第242話 格差社会とは

 ――出発当日。


 朝霧も晴れぬ早朝から自警団前には大きな馬車が止まっていた。ビスクビエンツ港街行きの馬車である。


 いつもの荷馬車ではなく大型のオムニバス型で自警団はこの馬車を2台所有している。レイラはそのうちの1台を今回のツアー用に借りた。


 その馬車の屋根に今回参加する自警団の面々が各々の荷物を載せて出発の準備を始めている。そのかたわらで舞衣、梨沙、美紀、晴樹が自分達の荷物を地面に置いて待ちぼうけを食らっていた。


 朝早くから家の荷車に荷物を載せて自警団前におもむくと荷物を降ろした。そして刀夜とリリアはそのまま馬車を取ってくると言って出かけてまだ帰ってこない。


 隣では粛々と自警団の出発準備が進んでいる。


 今回のツアーでは自警団と刀夜達は一緒に移動することとなっている。なのに刀夜達の馬車がなかなかやってこないことに皆はいよいよ苛立ちを隠せなくなってきた。


「遅いわねぇ~」とうとう美紀から不満の声があがった。


「トラブルかしら……」


 舞衣の心配に皆は刀夜ならあり得ると思って肩を落とした。彼はうまくやっていそうで何かとトラブルに巻き込まれるタイプであることを彼女達はもう周知している。


「どうした、馬車はまだなのか?」


 心配して声を掛けてきてくれたのはレイラだ。


「いま、刀夜が取りに行ってます」


 晴樹は申し訳なさそうに苦笑いで返した。


「あいつが取りにいっているのか。あの足では確かに時間がかかりそうだな。多少は待つがあまりにも遅いようであれば悪いが先に出発させてもらう」


 レイラは残念そうな顔で念を押した。元々彼女達の企画なのだからそれは仕方がない。美紀は葵と一緒できないかもしれないと余計に苛立ちを覚えた。


 そのときだ、まだ朝霧が残るメインストリートから馬車の音が聞こえてきた。馬の蹄の音がリズムよく多重に聞こえてくる。美紀達はようやくきたと期待を込めて振り向いた。


 だが馬車の姿が露になると美紀の口は空いてふさがらなかった。明らかに場違いな貴族が乗りそうな豪華な装飾がほどこされた大型ランド型の馬車に馬が4頭。


 大きさは自警団のより小さいのに4馬力である。自警団の馬車ですら2馬力なのに。大型サスペンションは多重構造となっており頑丈そうだ。外装もゴージャスと呼ぶにふさわしい。


 その様子に出発準備をしていた自警団の連中の動きは止まって唖然と見ていた。龍児や颯太、由美と葵もその手が止まる。


 馬車は美紀達の前に止まった。御者ぎょしゃは見知らぬ女性だ。


 馬車の扉が開いてリリアが降りてきた。やはりこの馬車が刀夜の手配した馬車なのだ。


 続けて刀夜が馬車から顔を出して差しのべられたリリアの手を掴んで降りた。まるで孫に手を添えられて降りてくる爺さんのように。


「遅れてすまない。貸し主がなかなか起きてくれなくてな」


 馬車を借りにいったは良いが朝早かったため、なかなか家の者が起きてくれなかったのだ。無論借りる約束のときに連絡はしてあった。


「ふえぇ~凄い馬車……」


 先ほどまで苛立ちを露にしていた美紀だが馬車に圧倒されて驚きの表情となった。


「と、刀夜くん。こんなの借りたら高いんじゃ……」


 舞衣は恐る恐る聞いてみた。そもそもこのような豪華な馬車は一般では扱っていないはずである。


「タダだ。馬と御者ぎょしゃは別料金だが、馬車はタダだ」


「ええっ!?」


 この世界にこんな豪華な馬車をタダで貸してくれるような気前の良い者などいるのかと舞衣は信じられなかった。空いた口が塞がらない皆を見て刀夜はニヤリとする。


「そうか! オルマー家だな。これはオルマー家の馬車か!」


 レイラは先程からどこかで見たことのある馬車だと思っていた。デュカルド・オルマーが公務でヤンタルやビスクビエンツに赴く際に護衛としてついていったが、その時にデュカルドが使っていた馬車の一つがこれであった。


「正解だ」


 以前にカリウスは刀夜にもらった刀を父親に取り上げられていた。刀夜はカリウスにもう一本刀を作る約束をして打ったのである。今回はその報酬として借りてきたのだ。


 以前に同型の馬車に乗ってみてあまりの乗り心地の良さに感動した。それに加えて体がまだ不自由な刀夜には普通の馬車での遠出は辛いものがある。ゆえにカリウスに頼んで借りてきたのだ。


「オルマー家の馬車など、よ、よく借りられたな……」


 レイラは刀夜とオルマー家の親密度はかなり高いのだということを改めて感じさせられた。


 だがその男はただの鍛冶屋でしかない。その気になればもっと権力を得られるような地位にありつけるだろうに。なぜ彼が加治屋などを営んでいるのか理解に苦しむのであった。


「ず、ずるいッ。何なのよこのゴージャスな馬車は!!」


 葵はガチ泣きで羨ましがった。勝手に馬車の中へと上がりこむと床にはふかふかの花柄の赤い絨毯じゅたんが敷かれており、壁もクッションになっている。


 幅の広い部屋に前後の向かい合うシートにはバネが効いており、クッションもある。さらに後部シートの間の後ろに部屋があり、中はラウンジとなっている。


 左右の長細いU字型シートはごろ寝ができそうなほどだ。テーブルもついていおり、食事したり遊んだりしながら移動が可能な至れり尽くせりな馬車であった。


「うう……なにヨぉ~、こんな差をつけていいと思っているの? 空気読みなさいよッ!!」


 葵が刀夜に突っかかる。だが刀夜は知らんぷりを決め込む。美紀を焚き付けた葵への嫌がらせその1である。


「ぷぷぷ、これが格差社会というものよ」


 葵の背後から勝ち誇った美紀が彼女の耳元でささやいた。


「うきぃーッ! 格差社会反対! ビバデモクラシー!!」


 憤怒ふんどした葵が美紀のほっぺを泣きながら捻った。自警団なんぞに入らず刀夜の家に厄介になっていれば自分もこの豪華な馬車に乗れたのかと思うと悔しくてたまらない。


「あ、葵さん。デモクラシーは民主主義のことよ格差社会とは関係ないわ」


「ビバマーティン! ビバ福沢諭吉!!」


「……もう意味が分からないわ」


 舞衣は葵の暴走に頭を抱え込んだ。


「どうやら平等を訴えたいようだな……」


 刀夜の思惑通り彼女は悔しさを露わにしていた。最もこんな子供じみた反応を見せるとは思いもよらなかったが。


 舞衣は意馬心猿いばしんえんに陥った彼女を止めることをもう諦めた……

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