第288話 リリアのささやかな苦悩

 次の日、刀夜は朝早くから馬で出かける用意をする。馬には携帯食料、寝袋と一人用タープ、工作工具に火薬兵器を多数を乗せた。


 久々に奴隷商人にもらった深緑の狩人衣装にマントを羽織り、つばの広い羽帽子を被ればエセ狩人のできあがりだ。


「じゃあ行ってくる。留守を頼む」


「はい、気をつけて下さいね」


 リリアの目は不安を隠しきれない。刀夜はエイミィを理由にしていたが彼女は直感で違うだろうと感じ取っていた。自惚れかもしれないが彼のことはよく理解しているつもりだ。


 刀夜と出会ってもうかれこれ1年を過ぎた。これまで出かけるときも戦うときも一緒にやってきたつもりなのに今回は連れてってもらえなえない。


 リリアは刀夜にとってさほど必要とされていないのだはないかと不安にかられそうになると、走り去ってゆく刀夜の後ろ姿から目が離せなかった。


 何かとても不吉な予感がしてならないのだ。


「ママァ……」


 エイミィが眠たげに目を擦りながら起きてきた。白いワンピースのパジャマ姿で裸足で外に出てきてしまっている。


 朝起きればリリアがいなくて刀夜もいなかった。不安にかられて眠いながらもあわてて出てきてのだ。


 そんなエイミィはリリアに向かって両手を大きく広げて背伸びをする。抱っこして欲しいとおねだりしているのだ。


「あらあら、5歳にもなってエイミィは甘えん坊ね」


 リリアが彼女を抱き上げるとエイミィはリリアの首にしがみついて肩で吐息をあげた。まだ両親が恋しいのだろう。リリアはエイミィと共に家の中へと戻った。


◇◇◇◇◇


 刀夜家の住民が起きて朝食を済ませた頃にエイミィは2度目のおはようをする。遅い朝ごはんの最中にリリアに訪ねてきた。


「お兄ちゃんは?」


 お兄ちゃんとは刀夜のことである。寝ぼけていたので今朝方別れたことをエイミィは覚えていなかった。といっても彼女が見たのは刀夜の後ろ姿だけなので仕方ないかもしれない。


 彼女は最初、刀夜が苦手だったが毎日寝食を共にしているとさすがに慣れたようだ。一緒に遊んでくれる美紀や舞衣、晴樹にも慣れている。


 だが梨沙には相変わらずの様子である。梨沙は下心でエイミィに接したことを反省していた。


「刀夜様はお仕事でしばらく帰らないの……」


「いつ帰ってくるの?」


「明々後日よ」


「しあさってっていつ?」


「エイミィが3回寝たらよ」


「えーつまんない」


 刀夜は子供の相手が苦手だがエイミィが望めば相手をしてくれる。慣れずにぎこちなく接していてもエイミィにしてみれば遊んでくれる貴重な相手だ。


 刀夜は彼女が自分と同じ境遇なので何かと気にかけており、エイミィが刀夜と同じ心の傷を負わないよう注意をはらっていた。


「ママは寂しいね」


「えっ?」


 リリアは5歳の子供に慰められてしまった。


 リリアは刀夜が元の世界に戻りたがっていることを知っている。そのときが来たとき自分はどうなってしまうのだろうかと不安になるときがある。今回のように置いてきぼりを喰らったときなど特にそう感じた。


 そのような不安が顔に出ていたのだろうかと自分で自分が心配になりそうだ。リリアは思わず両手で顔を挟むようにぎゅうぎゅうと押し込んで自分の気持ちも押し込めた。


 それにしても刀夜は『お兄ちゃん』なのに自分はいつまでたっても『ママ』呼ばわりされていることのほうが問題だ。


「あのね、あたしのことも『お姉ちゃん』って呼んでほしいなぁ……」


 リリアはかがんでエイミィと視線を合わせた。美紀も舞衣も『お姉ちゃん』と呼ばれている。あの梨沙でさえ……


「ちがう……ママだもん……」


 食事中のエイミィはスプーンを口にくわえたまま拒否した。しっかりと目でも嫌だと訴えている。


「ほ、ほら刀夜様は『お兄ちゃん』呼んでるでしょ、だから――」


「ママだもん」


 エイミィは今にも泣きだしそうになったのでリリアは説得を諦めた。このような調子でいつまでたっても『ママ』呼ばわりされていた。


 家にいる間は別にそれでも良くてリリアは気にしていない。だが問題は外にでたときだ。


 リリアは14歳、エイミィは5歳どう見ても年の離れた姉妹のようにしか見えない。だが街中でエイミィはリリアを『ママ』と呼んでしまうのだ。事情を知らない世間は冷ややかな視線を向けてヒソヒソ話を始めてしまう。


 ――9歳で子持ちってないでしょ、初潮もきてないよ……


 恥ずかしくて泣きたい気分になる。なまじ髪の色も癖っ毛も同じなため余計に誤解される。


 また呼び方だけでなく彼女は好奇心で色々とやらかしてくれる。特に困るのが左腕の奴隷の刻印を隠しているリストバンドを面白がって外そうとすることだ。


 魔術師ギルドの紋章があるとはいえ、世間体があるので見られるのはまずい。知られたら相手からはいい顔はしてもらえなくなるだろう。生活にも支障がでるし、何より悪意を持つ者から狙われる可能性もある。なので刀夜からもずっと隠すよう言われている。


 困り果てたリリアはピンク色の小さいガントレットをつけるようにした。これは以前に刀夜から買ってもらったものだ。これならば簡単には外れない。反面取り外しが面倒となってしまうが致し方ないと諦めた。


 食事が終わるとエイミィはお店に向かう美紀や舞衣に付いていってしまった。リリアとしてはその間に洗濯や買い物を済ませられるので大助かりだ。


「ママ、ただいま!」


 エイミィは昼過ぎには帰ってくる。


「あらあら、泥だらけじゃない。水浴びして着替えなさい」


「はーい」


 エイミィは着ていた服をその場で全部脱ぎ捨てると裸で工房へと向かった。リリアは「洗濯は終わったのにまた洗濯物増えてしまった」とぼやきながら汚れた服を拾い集める。


「すっかりお母さんだね……」


 美紀はそんな二人の様子を眺めつつ感想を漏らした。


 リリアは懐いてくれるエイミィが可愛くて積極的に面倒を見ている。自分から言い出したことでもあるし無責任なことはできない。しかし母親扱いは正直勘弁して欲しいと思っている。


 リリアはエイミィの替えの服を持って工房へと入っていった。

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