第322話 蘇生

 自警団の地下廊下に泣き叫ぶ声が木霊する。


 冷たい石畳に無残な姿と成り果てた男が横たわっていた。彼は彼女の目の前でその命の鼓動を停止した。


「助けるって……約束したのに……」


 悔やみきれない思いが喉の奥から次々と込み上げてくる。心のどこかで何とかなると軽い気持ちがあった。なぜもっと必死にやらなかったのだろう……


 そうしたらもっと違った結果になっていたのかも知れないのに。


「葵……おめーのせいじゃないぜ。こんなの誰も予測できるかよ」


 颯太が葵になぐさめの言葉を投げかけた。刀夜の体にすがりつき涙を流す彼女の肩に手を置く。だが今の彼女にそんな言葉など慰めにもなりはしない。


「奴は最後になんて?」


「…………」


 葵は一度顔を上げた。涙を拭いて再びうつむとただ一言「『ごめん』って」彼の遺言を口にした。


 誰に向けて言ったのかは分からない。葵に? 皆に? リリアに?


 その時、息を切らせて魔術師が駆け込んできた。


「ここですか!?」


 彼は医療魔術師のマスカーだ。上の研究所にて刀夜の偽物について調査を行っていたところを急に呼び出されたのだ。


 しかしマスカーは牢屋に入って周りの雰囲気から手遅れだと状況を察した。


 そして刀夜の酷い有様を見ればそれは疑いようもなかった。だが念のために脈をとって確認をとる。


「――あの、彼は……」


 アイリーンたちが首を振った。マスカーはなぜこの場所でこのようなことになったのか尋ねようとしたが止められてしまった。


「なぁ! あんた魔法使いなんだろ! 蘇生の魔法とかねぇのかよ!!」


 マスカーに掴みかかったのは颯太だ。胸ぐらを掴まれたマスカーは焦る。あまりにも一方的に詰め寄られて返事をする間もない。


「颯太、やめないか!」


 ブランが彼をいさめる。気持ちは分からないでもないが、これはどうにもならないのだ。


「す、すみません。蘇生の魔法なんてないのですよ。ごめんなさい……」


 謝る必要などなかったのだが。彼はそのような性分なためついついペコペコとしてしまう。


 一見気弱そうに見えるが彼の芯は強く優秀な魔術師だ。だがその性格で色々と損をするタイプだった。


「…………蘇生……」


 悲しみに打ちしがれていた葵の耳に入ったその言葉が引っ掛かった。


「蘇生!」


 葵の瞳に希望が宿る。刀夜が心肺停止してまだそんなに時間は立っていないはず。確か5分以内ならまだ蘇生する確率は高い……たぶん……


「ああ、でもどうやるんだっけ!?」


 授業で習ったのに全然覚えていない。心肺蘇生など一生縁がないと思い込んで適当に授業を流した。真面目にやっている級友をからかって遊んでいたことだけは覚えている。


『ああー、バカバカ! どうしてあの時わたしはちゃんと授業を受けてなかったの!? ほんとバカだ……』


 いきなり一人で悶絶してる葵に周りの者が何事と唖然とする。


 だが葵は唐突に刀夜の胸に手をあてがうと上から強く押しだした。一定のテンポで胸が沈むほど強く押す。肋骨が折れるのではないかと思えるほど怖いぐらいに強く押す。


「回復魔法! とびっきりの急いで!」


「あ、葵……死んだ人はもう戻らないのよ……」


 突然の葵の奇っ怪な行動にアイリーンは動揺する。


「いや、確かにやってみる価値はあるぜ」


「ええぇ……?」


 アイリーンは颯太の意見に疑問に思ったようだが、颯太は葵の決断を英断だと思った。


「心肺蘇生ならまだ可能性はあるってことだ! 回復魔法たのむぜ!」


「え? は、はい」


 颯太に頼まれたマスカーは何が何かわからないまま魔法詠唱の準備に入った。


「颯太! あんた人工呼吸やって!」


「ええッ!!」


 颯太はなんということを頼むのだと青ざめた。この器具のない状況での人工呼吸といえば、つまりマウス・トゥ・マウスでしかない!


