第69話 リリアの魔法

 馬車のドアが開き、神官衣装をまとったリリアが姿を現した。


 青色のインナーと純白の神官服から、すらりと細くしなやかな手足が見える。衣装に合わせたのか同じく白のブーツがマッチしていてキュートである。


 青色のバックルが緩むほどの細いウエスト、そして神官服にあるまじき開いた胸元からは彼女の胸が強調されるも見えるは年齢相当の胸。


 恥ずかしい姿から解放されたのが嬉しかったのかリリアは天使のような笑顔で喜んでいた。階段を降りるたびにピンクの髪がゆれる。白い帽子がずれ落ちそうになると彼女は両手で深く被って再び笑顔を見せた。


「ほぉ、これはこれで中々、さすがご主人様のセレクトでございます。まるで花畑を駆ける妖精のような可憐さですな」


 団長が彼女の可愛さを持ち上げる。無論商品価値として持ち上げているのだろうが、これには刀夜も同意であった。


「どうです。ご主人も衣装を変えてみては。かなり服が痛んでいるようですし」


「そうか、ではお言葉に甘えよう」


 刀夜の服はゴロツキどものせいで血と泥まみれであった。


「彼女の衣装に合わせてこんなのはどうでしょう。同じ冒険物語に出てくる狩人をイメージした衣装です」


 それは深緑の狩人のような衣装であった。この主人の選んだものにしては悪くない。色はともかくデザインはまだ一般の町人が着ているものに近い。


「ではそれにしよう」


 そして刀夜は今着ている服を脱ごうとした瞬間、今まで感じたことのない激痛に見舞われた。脱ごうとした手が止まり、全身から汗が噴き出る。


「リリア、何をぼさっとしている。ご主人様を手伝わんか! お前の仕事だぞ!」


「は、はい」


 リリアは慌てて刀夜の服をめくり上げると驚いた。団長も刀夜の体を見てギョっとした。刀夜の体の右半分が内出血により紫色に変わり果てていたのだ。リリアが青ざめる。


「あ、あのご主人様……」


「ここに来る前にゴロツキどもにな……かまわないから着替えさせてくれ」


「は、はい」


 リリアは刀夜の表情を確認しながら服を着替えさせる。彼が少しでも苦痛の顔を見せると手を止めて別の角度から着替えるのを手伝う。


「よくありませんな。早めに医療魔術師に見せたほうがよいでしょう。最もこんな時間では営業しておりませんから明日の朝までは我慢するしかありませんが」


「気遣いは無用だ……」


「お帰りは、我々が通ってきたあの道から行きなさい。ゴロツキどもは現れませんし、表通りにも近いですよ」


 団長は馬車が並ぶ最後尾の向こうの道を指差した。


「恩にきる」


 刀夜はヨロヨロと団長が教えてくれた道を進むと、リリアが怪我をしていない反対側から刀夜を支えた。


「…………ご武運を……」


 過ぎ去っていく刀夜に団長は鋭い眼光で見送る。


「おい!」

「はッ」


 団長が馬車裏に声をかけると店員らしき男が飛び出し膝まずいた。


「ヤツの人相、特徴、衣服は記したな」


「はい」


「ではそれをオルマー様に渡してこい」


「はッ! ただちに」


 団長の指令を受けた男は再び馬車の影に消えた。オルマーとは先程のピエロの男の事である。刀夜はこの街の最大の権力者の息子を敵に回してしまったのだ。


「リリア……極上の商品であったが、運が無かったな……」


 団長は冷たい視線を送ったあと自分の馬車へと戻った。


◇◇◇◇◇


 刀夜は宿屋へ向かっていたが、脇の痛みは限界にきていた。今にも意識を失いそうでとても宿には届かない。


 ずっとポーカーフェイスを決めていたが、もはやそれを維持するのは無理であった。だらだらと汗をかき、頭からは血の気を失ってきている。地面がぐねぐねとして酔いそうだ。


