリアもう大丈夫だ。家だぞ……俺達の家だ……」


 気の効いたセリフも言えずに陳腐ちんぷな言葉しか出なかった。それでも彼女は離してくれず、刀夜は困りはてる。


 リリアを心配して舞衣、美紀、梨沙が部屋に入ってくると、刀夜は助けてくれと言わんばかりの困った顔を向けた。


 舞衣が再び彼女に声をかけた。


「リリアちゃん。刀夜が困っているわ。どうしたの?」


 しかしリリアは顔を刀夜の胸に埋めたまま首を振った。舞衣もさすがに手の打ちようがないといった感じだ。そこに晴樹が扉から顔だけを出した。


「落ち着くまで、今は二人きりにさせてあげたほうがいいんじゃないかな?」


 晴樹の提案に無言でそのほうがよいかと三人は顔を見合わせると出ていこうとする。


 だがこんな状況にどうして良いか分からない刀夜は焦った。刀夜は晴樹に口パクで『助けてくれ』と助けを求める。


「刀夜、今日は彼女の好きなようにさせてあげなよ」


「…………」


 そうアドバイスすると彼は扉を閉めた。二人だけ……気まずい雰囲気が漂う。


 ともかくリリアに覆い被さるような体勢だけは疲れるので何とかしたい。彼女に体重が乗らないよう腹筋に力を入れているがそれも限界だ。


 刀夜は逃れようと試行錯誤するが、それは結果的に添い寝のような状態が一番楽な姿勢となってしまった。


 仕方なく添い寝の状態で彼女の頭を撫でる。


 やがて刀夜はそのまま寝てしまった。


◇◇◇◇◇


 刀夜が目を覚ますともうどっぷりと夜中であった。


 月明かりが窓から差し込み部屋を照らしている。


 刀夜は下半身に重みを感じた。視線をそれに向けると刀夜の上に股がるように人影があった。リリアだ。


 彼女の聖堂院の服はずいぶんと乱れている。どうやら上から羽織っているだけのようだ。そして体半分を月夜に照らされ、虚ろな目を向ける彼女はどこか妖艶ようえんな雰囲気をかもしだしている。


「リリア?」


 どこか様子がおかしい……


「――刀夜様……」


 刀夜は自分の上半身が脱がされていることに気がついた。『彼女がやったのか』そんな疑問が沸く。しかし、なぜこのようなことをするのかと不吉な予感がした。


「刀夜様……抱いて下さい……」


「!!」


 リリアは羽織っていた聖堂院の上着をはだけさせると彼女は生まれたままの姿を晒した。月明かり照らされた彼女の体は美しく柔らかそうな肉付きをしている。


「私は刀夜様が思っているほど清純ではありません……私は汚れています。汚されたのです……」


 リリアは手のひらで刀夜の頬を撫でてくる。


 その寂しげな目は何かを捨て去ろうとしているような、自暴自棄に落ちたかのようにも見える。彼女が奴隷に落ちてから、どれほど酷い目にあえばこうなってしまうのだろうか。


 変わり果てたリリアの姿に刀夜はショックを受けた。刀夜は性奴隷に関しての認識の甘さを痛感した。


「や、止めるんだリリア……」


 その言葉にリリアはさらに悲しそうな目を向けた。


「どうしてですか……刀夜様にとってもうこんなけがれた女は抱く価値もないのでしょうか?」


「違う、そうじゃないんだ」


 彼女を抱いても心の傷がいええるはずもない。なんの解決にもならないどころか、より傷を深めるだけだ。


「では、また清純な乙女を演じたほうがいいですか? そのほうがそそりますか?」


 刀夜は再び衝撃を受ける。今までが演技だというリリアの言葉が信じられない。


 ドジを踏んで焦る姿も、恥ずかしげに顔を赤めることも、ちょっとしたことで見せてくれた無垢むたくな笑顔もみんな演技だというのか!


 いま見せている妖艶ようえんな姿が本当だというのか!


「違う、断じて違う!! 君は演じてなんかいない!」


 刀夜はリリアの両肩を掴み、真剣な目で彼女に訴えかけた。


「いいえ、演じていました。貴方好みの女として捨てられないように。そうです。捨てられないように演技したのです。貴方に捨てられたらあたしはもう……にどと……」


「演じているのは今だろ!」


 刀夜の目から涙が溢れ流れる。滅多に泣き顔など見せたことのない人が泣いている。自分のために泣いてくれている……


 そんな刀夜の必死な姿にリリアはたじろいだ。


「な、なにを根拠に……」


「じゃあ、なぜ君は泣いているんだ?」


 リリアはハッとして頬に手を当てると濡れていた。


 泣いていた自分が!?


 リリアは自分の状態すら分かっていないことに驚く。


 刀夜は上半を起こし、リリアを両手で包んだ。彼女をしっかり引き寄せて体が密着すると互いの体温を全身で受け止め合う。


「君がどれほど辛い思いをしたのか俺には分からない……だけど自分を壊すようなことはしないでくれ。君の心が癒えるまで必要なら側にいるから……」


「……嘘よ! だって帰る方法が見つかったら帰るのですよね? そしたらあたしは……だったらせめて今だけでも幸せを感じさせて下さい…………」


 刀夜にとって一番痛いところを突かれた。だが彼女もこのままにはできない。


「リリアが必要としてくれているかぎり側にいる。絶対だ」


「……嘘」


 リリアはボロボロと涙を流した。押し殺していた感情が押さえられなり、しゃくり声で声を出して泣く。


「……あ、あたしが一生、ッで…………いっだら……ずっとなのですよ…………」


「ああ、構わない。その時はずっとだ」


 刀夜はリリアの髪を撫で、背中を撫でる。優しく。愛しいように…………


「ど……して……こんな奴隷に……やざしく…………ですか」



「君を人として接する……最初に約束した……俺は二人だけの誓いだと思っている」


 リリアは刀夜と出会ったときのことを思いだした。あのとき手を掴んで刀夜は約束してくれたことを。以来、彼はずっとその約束を守ってくれている。


 その言葉を最後にリリアは刀夜の胸の中でただただ泣きながら謝った。


 疲れていたのか、気が緩んだリリアはそのまま眠りについた。


 キスの一つぐらいしてやったほうが良かっただろうか?


 『愛している』といったほうが良かっただろうか?


 そんな考えが過ったとき、刀夜は自分の顔を殴った。


 違う。それは無責任だと自分自身に言い聞かせる。刀夜はリリアのことが好きだ。だがそれは『気に入っている』とほぼ同意の感情だ。その程度の気持ちで彼女に手を出すのは彼女への侮辱ぶじょくだ。


 刀夜は月明かりに照らされた自分の両手を見た。そもそも自分は人を愛することも愛されることも許されない身なのだったと自身のことを思い出した。


『そう、そんな資格。俺にはない……』


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