第108話 彼女の犯した罪
山賊達が近づいている。
怖くなった
「……い、いやぁ……」
先生の表情がさらに険しくなると、恐怖のあまり両手で髪を鷲掴みにする。そして歯をガタガタと鳴らしだすと涙をボロボロと溢した。
拓真はまた先生がパニックになると思い、彼女の手を掴んで引っ張った。
「早く隠れましょう! 『山賊』どもがやってくる前に!」
「いやああああぁぁぁああぁぁあーッ!!」
彼女は『山賊』の言葉に反応してしまい、再びパニックに
「先生……せんせ……センセ……」
咲那がか細い声で涙を浮かべながら必死に智恵美先生に呼びかける。
「こっちだ!!」
遠くから山賊の声が聞こえてきた。もう隠れることもできなくなった拓真は戦うことを選択せざるを得なくなった。それしか選択肢はなかった。
山賊達がくる方向に剣を構えて待ち受ける。二対一。おまけにこちらは負傷しているうえに二人を守らなければならない。あまりにも分が悪すぎる。
「見つけたあああああ!!」
「ひょう!」
山賊達は既に馬から降りていた。駆け寄って拓真たちを確認すると、まるでふざけて遊んでるかのような挑発を行う。
だがそのとき、その場にいる誰もが思いもよらない出来事がおきた。咲那が宙に浮いたのである。
足場の無い崖の上で。
彼女は暴れる先生に降り落とされたのだ。
落ちてゆく刹那、咲那は長い前髪の隙間から目を覗かせて先生を心配していた。涙を溜めて、それでも先生を助けようと健気に手を差しのべ続けていた。
智恵美先生はそんな彼女を見たとき、我に帰ってとっさに手を伸ばす。だが空しくも彼女の手は空を掴み、咲那は崖下の暗闇へと消えてゆく。そして闇の中から川に落ちる音だけが聞こえた。
智恵美先生はまるで魂が抜けたかのように呆然として、すでに居ない彼女に手を差しのべ続けている。
震える足が一歩前に進むと下半身が一気に脱力して膝が折れてしゃがみこんでしまった。
自分が何をしでかしてしまったのか、取り返しのつかない過ちを受け入れずにいる。
これは夢だ。夢であって欲しい……
自責の念に囚われた先生は手を下ろさない。下ろせなくなっていた。崖の上の幻の咲那を助けようと必死に手を伸ばす。現実を受け入れられずに彼女の時は停止してしまった。
「こ、このぉアマァ! なんてことしやがる!!」
獲物の一人を失った山賊が怒って彼女に近寄ってゆく。せっかく危険な闇の中を追いかけてきたというのに、これでは旨味は半分だ。
「せ、先生!!」
彼女に危険が迫り、拓真は声を上げた。
「よそ見してる場合かぁ!」
拓真と対峙していた山賊の剣が振り下ろされると、それを慌てて受ける。だが一度受け身に回った為に拓真は反撃に転じられなくなり、防御一辺倒となる。
空手の体裁きで良い位置は取れるが、慣れていない剣では攻撃に繋げられない。対して相手は不利な位置取りでも手慣れた様子で拓真をいたぶりにかかる。
智恵美先生に近づいた男は彼女の髪を引っ張って無理やり立たせた。
「獲物が減った分はテメーが頑張ってもらわにゃなぁ」
山賊は先生の胸元をまさぐって興奮する。彼女の豊満な胸を小汚ない男の手がもて遊ぶ。
「うひょー、こいつはすげぇ」
だが智恵美先生には男の声も姿も見えていないかのように、ただ崖へと手を伸ばすばかりであった。
「先生! やめろぉ!!」
拓真は振り向いて彼女を侮辱している男に怒りをぶちまけようとするが、対峙していた男に逆に斬りかかられた。咄嗟に左腕でガードしてしまい、上腕と腕に刃が食い込むと腕の骨がミシリと音を立てる。
拓真は血を流して倒れると勢いで転げてゆく。ゴロゴロと転がって彼女に近寄る。不自然な転がりだ。
智恵美先生を捕まえていた男が拓真の企みに気がついてハッとするが時遅く繰り出された拓真の蹴りで吹き飛ぶ。
拓真を斬り付けた山賊が再び拓真に切りかかろうとするが今度は剣で受け止めた。
激しくぶつかる金属音が耳を突く。相手は容赦なく両手で剣を押し込んでくる。片手の拓真は力負けして押されてゆくも必死に耐える。
「ぐぬぬぬぬぬッ!」
咄嗟に相手の腹を蹴って跳ね除けた。
腕から激痛が走るが直ぐに立ち上がると先生を侮辱した山賊の顎を蹴り上げた。立ち上がろうとする隙を突かれて再び転がされた。
「先生! 逃げましょう!!」
拓真は彼女に声をかけるが耳に届いている感じではない。
再び拓真を切りつけたほうの山賊に襲われた。
その表情は完全に怒り狂っている。振り下ろされた剣を拓真は受け止めるが両手の力にはかなわなず押された。山賊は一気に拓真の剣を押し跳ね除けると吹き飛ばされた拓真が尻もちをつく。
飛ばされた剣が岩に当たり金属を奏でて勝ち誇った山賊は大きく剣を振り上げた。
「死ねえぇぇぇぇぇ!」
拓真は振り上げられた剣を見て殺されると感じた。
殺意のこもった剣が振り下ろされる。
死ぬ!
死にたくない!
拓真の体が恐怖で硬直する。
そのとき彼の目の前に人影が割り込んだ。まだ乾いていない涙をこぼして虚ろながらも拓真の前に立ちはだかる。
拓真の目に彼女の背後から鮮血が飛び散ったのが見えた。
「……拓真……く……」
彼女は精一杯の笑顔を浮かべると両手を伸ばして倒れてくる。
「先生ええぇぇぇ!!」
彼女を支えた右手からぬるりとした生暖かい感触が伝わってくる……おびただしい出血。
「う、うわああぁぁ、ダメだ! 死んじゃダメだぁ!! 死んじゃ……」
「い……き……て……」
耳元で先生が囁くと急に彼女の体がずしりと重くなって中腰だった拓真はバランスを崩した。もつれ込むように地に倒れたとき拓真の背後、上半身には地面の感覚が無かった。
拓真がギョッとしたとき崖端の地面が崩れて拓真と智恵美先生は抱き合うように暗闇へと落ちてしまう。
その後は川に落ちて暗闇の中で訳が分からないまま溺れた。以後の拓真に記憶はない。
ただ分かっていること、それは智恵美先生は最後に正気に戻って自分を助けてくれた。そして先生と咲那を助けることができなかったこと。
悔やみきれない思いがただただ募ってゆく。
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