第7話 最初の被害者

 悲鳴を上げていたのは赤井美紀あかいみきだ。教室の近くで腰を抜かしたのか地面にへたりこんでおり、片手で口を塞ぎつつも教室の横を震える指でしている。


 一番近くにいた智恵美先生が心配して彼女の元へ駆け寄り、肩に手を添えた。


「赤井さん、何があったの?」


「……あ……あし……あしが…………」


 今にも泣き出しそうな彼女を先生が支える。


「足がどうかしたの? 怪我をしたの?」


 彼女が指で差し示しているのに、天然が入った先生は美紀の足を怪我していないか確認している。美紀は小刻みに首を振ると震える口で訴える。


「ちが……ちが……」


「血? 血が出ているの?」


 美紀は『違う』と言いたかったのだが先生はさらに誤解して彼女の足を触りだした。


 集まりだした生徒達は美紀の見ている方向に視線を向けて絶句した。刀夜と晴樹も駆けつけてクラスの皆が見ている物体に目を向ける。


 えぐられた校舎は2年B組以外にも隣のC組の教壇あたりが残っていて、その場所に黒い物体が落ちていた。


「足だ、誰かの足だ。それも片方だけ」


 刀夜がその物体が何なのか口にすると近寄って詳細に調べ始める。黒い布はズボンのすそで、黒の革靴をいており、靴のサイズは27であることを確認する。当然、ズボンの中には切断された足が残っていた。


 クラス委員長の河内拓真も意を決して近づくと刀夜に尋ねた。


「八神君、誰の足か分かるか?」


「6限目、C組を担当していた先生の足のようだ。校舎の切断に巻き込まれたみたいだな」


「先生、隣のクラスは誰が担当していたのですか?」


 拓真の問いに、智恵美先生は声を出せずにただ知らないと首を振るだけだった。


 刀夜はC組の壁に残っていた時間割り表から数学の時間だったことを確認した。数学の先生は大沢先生だ。3時間目で受けた数学で大沢先生がこれと同じ色のズボンをいていたのを思い出した。


「どうやら大沢先生のようだ」


 先生の名前に込み上げるものを堪えていた女子生徒達が泣き出した。大沢先生は年配の先生で別に人気のある先生ではなかったが、ここにきて初めて知り合いが悲惨な状態になっているという事実に耐えられなくなったのだ。


 刀夜は落ちていた足を拾うと校舎の切断面と足の切断面が酷似こくじしているのを彼は確認した。

 ここに立って授業をしていた先生が巻き込まれたことは容易に想像がつく。


 切り口はすでに乾燥して血はもう止まっていたことから、あの嵐に巻き込まれてから血が凝固するほどの時間は経過しているということになる。


「や、八神君!?」


 突然の行為に委員長は驚き、思わず声が裏返ってしまう。躊躇ちゅうちょなく足を掴んで、切り口を覗いている様子ははたから見れば奇行きこうそのものである。


「委員長?」


 刀夜は何事かと不思議そうに委員長を見た。


「よ、よく触れるな。その……気持ち悪く無いのか……」


 刀夜にしてみればそんな事より状況を把握はあくし、どんな情報でも集めることのほうが重要であった。だが確かに他者からみればこの行為は委員長と同じ感情を抱くことは明白である。


「あーこれは……調べる必要があったから……」


 苦しい言い訳だった。

 困り果てた刀夜は足を元の場所に戻した。


「そ、それはそうかも知れんが……」


 委員長が何を言いたいのか理解しているつもりだが、刀夜にはどう取りつくろえば無難ぶなんなのか分からない。晴樹ならばうまくやるのだろうが、刀夜はこの手の事には不器用である。


 刀夜は大沢先生の足に両手を合わせておがんだ。


「いや、まだ死んだと決まったわけじゃないから!」


 委員長の言葉も聞かず刀夜の次の興味は校舎側の切断面に向いた。えぐられた校舎の断面と地面の境界、そして校舎の下がどうなったのか知りたくなったからである。


 校舎と地面の間には拳大ほどの隙間がある。教室から出たときには気が動転して気がつかなかった。


 鞄からライトペンを出して隙間をのぞくとそれはかなり奥深く球状にカーブを描いていることが分かる。


 つまり教室は2年B組を中心にして球状にえぐられて、ここにはまっているのだ。


 刀夜はペンライトを消して教室を見上げた。球状にえぐられたということは上のクラスがどうなったのか…………想像はしたくなかった。


 すぐに皆に知れ渡るとは思ったが、刀夜からそれを口にしたくない。


「どうした? 何かあったのか?」


 状況を飲み込めていない委員長が聞いて欲しくないことを問う。委員長にしてみれば先ほどの奇異きいな行動のせいもあって心配しただけだったのだが。


「いや、別に何もない」


 別に嘘はついていない。切断面の隙間には何も無いのだから。刀夜はそう自分自身に言い聞かせる。


「あのっ!」


「なんだい、天壌さん」


 天壌葵が恐る恐る聞く。


「どうなってるのかなって……上って……」


 刀夜はトドメを刺されたような気分になった。隣のクラスの状況から容易に想像できるはずなのだ。だが状況を読めない一部の者が存在する。もしくは怖いもの見たさなのか。天然なのか……


