第55話 智恵美とブランキ

 次の日の朝。朝食を早く済ませて梨沙と美紀は広場に集まっている商人と交渉を行い乗せてもらうことが決まった。


 ゆえにブランキとはここでお別れとなる。


 せっかくお近づきなれた智恵美先生とも会えなくなるのは断腸の思いであるが、彼らが先を急がなくてはならないことは重々承知していた。


 ブランキはもし彼らが帰ることができなければ、智恵美さんは俺と一緒に暮らしてくれるだろうかという思いを頭に過らせては振り払った。


「ブランキさん、今までありがとうございました」


 宿屋をでた広場前でブランキとの別れの挨拶を行うことにした。彼がいなければ街のなかにすんなりとは入るなかっただろう。智恵美先生は今までの感謝をブランキに送る。


「ああ、いいってことよ。もし、もし村の近くに来ることがあったら是非立ち寄って下さい。歓迎しますんで……」


 ブランキは本音を伝えれなかった。だが彼は不器用なため寂しさの表情を隠すことができないでいる。


 美紀はブランキの心情を悟るとこれは後押しが必要だと行動にでた。智恵美先生の腕を引っ張り、顔を引き寄せると彼女の耳元でお願いをする。


「ねぇ、先生。あたし達ブランキさんに物凄くお世話になったんだぁ~だからねぇ~お礼といっちゃなんだけどぉ、彼が欲しがってるものを先生からあげてやってくれないかなぁ~。こう『ぶちゅー』っとするやつでぇ」


「なッ、あ、赤井さん!?」


 美紀の提案に智恵美先生は耳まで顔を赤らめて焦った。さすがに人前でそのようなことをするのは恥ずかしい。だが生徒達が世話になったのは事実で、自分も世話になってしまった。


「みーき、美紀でしょ。この世界に合わせて下の名前で呼ぶ。昨日皆でそう決めたでしょ」


「美紀、あんまり無茶を言っちゃいかんぞ」


 美紀をたしなめつつも、ブランキは内心期待していた。だが美紀は先生に追い討ちをかける。


「もしぃ、あたし達が帰れなかったとしてもぉ。彼なら先生のこと一生面倒みてくれるかもよぉ~」


「…………」


 彼女の言葉に智恵美先生は心が揺らいだ。確かに確実に帰れる保証などない。むしろ帰れると思うほうがあり得ない。


 美紀達の話によればこの人はかなり誠実で優しい人だとわかる。半日付き合っただけでも彼の言動はそれを裏付けていた。


 それに加えて顔を除けばほぼ自分の理想に近い人である。特に彼の分厚い筋肉で抱かれたらあっと言う間に落ちてしまいそうな気もした。


「ほらほら、ブランキさんもしゃがんで。立ってたらできないでしょ」


 背の高いブランキと背の低い智恵美先生とでは身長差がありすぎて彼女が背伸びをしても届かない。


 智恵美先生は顔を赤らめてモジモジとしている。ブランキは彼女が嫌がっていないと分かると、欲望に負けて美紀の言われたまま片膝をついてしまった。


 智恵美先生は恥ずかしそうにブランキに近寄る。


「あ、あの。目を……瞑ってくれますか……」


 言われたとおりにすると顔に熱を感じた。智恵美さんの顔がすぐ近くにある。そう感じると一気にブランキの心拍数が上がった。


 智恵美先生は右手で髪をかき上げると唇をそっと合わせた。


 『ヒュー』っと龍児が口笛を軽く鳴らす。女子生徒達は顔を赤らめて叫びたい気持ちを邪魔にならないよう飲み込んだ。


「えぇッ!」


 だが声を張り上げて驚いたのは、後押しした美紀であった。その声に驚いて先生は唇を離してしまう。


「な、なんですか。美紀さん」


 人に勧めておいてなぜ驚くのかと意味がわかない。


「いやぁ~私的にはホッペにチューのつもりで言ったんだけどね」


 彼女は悪びれる様子もなく結果オーライとばかりにニヤケていた。


「なぁ、梨沙」


「なに?」


 下の名前で呼び会おうとは言ったが、いきなり馴れ馴れしく呼び捨てにされて梨沙は不快に感じた。


「赤井ってあんなキャラだったか?」


 龍児の記憶によれば美紀は大人しいイメージであったが、今のは明らかに誘導していたようにみえた。策略が好きとかこれではミニ刀夜ではないかと思えてくる。


「私より天穣さんに聞きなよ」


「いや、あいつ刀夜に毒されてないか?」


「知らないよ!」


 美紀は猫かぶりタイプなため一見すると大人しく見えるが、人様の恋愛事には目がない。話題にするだけでは飽きたらず積極的に首を突っ込むほど好物なのであった。


 もし彼女が年をとったらきっと未婚の男女のお見合いを世話するようなおばちゃんになっていただろう。


 龍児は得たいの知れない怖さを彼女から感じた。


「じゃぁ俺はそろそろ行かなきゃ」


 ブランキはバッグから細長い箱を取り出て智恵美先生の前に差し出した。彼女へのプレゼントであるが、このような世界なのでラッピングなどはされていない。その代わりに赤く可愛らしいリボンでくくられている。


「あの、よろしければ受け取っていただけませんか」


 先生は一瞬躊躇したがそれを受け取った。正直いって彼の期待にはまだ答えられそうにない。この旅がどうなるかは分からないが生徒達を見捨てるわけにはいかないのだ。


 だがブランキの気持ちも嬉しいのは確かだ。


「ありがとうございます」


 智恵美はリボンを外して箱を開けてみると中からネックレスが出てきた。小さなハート型の銀細工がキラリと光る。智恵美とっては初めて男の人からもらったプレゼントである。


 学生時代に言い寄ってくる男はいたが、華奢な男が多く彼女の好みではないため大抵は長続きしない。そのため男性からプレゼントをしてもらったことなどなかった。


 受け取ったネックレスを着けてみせると。ブランキは満足したのか嬉しそうに笑顔を彼女に送った。


「じゃあな、楽しかったぜ」


 ブランキは馬車を走らせて背を向けたまま手を振った。大きな図体には似合わない涙を流したので振り向けなかった。


「ありがとう!」


「ブランキー、またねぇ~」


「ブランキさんありがとうございました」


 梨沙、美紀、智恵美先生が叫ぶ。


 ブランキの馬車は朝焼けの日に照らされ、どこまでもクッキリと過ぎ去っていく姿が見えた。大きくて、優しくて、恋に必死で、表裏のないすばらしい男だった。


 いつかまた会いたい。そんな気持ちがいつまでも智恵美の中でくすぶっていた。


「さあ、私たちも行きましょう。八神君がまっているわ」


 智恵美先生はあふれんばかりの笑顔で進むべき道を示す。そんな彼女の胸にはネックレスが光っていた。

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