第404話 ティレスのみた悪夢1

 ティレスは涙を浮かべながらも街を脱出した後の話をリリアに語りだす。それは彼女にとって非常に辛い記憶である。


「街を脱出したボクたちは馬車をヤンタルへ向けて逃げた。だけど……」


 ティレスの話によれば森の中、かつてヤンタルへと続いていた道を辿って馬車を走らせていた。特に追っ手はなかった。街の自警団が命を張って出口を防いだからだ。置いてきぼりとなったリリアもその中にいた。


 ティレスたちを乗せた馬車はもう使われなくなった街道を突き進む。だが奥に行けば行くほど鬱蒼うっそうとした草が生い茂り、やがて道の区別はできなくなる。


「くそ! ダメだ。もう道を便りに進むことはできない」


「大丈夫だこのまま、まっすぐ進めばいい。少なくとも方向はあっているはずだ」


 彼らは道を完全に見失った……というより道はいつの間にか消失していた。


 だが手綱を握っていた人は地図とコンパスを持っていたため方向は見誤ってはいなかった。しかし、辺りが沼地となっているこの森を馬車で疾走させるのは危険である。


 彼らは慎重に地面を確認しながらゆっくりと街を目指すこととなった。


 そのさなか横切ろうとした沼の水面がゆらりと揺れた。進むべき道に集中している者、悲しみにうちひしがれる者、疲労が重なる彼らはその異変に誰も気がつかなかった。


 突如沼から現れた大きな亀のような姿をした獰猛なモンスターに馬が襲われた。噛みつかれて命の危機に晒された馬は無駄な抵抗を試みる。


 馬と格闘している亀のようなモンスターは一目で馬の数倍の重量があるのが伺えた。そして鋭い牙で馬に噛みつくと馬が暴れようが離れようとはせず沼へと引きずり込もうとする。


 その二匹の激しい争いに馬車は転倒してしまった。


「うわあああ!」


「何だ、アレは!?」


「きゃあああ、モンスターよ!!」


「逃げるんだッ!」


 馬車から投げ出された彼らは我先にとその場を逃げだした。そして先頭を走って逃げていた男はその先にもいたもう一匹に襲われて沼に引きずり込まれてしまった。


「ひぃ!」


 決して油断していたわけではない。それだけ亀の攻撃がすばやすぎた。


「アンリ! こっち!」


 恐怖に飲まれて足がすくんだアンリの手をティレスが引っ張ると千鳥足なからも駆けだす。そして他の皆と同様に男が引きずり込まれた沼の脇をティレスたちは駆け抜けて難を逃れた。


◇◇◇◇◇


 地図とコンパスは呑みこまれた男が持っていたため、生き残った彼らは方向を見失ってしまった。だが同じ地図を見ていた男の記憶を頼りに生き延びた人々を先導してもらって森を進んでゆく。


 このときリリアと違って彼らの向かう方向はヤンタルの方向を向いていた。しかし、それは同時に長い森を突き進むこととなる。


 ゆえに彼らは森の中で夜を明かすしかなかったのだが、夜の森に滞在するという行為はモンスターの絶好のまととなってしまう。


 新たな別種のモンスターに襲われて男たちは武器を片手に盾となり戦ったが全滅する。逃げだした婦女子たちも幾人かが犠牲となった。


 なんとか逃げきったものの彼女たちが森を抜けたのはその日の夕方となった。


 ぐうーっとティレスのお腹が鳴る。食料は馬車に置いてきてしまったため彼らは飲まず食わずである。


「えへへへ」


 ティレスは恥ずかしがってお腹を擦った。誰しもが我慢している中、『お腹が空いた』などと口にはできなかったため苦笑いでごまかした。そんなティレスに向けてアンリも苦笑で返す。


 だがアンリはすぐに表情を落とした。この先どうなるのかと不安で不安で仕方がない。それを表に出しても何の解決にならないことを重々わかっていたのだが隠せるほど、心に余裕もない。


 そしてもう一つ、リリアのことも気がかりだった。モンスターに囲まれた状態からの脱出はもはや絶望的であり、彼女を置いてきぼりにしてしまったことに心を痛めた。


 後もう少し早く手を伸ばしていたら……もっと早くリリアの魔法を止めていれば……


 命が助かったとたんに、そのような言葉が頭の中をずっとリフレインしていた。空腹と疲弊によりもう動けないと諦めかけたとき彼女たちはヤンタルへと向かう行商人に出会う。


「灯りよ! 馬車だわ」


 生き延びた者は助かったと安堵した。彼らに助けを乞い、ヤンタルへと連れてって貰えることとなった。だがこのことが彼女たちにとっての本当の悲劇が始まる。


 この行商人たちは裏社会に通じており、連中と取引している者たちであった。そのような輩だから彼女たちの境遇に目を付けるのは自然な展開となる。


 彼女達が森を抜けたところとヤンタルの街は意外にも目と鼻の先だ。本来ならばその日のうちにヤンタルへと入れるハズの距離にも係わらず行商人たちは日が暮れるから一泊すると言い出す。


 道に沿って丘を迂回すればヤンタルは目の前なのだかその丘のせいで彼女たちは街との距離感が分からない。


 ましてや快く助けてくれた彼らに裏切られるなどとは思いもよらず、それならば仕方がないと軽く了承する。


 だが馬車は街道から離れてゆくとそれを不振に思ったときは後の祭りで彼女たちは行商人たちに襲われてしまった。


 その牙は当然ティレスやアンリにも向いた。悪夢のような光景が彼女達の目に焼き付いた。


 だがこれはまだ彼女たちの悲劇の入り口にしかあらず、その夜に現れたのは奴隷商人であった。この奴隷商人はリリアを襲った連中とは別の者たちである。


 泣き、喚き、抵抗するも無駄った。奴隷の証を刻まれて複数の悲鳴の声が闇夜に消えたことをティレスは忘れはしない。

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