「天壌さん、確認するにも、校舎がああでは確認のしようが無いだろう」


 委員長のいうとおり、残った校舎に階段はおろか上れそうなところは一切ない。


「ああ、それならうってつけの人間がここにいるじゃないか」


 晴樹がそう言って指先を刀夜に向けると、皆の注目を浴びる。その視線に耐えれなくなった刀夜は晴樹の腕を引っ張り、皆から距離をおいて小声で話す。


「ハル、どういうつもりだ。上がどうなっているかぐらい分かるだろ?」


「そうだね、きっと悲惨なことになってる。けど彼らの荷物があるんじゃないか?」


 刀夜は晴樹の言いたいことが分かった。今後の事を考慮こうりょして必要なものを回収しておけということなのだ。


 球状に切断されていたのなら机の中や机横の鞄が残っている可能性が高い。


「そしてこれは刀夜にしかできない事だよ。見せ場だよ」


 晴樹はこれを刀夜の名誉めいよ挽回ばんかいのチャンスにしようと考えたのだ。


「まぁ、気持ち悪いのは我慢するしか無いけど……やめとくかい?」


「ん……我慢する……」


 刀夜は親友の晴樹がせっかく考えてくれたことを無にしたくなかった。そして上にある荷物は確かに魅力的だった。今後どうなるかわかったものではない。備えはあるに越したことはないのだ。


「話はまとまったかい?」


 委員長が訪ねる。


「ああ、刀夜が登るって」


「しかし、どうやってこれを登るんだい?」


 委員長の質問に刀夜が答える。


「素手で登る」


「の、登れるのか?」


「ん、まぁ……行けるだろ……多分」


 刀夜はシャツと靴を脱ぎながら答えた。リュックからフリークライム用の手袋と靴を出して履き替える。


「そうそう、言い忘れていたけどさっき刀夜が水を見つけたよ」


「え、それは本当なの?」


 晴樹の言葉に先生が期待を込めて驚く


「あっちのチューブと崖が重なる辺りで水が脇出していました。入れ物もっているなら日が暮れる前に給水しておいたほうがいいですよ」


 実際に見つけたのは晴樹だったが彼はその手柄てがらを刀夜のものにした。刀夜はそれを正そうとしたが晴樹に止められる。


「どうして、俺が見つけたことにしたんだ?」


 着替え終わった刀夜が晴樹の耳元で尋ねた。


「埋め合わせかな……上、酷いことになってるの分かってていかせるから」


「気を遣いすぎだ」


 刀夜はやや照れながら感謝を述べて校舎へ向かう。


 皆が見守る中で刀夜は削れた四隅の壁から昇ることにした。


 削れた壁を鍛え上げた握力で一掴ひとつかみし、微小なくぼみに指を、壁の断面に足を引掛ける。手応えを感じるとるとひょいひょいとあっと言う間に登ってしまった。


 見ていた者から驚きの声が上がる。


 ネクラという印象からオタクと思われ、引きこもり系だと勘違いされているが、元々刀夜は剣術と剣道の掛け持ち少年だ。


 中学まで通っていた剣術道場が畳んだので以降はフリークライマーに鞍替くらがえしてジムに通っている。


 晴樹は元々剣道少年だったが、小学生の時に刀夜に誘われて剣術を初めると剣道掛け持ちとなり、道場が畳んでからは剣道一本に変えたのである。


 心配して黙って見守っていた智恵美先生も安堵あんどの息を漏らす。


 だが二階に上がった刀夜は青ざめた。二階は彼が予想していた以上に酷い状況だったのである。


 上のクラスの生徒は足だけや下半身だけとなり、床は臓物ぞうもつまきき散らして血の海に変わり果てていた。生きている者は誰も居ない。


 刀夜はさすがに吐き気を感じた。


 趣味でやっているネットで無惨むざんな姿の写真は幾度いくどか見たことがあり、馴れているつもりだった。だが実物は自分の予想を越える衝撃を与えたのだったのだ。


 刀夜は立っていることができなくなり膝を折った。激しい動悸どうきあらがうよう、必死に自己暗示をかけて感情をコントロールしようと試みる。


 それが功を制して少しづつ落ち着きを取り戻しはじめる。


 突然刀夜の姿が見えなくなり、下にいるクラスメイトが彼の心配をした。


「八神君! 大丈夫か!!」


 委員長の拓真が心配そうに声をかけると刀夜はその声に右手を上げて答える。声を出せば胃液を戻しそうだ。


 大きく深呼吸をするとようやく吐き気は治まり、心は落ち着きを取り戻す。


 刀夜が顔を上げたとき、まぶしい夕日の光が目に刺ささった。背けた顔の目をゆっくり開けて周りを見回すと木々の間から、この辺りの地形や風景が目に飛び込んでくる。


 それは美しい光景であった。


 刀夜達のいる所は山の斜面で、このまま尾根伝いに行けば下山できそうだ。


 その先には夕日に照らされた茜色あかねいろ平坦へいたんな地が続く。所々に丘や林、森があった。


 そして空気で歪んで見えるが街らしき建物がはるか先に見えた。さらに奥には大きな森、さらに背の高い山。左奥には地平線がキラキラとしている。


 刀夜は思う、一体ここは何処どこなのだと。

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