「俺のファーストキスをこいつにしろってのかよ!」


 颯太が涙目で葵に嫌だと訴える。よりにもよって男に、しかも相手が刀夜とか最悪!


 相手が女の子ならいくらでも喜んでするが男はイヤだ。


「じゃぁいいわよッ、あたしがするから代わって!」


 命がかかっているのに何を躊躇ちゅうちょしているのかと葵は腹を立てる。颯太は葵と変わると刀夜の胸の圧迫を再開した。


 葵は刀夜の顔に近づけると……急に恥ずかしが込み上げた。そういえば自分もファーストキスだったのだ。


 ――最初の男が刀夜? 嘘でしょ?


 勢い余って担架をきったが今ごろになって冷静になってしまった。しかし颯太に言いきった手前、もう引き下がれない。


 命がかかっているのだ躊躇ちゅうちょなどしている場合ではない。だがいくら理屈をこねても心臓はバクバクと鼓動をあげる。嫌がおうにも顔は赤面してしまって彼女は固まってしまった。


「どうしたんだよ?」


「う、うっさいわね。やり方覚えてなかったのよ!」


 それは本当だった。


 啖呵たんかよく言ったもののよくよく考えたら、やり方を知らない。心臓マッサージはテレビのドラマやドキュメンタリーで見たことがあるので見様見真似でまだ分かる。


 しかし人工呼吸は色々と手順があったはずだ。そのやり方など覚えていない。


「おでこを抑えて、人差し指で顎を上げる。鼻をつまんで吹き込むんだよ!」


 意外にも颯太から的確なやり方を教えてもらうことになるとは……


「な、なんでそんなに詳しく覚えているのよ……」


「え……そ、それは別にいいじゃんかよ」


 覚えておけばいざ何かあったとき女の子とチューできるかもしれないと邪な想いで覚えたなどと言えない。


 颯太は赤面しながら視線を逸らした。葵はそのような様子から概ねのことを察して冷ややかな目を向けた。


 そうこうしている内に魔法陣が展開された。青白い光に三人が包まれる。本来なら葵も颯太も邪魔なのだが蘇生処置を止めるわけにはいかない。


 葵は颯太から教わったとおり刀夜の頭を押さえて顎を上げた。そっと口が重ねて刀夜の唇すべてを包み込む。鼻を押さえて大きく息を吹き込むと刀夜の胸が膨らんだ。


『お願い……帰ってきて……』


 回復魔法で刀夜の傷口はみるみる塞がってゆく。


 葵が息を吹き込み終えると、颯太は再び心臓マッサージを開始する。


 回復魔法による治癒は傷口が完全に綺麗にはならない。体中にうけた傷はクッキリと残ってしまう。特に額から口元まで切り裂かれた跡は酷い有様だ。


 魔法陣が消えると同時に颯太の手が止まった。今度は葵が再び人工呼吸を行う。


『みんなこんな結末望んでなんかいないんだから……帰ってきなさいよ!!』


 再びバトンタッチすると颯太が心臓マッサージを再開する。


 ――カフッ!


 そのとき刀夜の口から突如息が吐き出された!


「ガフッ、はっ、はっ、ゲホゲホ」


 咳き込むと同時に刀夜の体は大きく動いた。


「――帰ってきたぁ」


 まだ刀夜の目は覚めていない。だが彼の心臓の鼓動は再び力強く脈動し始めた。そのことに葵は感極まって大粒の涙を零した。


「し、信じられない、生き返ったというの……」


 アイリーンを始め、その場にいた者たちは驚きを禁じ得ない。特に刀夜を手に掛けたサブリエルは信じられないといった顔をしていた。


 道連れにして死ぬ予定だったのに計画を潰されて屈辱にまみれる。サブリエルは連行され、無実となった刀夜は医務室へと運ばれた。


「ま、最良とはならなかったけどよ、良かったじゃねーか」


「――うん……」


 葵の感情は少し収まったものの泣かされっぱなしだった目は赤くなっていた。


「で……ファーストキスはどうっだったよ?」


「…………」


 はっきりいってそんな感動を味わうどころではない。ノーカンとできるものならそうしたい気分だ。


 なぜなら……


「――血の味だった……」


 ぼそりと答えた葵に颯太は同情を差し向けるのであった。

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