第183話 奴隷基準

 帰還の幌馬車の中で刀夜はまるで永遠の眠りにでもついたかのように眠っていた。呼吸も脈も正常に戻ったが意識だけはまだ戻らない。


 背中が痛くならないよう毛布を三重に敷き、暴れる荷台に頭をぶつけないようリリアの膝枕の上で眠る。そんな刀夜の寝顔を見ながらリリアは彼の髪を撫でたりくったりしてみた。


 時折、イタズラ心を掻き立てられると普段見れることのない刀夜のもう顔半分をのぞきたくなる。


 髪の毛をそっと払うと、ごく普通に同じ顔が現れる。髪が短いほうが似合うのに……思わずそんなこと思ってしまった。


「長い1日だったわね、今日は疲れたわ」


 唐突に一緒に乗っていた由美が声をかけてきた。この馬車には贅沢にも少量の荷物と刀夜、リリア、由美の貸し切り状態である。


「みんな無事で良かったです」


 由美は刀夜の容態は無事と言えるのだろうかと思ったが、彼女のことだから『死なずに』という意味なのだと思った。


 だが由美はべつにそのような会話がしたかったわけではない。皆が気を使ってリリアと刀夜の二人だけにしていたのに、わざわざこの馬車に乗り込んできたのは彼女に聞きたいことがあったからだ。


「リリアちゃんは刀夜と暮らしてて楽しい? イヤなことされてない?」


 由美にとって刀夜は依然得体の知れない相手という印象が拭えなかった。一見大人しそうに見えてかなり強引な性格をしている。おまけにどこかドス黒い印象がある。


 なのにリリアはなぜそのように彼に好印象なのか不思議でたまらなかった。今回の戦いでも彼女は最も危険な最前線立たされたのだ。


 それも聞くかぎり刀夜はついてくるのが当たり前のような感じで、彼女に意見すら聞かなかったという。


「はい楽しいです。綺麗な服を着させていただいてるし、一緒に食事させていただいたり、毎日お風呂も入れるし、ふかふかベッドに寝れるし、奴隷なのにこんなにしていだだけるなんて思っても無かったです」


 彼女の観点は奴隷基準だ。


 そのような物を基準にしていたら、ちょっと優しくされただけで『いい人』となってしまうではないか。


「リリアちゃん、単刀直入に聞くけど、あなた刀夜の事どう思っているの?」


「刀夜様は大事なご主人様です」


 実も蓋もない返事である。由美の意識は一瞬どこかへ飛ばされそうな気分だ。


「そーゆー事聞いてるんじゃ無いわ、『愛しているのか?』って話しよ」


「ええっ、そ、そんな身の程にも無いこと…………」


 リリアは巨人との戦いにて刀夜に対する自分の気持ちを知ってしまった。魔術師としての地位を得ても彼女は奴隷の呪縛から逃れてはいない。それが枷となり、素直に気持ちを口にできなかった。


「刀夜が殺されそうになったとき、どうして危険を犯したの? あれでは貴方も死んでいたわ」


 由美のいっていることはよく分かる。魔術師としての地位を得た以上、以前のように主人を失った後の危惧はほぼ解消されたといって良い。


 主を失った性奴隷の末路は悲惨である。最も失わなかったとしてもやがては悲惨な未来しかない。しかしその未来を刀夜は変えてくれたのだ。


「私は、刀夜様を失ったらもう生きていけそうにないから……」


 刀夜の仲間は彼女を奴隷と知っても優しく接してくれる。刀夜のように約束はしていなくとも当たり前のように人として接してくれる。


 それはそれで嬉しいがリリアにとって刀夜は何に変えることのできない特別な存在なのだった。


 リリアが今の地位を得たのも毎日が楽しくあるのもみんな刀夜が命を張ってくれたお陰なのだ。


 競り対決で自分ごときに貴重な古代貨幣を使ってくれた。


 自分のせいでカリウスから命を狙われても彼は戦った。


 屋敷にて奴隷扱いされたときに剣を振るおうとしてくれた。


 魔法試験の夜、自暴自棄となった自分に真剣に向き合って優しく包んでくれた。


 たとえそれらが自分のためであったのだとしても……こんなに嬉しいことはない。



「リリア? リリア?」


 突如、刀夜の声がした。回想にふけていたリリアははっとして我に返る。


「す、すみせん」


「疲れたようだな、今日はこの辺りにしておこう」


 刀夜はリリアを気遣って早めに切り上げることにした。何しろ彼女は家事や刀夜の介護、魔法の勉強に帰還の調査と大忙しである。


 若いとは言え疲れは溜まる。せめて自分の体のことがなければと、刀夜はリリアに申し訳なく思っていた。


 リリアはリリアで刀夜の大事な調べ物の最中に集中力を欠いたことを恥じていた。やってしまった。失敗した。なんたる失態。刀夜にあきられていないかと心配になる。


 無論刀夜はそんなことで怒るはずもなく、リリアを気遣って帰ることにした。

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