第19話 目覚めだした悪夢

 刀夜の言葉に晴樹はひとまず安心したが、このままでは本当に一人で出てゆきかねないと感じた。


 皆を説得して関係を改善しなくてはならない。だが皆の態度に腹を立ててもいた。誰も二人を止めようとしなかったからだ。


「何で……みんな酷いじゃないか!」


 大きな声で皆に訴える。


「皆で背負わなきゃいけないことなのに! 刀夜にだけ背負わせて! 責任押し付けて! 水沢さんの事だって、もう助からないって分かっていただろ!!」


 晴樹の目から涙がこぼれる。


「そ、それは、そうだが…………」


 初めて口を開いてくれたのは委員長だった。


「そうだが……何?」


 委員長がどう思ったのか晴樹は聞きたかった。だが委員長はまた口をつぐむ。代わりに颯太が答えた。


「他に方法はなかったのかよ、あの娘が死なない選択肢はよッ」


「また、そうやって人任せにするのか? そして失敗したらソイツのせいにするのか? 自分で考えて実行してみろよ!」


「お、お前だって何も言わなかっただろうが!」


「ああ、何も思いつかなかったからな。情けない話さ。だが俺は人のせいになんかしない!」


「お、俺だってヤツのせいだなんて……言ってないじゃんか……」


「口にしなければセーフか! 人は目で訴えることだってできるんだぞ。刀夜がそれに気づかないとでも思ったか? 刀夜はやりたくてやったんじゃない。皆がやらないからやったんだ!」


 刀夜は谷へと降りると上から晴樹の怒鳴る声が聴こえてくる。晴樹が自分の為に怒ってくれているのだと思うと申し訳なく感じた。


 落ち葉が敷き詰める谷を進み、小川で腰を下ろす。


 小さな川だが水量は十分ある。


 血染めの右腕はかすかに指が震えていた。


 木刀で獣の頭をカチ割った感触とは異なる柔らかい肉の感触がいつまでも指先に残る。


 彼女の力を失っていく腕の感触。彼女の体温……どこまでもリアルに脳裏に焼き付いてしまった。


 再び刀夜の脳裏に何かが過る。それが何か分からなかったが急に激しい衝動にかられて吐き気を覚えた。


 胸が苦しくなる。原因はこの腕だ。


 叩きつけるように小川へと突っ込む。


 肘まで水に漬け込んで乱暴に右腕を洗った。


 血だ。この血を見てはいけない!


 小川の水が水彩絵の具を洗ったかのようにピンク色に変わって流れてゆくと、呼吸がだんだん荒くなる。心拍数があがりだすと、彼は何かに取りつかれたかのように一心不乱に腕を洗った。


 手に力が入りすぎて右手の皮膚が赤くなり痛い!


 小川の水はもう染まってなどいない。


 右腕を小川から上げると、彼の目に映ったのは血染めの幼子の腕であった。


「あっあっああああああああぁぁぁあッ!!」


 叫び、両腕を小川を叩きつけ。頭も小川に叩きつけた。小川からブクブクと泡が立つ。


 刀夜は必死に思い出すなと自身に暗示をかけた。


 やがて息苦しくなったのか顔を上げ、ぜーぜーと荒い息を立てた。


 波打つ小川に自分の顔が歪んで映っている。


 『間抜けな顔だ』心の中で吐き捨てた。自分の滑稽こっけいさに渇いた笑いが沸き起こる。


 笑い終えた後に刀夜は冷静になれと再び自己暗示をかけた。


 ほどなくして心を落ち着かせた刀夜は悩む。このまま消えるか、晴樹の元へ戻るか……だがいくら考えても結論は出せなかった。


 自分も存外優柔不断だなと情けなく思っていると、上流から黄色い果実が流れてきたので思わずそれを掴む。


 大きさはリンゴ大だが色は黄色である。ヘタの辺りは緑色が残っており、石に当たったのか所々傷ついている。臭いを嗅ぐと熟した果実特有の甘い香りがした。


 バッグから戦利品のナイフを取り出して小川で洗うと果実を真っ二つにする。


 辺りに甘い香りが充満して果汁がしたたる。


 刀夜は自分の行く末をこの果実に託してみることにした。もし食えない代物なら一人で旅立つ。食える代物なら晴樹の元へ帰り、上部だけの付き合いに終始する。


 この果実に託した意味は特になかったが、どうせ決まらないのなら何かに託すのも悪くないと思った。強いて理由を上げれば腹が減ったのである。


 刀夜はしたたる果汁をひと舐めしてみた。


◇◇◇◇◇


 晴樹は皆を説得した後、へたりこんで岩の上に座り込んでいる。皆は他に方法が無かったのか検討していたが、どうやっても何が正しいのか見いだせない。


 そのとき、これまで黙っていた智恵美先生が皆を呼び止めた。足を怪我した津村彩葉の様態が急変したのだった。


 皆が駆け寄ると彼女はぐったりしており、息が荒く、顔が赤い。


 先生に変わって彼女を介護していたのは中溝俊介であった。ハンカチで汗を拭くがそのハンカチもすでに汗でぐっしょりとなっている。


 副委員長が彩葉の熱を見るとゾッとするほどの高熱で驚いた。


「先生、解熱剤は……」


「もう飲ませてあるわ、でも下がらないのよ……」


 智恵美先生は今にも泣きそうであった。副委員長は少し考えた後、彼女の当て木の布をほどいた。


 彼女の足は人のものと思え無いほど晴れ上がっており、細くしなやかだった面影は無かった。獣にへし折られた時にできた爪による傷口は黄色いうみこぼれている。


 智恵美先生の脳裏に『感染症』の言葉が過った。その光景に誰もが絶望感を感じた。


 皆の頭の上から男が頭を割り込ませてボソリと言う。


「……感染症か……」


 突然の声に皆が振り向くと、そこには刀夜が立っていた。

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