第59話 傭兵家カール

 そんな由美に拍手をしながら傭兵の男が近づいてくる。


「すばらしい、なんと美くしい事か! まるでメェルスの神が降臨なされたかのような美しさだ」


 メェルス神は愛と美の女神の事である。男が女性を口説き落とすときによく使われるが、本来は菜園の女神であったこともあり、この地では最も信仰者が多い。


 由美は女神の事や口説き文句の事を知るはずも無かったが、軽薄そうなその男を警戒する。


 年齢は傭兵としては最も油が乗った30台ぐらい。整った顔立ちはいかにも女性が好みそうである。髪にややくせ毛があるがその金髪は傭兵を生業としているとは思えぬほどキラキラとしている。目尻はやや垂れているが睫毛が濃いのでかなり印象が強く感じられた。


 皮鎧に小さな盾と剣、背中にはクロスボウ背負っているこの男の名はカール・グリフォード。今回の傭兵の中では最も実力が高い。


「なんですか?」


「君の弓の扱いに感服したのだよ。実に美しいフォームだった」


 彼は警戒した由美にそう言ったが、メェルス神の名を出した段階で彼女を口説いていたのは明白だ。


「それはどうも」


 彼女はそっけなく言葉を返す。話し方といいどうにも好きなれそうにない男だ。彼の目にはどこか余裕があり、悪くいえば見下しているようにも見えなくもない。


 『感じの悪い男だ』それが由美が感じた第一印象だった。


 由美は使い慣れていないこの異国の弓を早く使いこなしたく、さっさと彼との会話を終わらせたかった。そんな彼女の気も知らずに男はずけずけと口を挟む。


「私はカール・グリフォード。お名前は?」


「――由美」


「オゥ『ユミ』。まるで矢を射るのが運命のかのようなすばらしい名前だ。先ほどの華麗な出で立ちは、矢を射ると言うには動作の一つ一つにまるで神が舞い降りたかのように精緻せいちを極めていた」


 さすがに由美もこの男は自分を口説くつもりなだと気がついた。いきなり初対面の相手を口説きに来るなどなんと無礼な男かと腹を立てる。


 だがその事を一々面と向かっていうのが面倒なので態度で示す。彼を無視してわざとらしくそっぽを向くと、再び弓を構え矢を放つ。


 気分を阻害された由美の矢は的を大きく外れて湖の中へと消えてゆく。


 洋弓と和弓の違いを考慮し、ちゃんと要点を押さえているはず。なのに矢は大きく反れた。マトを外したのはこの無礼な男のせいでは無く自分のメンタルが弱いせいだ。


 その事で余計に由美は自分自身に腹を立てた。だがカールのせいでないと分かっていても苛立ちをその男にぶつけた。


「練習の邪魔なので消えていただけませんか」


 消えてくれとは彼女としてもかなりキツい言葉を使ってしまった。言い過ぎかと思ったが、カールは気にもせずに『ハイハイわかりました』と言わんばかりに両手を軽く上げて下がった。


 だがカールは近からず遠からずと言った距離を置いて腕を組んで彼女を笑顔で見ている。カールは彼女に『見ているぞ』とプレッシャーをかけたのだ。


 当然由美にそれは伝わる。『嫌な男』そう思いつつ再び弓を構えるが再び苛立ちがざわめく。頭の中にはイライラが、心はモヤモヤとしていて今にも爆発しそうだ。


 彼女は弓を降ろした。深く息を吐くと2歩下がって正座をした。背筋は見事なまでに真っ直ぐで、両手は膝の上で軽く拳を握る。


 静かに……それでいて深く深呼吸をする。


 彼女は再び目を見開き、立ち上がるともとの位置で弓を構えた。鋭い眼差しはマトと風だけを見ている。矢が放たれると中心を逃したものの見事にマトを射ぬいた。


 これにはカールも驚く。僅か一分ほどで彼女は乱れたメンタルをコントロールしてしまったのだ。


 カールには彼女が座ったことでメンタルコントロールしたのは分かるが具体的に何をしたのかが分からない。由美は日々の練習と同じ動作、つまりルーティーンでメンタルをコントロールしていた。


 カールとしては彼女が外してまた絡んでくれることを期待していた。その為にプレッシャーを与えたのだから。


 カールの目的は彼女を口説き落とすこと。だが話してみれば彼女は気の強い女であったため即座に作戦を変更した。


 インパクトを与えてカールという男を彼女の心に刻みこむ作戦だった。悪評など後からどうにでもなることを彼は知っていたからである。


「エクセレント! お見事! なんと妙妙たる腕前。実にすばらしい」


 カールは本気で彼女を称賛する。だがまたしても声を掛けてきたこの男に由美の機嫌は悪くなった。


「このカール・グリフォード。心より貴方に謝罪する。貴方は気高いお方だ。どうか許されよ」


 カールはまるで貴族の謝罪かのようなポーズで彼女に謝る。


 どこまでもキザったらしいこの男はいつもこの調子なのだろう。この世界の女性にはそのような振る舞いも受けるのかも知れないが、日本で育った由美には大道芸に見えてくる。


「いいわ。お陰で早くコレをモノにできそうだから……」


 由美の言葉にカールは満足したのか、再び頭を下げて幌馬車のほうへと下がった。


「フハハハ、落としのカールでもダメだったか」


 同業者の男にカールは降参の手を上げた。


「いやはや、あれは中々の者だよ。落とすのは相当時間がかかるね」


「まだ続けるのか?」


「いや、止めておくよ。他の娘を落としたほうが楽だ」


 同業者の男は他の女子を見て他にカールの好みの子がいるか探してみた。だがそれらしいのは見当たらない。


「他に気になる子でもいたのか?」


「いや、いないから次の街で探すよ」


 カールは再び由美をみると懸念を過らせた。彼女は多分人を殺したことなど無いだろうと。彼女の美しすぎるフォームは実戦に揉まれたことがないとカールは見立てた。


 もし山賊が現れたら……果たして彼女は撃てるのかなと……

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