第335話 勘違いという名の失恋

 あんなに慕ってくれていたのになぜだ?


 守ってくれるやつなら誰でも良かったのか?


 刀夜は表通りから外れて人混みから逃げた。建物の隙間に入って動揺している心を落ち着かせようとする。


 だが胸の奥底から込み上げてくるものが苦しくて苦しくてたまらない。それは発作のよあな呼吸困難ではないが、胸が締め付けられるような苦しさだ。


 悲しみ、悔しさなど様々な感情が渦巻く。


 ――裏切られた?


 よくよく考えてみればバカな話である。元々リリアを遠ざけようとしていたのは刀夜のほうである


 元の世界に帰る際に彼女は連れてゆけない。したがってリリアには奴隷という足かせから抜けて一人立ちして欲しい。そう願っていていたはずなのだ。


 ゆえに彼女が刀夜の元を去ってゆくのは喜ばしいことである。最もその先が龍児では本末転倒のような気もするが、それでも彼女は一歩踏み出したと言える。


 そもそもリリアの事を恋人かのように勘違いしていることのほうがおかしいのだ。


 さあ、彼女の独立の日だ。門出を祝おう!


 彼女を祝福して送り出すのだ!


「――しゅくふく…………なんて、できるかァッ!!」


 刀夜は側に置いてあった木箱を蹴り飛ばした。中に入っていた瓶が散らばり、地面に叩きつけられて割れると大きな音がした。


「おいおい、にーちゃん大丈夫かよ」


 刀夜に声をかけてきたのは自警団の服を着た三人組である。制服に施された刺繍はビスクビエンツの自警団である証だ。


「やかましい! オレに関わるな!」


「なんだとコイツ。優しく言ってやればつけあがりやがって。こっちとら自警団だぞ! ぶちこまれたいか?」


 刀夜が振り向くと三人はビクリとする。体格でいえば自警団の三人にほうが厳つい。だが刀夜の顔の傷のインパクトはそれ以上に大きかった。


 しかし自警団たる者そんなことで臆するわけにはいかない。


「きさま、ぶちこまれたいのか!?」


 男は刀夜の肩に手をかけると刀夜はその手首を掴む。ギリギリとまるで万力のような握力で締め上げてくる。


「!!」自警団の男は驚いて刀夜の手を払いのけた。


「こ、こいつ握力が半端ねぇ!」


「俺は今気が立っている。邪魔するなら容赦しないぞ」


「ぬかせ!!」


 刀夜と自警団の男とでケンカが始まった。彼らは自警団だけあってプライドがあるのか一対一でのケンカとなった。


 さすがに目が引くので通行人は足を止めて野次馬となりはてるとヤジを飛ばしだした。押し寄せる彼らを残った二人の自警団が近寄らないよう止めた。


「なんでしょうか?」


 リリアも騒ぎに気がついたが、背の低い彼女では様子が分からない。代わりに背の高い龍児が覗き込む。よく見えないがどうも野次の声からケンカだと分かる。


「ただのケンカだな」


「止めなくてよろしいのですか?」


「ああ、いいさ。みんな決戦が近いから気が立ってるのさ。血の気の多いヤツはああやってガス抜きするといいさ。どうやら自警団もいるらしいしな。大丈夫だろ」


「そんなものですか……」


 まさかケンカの相手が刀夜などと二人はつゆも知らずその場を去ってゆく。


 ケンカはすぐに自警団からの一方的なものとなり刀夜は殴り倒された。刀夜の体は怪我の後遺症により、以前のように立ち振舞うことができなくなっていた。


「いいか、貴様が撒き散らしたものはちゃんと自分で直しとけよ!」


 決着がつき、去り際に吐き捨てるように注意をする。すべてが終わると野次馬たちもその場から姿を消した。


 刀夜は痛む体で簡単に掃除を済ませると、その場を後にすることにした……


◇◇◇◇◇


 砦内の宿屋の数はごく限られている。敷地面積が小さいので場所が取れないのだ。


 アリスは刀夜の分の席を取って帰りを待っていた。注文しない分けにはいかないので酒だけ注文して飲んでいる。


「んもう、刀夜っち遅いッス」


 ぐびぐびと空きっ腹に酒を入れると酔いの回りが早い。このペースで飲めば酔いつぶれてしまう。さすれば折角の夜の楽しみが潰れてしまう……


 そう、今夜は刀夜と同じ部屋で二人きりなのだ。たっぷりと可愛がってやろうと彼女は狙っていた。


 そんな邪な妄想にフケているとようやく刀夜が帰ってくる。顔をしこたま腫らしているので誰かに殴られたのは明白だ。


「と、刀夜っち!? 一体どうしたんスか?」


 刀夜は黙ったままその表情は暗かった。


「ああ、そうだヒール。ヒールしとこっか、ねっ」


 何やら刀夜の様子がおかしいとアリスは気づいた。だが刀夜は静かに首を振り、彼女の気遣いを断る。今は誰とも接したくない。そんな気分だった。


「……部屋は?」


「上に取ってあるッス」


「……わかった」


 刀夜は部屋を確認するとその場を去ろうとする。沈んだ雰囲気に、今にも消え入りそうな彼をこのまま行かせてはいけないとアリスは咄嗟に判断した。


「待つッス」


 急に呼び止められて刀夜は足を止めた。


「あたしにこのまま一人で食事させるつもりッスか?」


「……申し訳ない。……俺は食事なんて――」


「だったら飲み物だけでいいから付き合うッスよ! 親っさん! 甘いお酒頂戴!!」


「あいよ、果実酒でいいか?」


「それでいいッス! 大ジョッキで!!」


 アリスは刀夜に有無を言わさず軽快に注文を済ませると自分の椅子に座った。


「俺は酒なんて……」


「いいから座るッス」


 アリスはドスを利かせた声で指を机にトントンと叩いて座るよう促す。刀夜からみれば彼女の目は据わっており、怒っているように思えた。


 刀夜は乗る気にはなれなかったが明日からのことを思えば彼女のヘソを曲げられては困る。したがって刀夜はしぶしぶ対面に座った。


「へい、お待ち!」


 木でできた大きなジョッキに透き通った赤い液体がたんまりと注がれていた。


「さ、飲むッス!」


 刀夜はそれに軽く口をつけた。お酒というよりは殆んどジュースのようで、アルコールはあまり感じない。刀夜は飲めると分かるとぐびぐびと一気に流し込む。


「ほおー。なかなか行ける口ッスね。おっちゃんもう一杯ッス!」


「あいよー」


 その後、刀夜はアリスに言われるがままに浴びるように酒をのんだ。刀夜は酒を飲むのは始めてだったため、飲み方のコントロールが分らず、ただ苛立ちを流すように飲んでしまった。


 それはアリスが見越して意図的にやったことだ。机の上にはジョッキが並び、部屋に戻ろうとする刀夜の足は千鳥足となる。


 そんな刀夜にアリスは肩を貸して部屋へと運んだ。

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