第185話 由美は失望する
――夕刻のメインストリート。
多くの店舗は店をたたみだして、買い物客はもういない。こんなにも広い道だっただろうかと錯覚に囚われる。
魔術図書館からの帰り道、刀夜とリリアはそんな石畳の道を歩む。
「時忘れの部屋とはよく言ったものだ。早く切り上げたつもりだったのに、すっかり遅くなってしまった」
刀夜はリハビリと称して松葉杖で歩き、疲れて車椅子に座ると再び松葉杖で歩くことを繰り返す。二人の歩みは遅く、ゆっくりと時が流れてゆく。
リリアにとってこの刀夜との二人の時間が大事だった。刀夜の仲間と暮らすようになってもう結構な日数が経っており、家にいると中々二人っきりになれない。
だからといって彼らが邪魔なのかといえばそうでもなく、彼らとの生活はとても楽しい。刀夜と同じく皆は奴隷ではなく一人の人と接してくれることが嬉しかった。二人が出会ったあの日の約束を刀夜はずっと守ってくれている。
だがリリアにとって刀夜の存在はもう主人の領域を越えた特別なモノとなってしまった。
いつか本当に別れる日がくるのだろうか……
刀夜との約束は彼が帰る日まで彼を助けることである。彼が約束を守ってくれている以上、リリアも守らなくてはならない。
「だけど…………」
リリアは懸命に歩こうとする刀夜の背中を見つめながらボソリと
「刀夜君!」
突然、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「由美?」
振り向き、夕日に照らされた彼女の顔をみた。先程まで訓練でもしていたのか、自慢の長い髪はポニーテールのままだ。そんな彼女の表情は少し驚いているように見える。
「もう歩けるの? 体のほうは大丈夫なの?」
「ああ、おかげさまで」
由美は刀夜が歩けることに驚いていた。最も刀夜からすれば立っているのがやっとで3歩や5歩程度を歩いている言えるのかと疑問ではあったが。しかし由美にしてみれば刀夜が立っているだけでも凄いと思えた。
「この間はすまなかった」
「え? どうしたの?」
何か謝られるようなことがあっただろうか? 思い当たる節がない由美は首を傾げる。刀夜はそんな彼女の様子をみて言葉を足した。
「リリアから聞いた。討伐の帰り道中で気を失った俺を二人で介護してくれたと……」
由美はようやく思い出した。だが取り分けお礼を言われるほどのことはしていない。むしろあのときはリリアのことが気になって一緒の馬車に乗っただけで刀夜の介護はほとんどリリアがやっていた。
由美はリリアとのやり取りを思い出してしまい、リリアのほうをチラリと見た。目が合ったリリアはペコリと頭を下げた。釣られて由美も頭を下げる。
「リリアちゃん、ちょっとだけ刀夜貸してね。すぐ返すから」
「はい…………?」
由美はリリアににこやかな顔を向けた。どんな話かは分からないが言い方からして聞かれたくない話なのだろうとリリアは刀夜の車椅子を押して離れた。
由美は彼女が十分離れたのを見計らう。
「一体なんだ?」
なにか深刻な話かと刀夜は身構えた。
「舞衣達に聞いたのだけど、あなたリリアちゃんの気の済むまで一緒にいるって言ったそうね」
刀夜はそのときの話を思いだすと面と向かって彼女の顔を見れなくなった。後ろめたさを感じて視線を反らして返事をした。
「…………ああ、約束した」
「この先どうするの? あたし達帰るんでしよ、あの子あたし達の世界で生きるの難しいわよ。それとも貴方は帰らないの?」
由美の危惧は痛いほど分かっている。だが刀夜は決めている。
「爺さんのこともあるから帰るつもりだ。それまでに彼女には自立を――」
「刀夜君! あなた……リリアちゃんはあなたのこと……」
由美は再びチラリとリリアのほうを見た。彼女は二人の会話を聞くまいと離れて後ろを向いてくれていた。
「リリアちゃんはあなたのこと愛してるわよ……」
それは薄々分かっていた。だが刀夜はそれを受けることはできない。
「惚れた腫れたなんて一過性のものだ。いずれ醒めるさ……」
「と、刀夜君。あ、あなた…………」
由美はゾッとした。それが刀夜の気持ちなのかと。もう少しマトモな男かと思っていた。ここまでネジ曲がっているとは……由美は落胆する。
美紀達の話からてっきり彼もその気があるのかと思っていた。だがそれは彼女の思い込みだった。他人事なのになぜか泣きたくなる。
「そう……」
由美は一言そういうと唇を噛み締めた。だが刀夜がそのつもりなら……由美は意を決する。
「好きな人ができたら一生添い遂げたいと思うものよ。リリアちゃんがそう思えるようにしたのは貴方でしょう!」
「一方的な思いにまで責任があるとでも?」
「一方的じゃないでしょう!」
「どこが?」
「リリアちゃんと約束したのよね、側に居るって!!」
「だから俺は――」
二人が言いあいを始めるとさすがにリリアの耳にも入ってきた。原因はどうも自分のことと解ると気が気でならない。
由美も刀夜と言い合いなどするつもりなどなかった。だが予想外の答えが帰ってくると、もうどうにも我慢ならなかった。
「あなたがそのつもりでも、責任はとるべきよ!!」
由美が強く言い切ったとき突然、背筋が凍りつきそうな気配を感じた。
それは刀夜も感じた。
二人が横に振り向いたとき、そこには鬼のような形相で壁のような男が差し迫っていた。
すでに構えられていた右拳が火を吹く!
刀夜の顔面に叩きつけると彼は吹き飛ばされて殴られた口から血しぶきを
「……龍児……くん……え?」
突然の出来事に由美は目を見開き固まった。リリアもわけがわからず目を丸めて唖然とする。
龍児の怒りの形相は収まりを見せていない。顔中の血管を浮き上がらせて、全力で走ったのか大きく息をしている。
このままでは再び刀夜に襲いかかりかねないと由美には感じられた。
「あ、あのね、違うの、刀夜君とは別に争っていたわけじゃ……」
由美はてっきり刀夜との言い合いが原因で彼が怒っているのだと思った。だが龍児が怒っている理由はそれではない。呼吸を落ち着かせるためにゆっくりと息を吐くと刀夜に近寄る。
リリアはハッとして急いで刀夜の元に駆け寄った。両手を広げて立ちはだかるように龍児を睨んで刀夜を庇う。
龍児の目からはまだ殺気が溢れている。二人を見下ろすが、彼の見ている先は刀夜だ。
龍児は刀夜を指差す。
「俺は……お前が嫌いだ! 大っ嫌いだッ!!」
龍児はそれだけ言い放つと背を向け、待っていた颯太と夕日の中へと去っていた。
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