第109話 見習い賢者アリス

 拓真は再び涙を流して布団に覆いかぶさった。


「おんやぁ~やっと起きたスかぁ~」


 部屋の扉から女性が顔だけを覗かせていた。オレンジ色の派手な髪がまるで寝癖のように横にビンビンに跳ねている。好奇心旺盛な目はランランに輝かせて拓真をねっとりと見ていた。


 見られている?


「きゃあぁぁッ!」


 拓真は裏返った声で奇声をあげると慌てて布団に潜りこんだ。なにしろ彼は全裸である。


「今更隠したってアンタ助けたときに、もう全部みちゃったッスよ」


 女性は拓真のあわてふためく姿に苦笑しながら部屋に入ってきた。


 真っ先に拓真の目についたのは彼女の身長だ。龍児よりは低いが明らかに自分よりは高い。この世界にきて彼女ほどの長身の女性を見たのは始めてだ。


 ヤンタルの街の女性は日本人女性より大きい人が多く、まるで欧米人のようであった。だがそのような人たちと比べても彼女は大きく感じられた。


 彼女の身に着けている翡翠色をした魔術師の服はやや年齢に見合わないヒラヒラとした衣装で、若者向けというよりはコスプレのようで痛さを感じる。しかしながらこの妖精が住んでいそうな部屋には妙にマッチしている。


「まったく身体強化魔法使ってなんとか運べたけど結構重かったッスよ。感謝するッスよ」


 彼女はドヤ顔で自慢するが拓真はこれまでの世界観と異なる状況に唖然とするばかりであった。森を抜けた際に出くわした自警団の中にも魔法使いはいた。


 だが全体としては中世と近代ヨーロッパ足して割ったようなこの世界からはあまり魔法の要素を感じられなかった。だがこの部屋といい彼女といい今の状況はまさしくファンタジーワールドそのものである。


「ねぇ、あたしだけ喋ってたら会話が成り立たないんだけど、もしかして喋れないんッスか?」


 呆然とする拓真に彼女は顔を寄せて人差し指で彼の額を突っついてみる。


「あ、いや……助けていただき、ありがとうございます」


 拓真の頭は混乱したままだったが条件反射でお礼をいう。だが頭の中には智恵美先生と咲那の顔が過った。そうここには自分しかいない。彼女の話からも二人のことは何も語られていない。


 二人は……


「あ、あの……私以外にも二人の女性がいませんでしたか?」


 唐突な質問に彼女は動揺しそうになる。二人の女性のことは知らないが心当たりはあった。


 彼女が拓真を見つけたときは彼一人であった。川の岩場で丁度水がゆっくりと対流起こしているところに引っ掛かっていたのを発見した。


 すぐさま引き起こして水を吐き出させて、師匠より教わったことのある心肺蘇生法にて拓真は命をとりとめた。


 そもそも普通ならば立ち寄ることのないあのような場所へ赴いたのは、彼女の師匠が物見で拓真たちの危険を察知して指示を出したからだ。


 そのとき師匠の言葉は複数形となっていた。しかし指定された場所には拓真しかおらず、辺りを探しても他の者は見つからなかった。


 その後に師匠からすでに亡くなっていることを告げられた。彼女の責任ではないが、そのことで彼女は助けてあげられなかったという後ろめたい感情が沸いた。


「……残念だけど、アンタを見つけたときはアンタ一人だったよ……」


 彼女は申し訳なさそうにして拓真との目線を反らした。その様子で拓真は微かな望みが絶たれたことを感じる。


 あの暗闇の中で激流に巻き込まれれば只では済むはずがない。


 咲那は運動音痴の上に体力はあまりなく、智恵美先生にいたっては斬り付けられている。泳ぎの得意な拓真ですら溺れたのだ。二人の生存は絶望的だ。


 拓真は再び失意の中に落ち込んだ。そんな彼にどう声を掛ければよいのかと彼女は困り果てる。


 拓真は落ち込みながらも彼女に再びお礼をいった。


「……助けていただき、ありがとうございます」


 まるっきり覇気の無い声であったが、それでも彼が気丈に声を出したのだと彼女には分かった。


「あたしはアリス・ウォート。24歳。アンタの名前は?」


「……拓真、河内拓真。……17」


「オーケィ。タクマだね。すぐに元気だせとは言わない。でも生き延びたのなら皆の分まで頑張って生きないとダメッスよ」


「……はい」


 正直なところ今の拓真には何のために生きるのかその意味を見いだせない。二人を守りきれず、龍児たちとははぐれて元の世界に戻る術もない。


 気がかりなのは両親と、二つ下の妹とペットの犬の家族のことだ。


「――あー、ちなみに本当の意味で君を助けたのはこの家のあるじ、賢者マウロウ・ベンハー様ッス。あたしはその弟子でここの居候ッス」


「マウロウ……賢者?」


 思わずペットの犬と同じ名前に拓真は反応してしまう。それに加えて賢者というのも気になった。もしかして知識人の賢者の事なのだろうかと。


 であれば飛ばされてきたことや帰る方法について何か知っているかも知れない。気落ちしていた拓真の心に光がさし込まれたような気持ちになった。


「そう、後で紹介するッス。アンタの面倒をみるよう言われているから何でも言って欲しいッス。とりあえずお腹空いたでしょ。スープでも持ってくるッスよ」


「ご迷惑をおかけします……できれば服も……」


「わかった、わかった」


 恥ずかしそうにする拓真をみてアリスは苦笑しながら部屋をあとにした。

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