 そのような彼をみてリリアはずっと不安そうにする。


 そしてとうとう刀夜の足が止まった。辺りを見回し店裏へと移動すると壁にもたれ掛かり、そのままずるずると座り込んでしまった。


 そんな刀夜にリリアは声をかけるが彼は微動だにしない。彼女は戸惑い、どうしようかとオロオロとしていると意識を取り戻した刀夜の目が開く。


「……リリア……あれを、回復魔法を……たのめるか……」


 刀夜の言葉にリリアは驚いた。なぜこの男が魔法の事を知っているのかと。


「ど、どうして……」


 リリアは奴隷に落ちてからこの力をずっと隠していたのだ。魔法の使える奴隷など、どのような扱われ方をされるか分からないからだ。


 だが今日、ひどい目にさらされた娘に思わず同情して使ってしまった。


 ――見られていた!?


 リリアは血の気が引いた。この男は自分の魔法が欲しかったのだと。ならばとてつもない金額を払った理由もわかる。


 優しい言葉もすべてはこの為?


 リリアは急に悲しくなる。彼を支えようとした手が時間を失ったかのように止まったままとなる。


 刀夜は彼女を見つめていた。リリアの表情から戸惑っているのがわかった。彼女にとって魔法は何かタブー的なものがあったのかと思った。


 俺はとても失礼なことを言ったのだろうか……失望……したのか……


「……いやなら……去ってもいいぞ」


 本当はずっといて欲しい。ずっと側にいて欲しい。この世界に来て弱音を見せれるほど頼りになるものなどいなかった。刀夜とて誰かにすがりつきたいときはあるのだ。


 彼女の魔法は役に立つ。それにこの世界の住人である彼女の知識にも期待したい。立場的な関係で気兼ねなく質問できるのは楽だ。そう思うと彼女の存在は精神的な拠り所になりそうな気がした。


 『ずっといて欲しい』それが刀夜にとってどんな感情なのかは分からない。だが刀夜は違う言葉を口にした。


 刀夜の言葉にリリアはハッとする。彼の目が悲しんでいた。自分はなんと愚かなことを考えてしまったのだろう。ついさっきこのひとから助けて欲しいと言われて約束したばかりではないか。


 どうせもう知られていたのだ。彼がこの後自分をどのように扱うかは分からない。だが奴隷に落とされた者は主人の加護なしに街で生きてゆくのは不可能に近い。リリアは覚悟を決めて呪文の詠唱にはいる。


「我が親愛なるベェスタの神よ、この者の傷を癒したまえ。ヒール!」


 リリアの手が青白く光ると魔方陣が形成される。刀夜の体がその光で包まれると痛みが柔いでゆく。ぽかぽかと暖かいものに包まれてゆくような感覚を受けた。


「これが、魔法か……」


 刀夜は体を起こすと受けた傷の場所に痛みが走る。だが服をめくり上げると内出血で青くなっていた部分は治っていた。おそらく骨折していた肋骨も治っているのだろう。


「凄い、治っている。だが痛みは残るのか……」


 痛みだけではない。気だるさも感じた。それが痛みを耐えていた影響なのか回復魔法の影響なのかは分からない。漫画のようにすぐに元気ハツラツというわけにはいかないようだ。


 リリアは魔法を放った手をプルプルと振るわせて、顔をしわくちゃにして涙をボロボロと溢して突然土下座をする。


「も、申し訳ございません! お許しをご主人様!」


 なぜ彼女が謝るのか意味が分からない。


「なぜ謝る?」


「私は……私は……ご主人様を……疑ってしまいました」


 何を疑ったのだろうか? むしろ失望させたのは俺のほうなのではと刀夜は考えていた。だが魔法の話をしたとたん彼女の様子が変わったことに、やはり何かあるのだと思った。


 何もかもまだまだ分からないことだらけだ。この世界も。彼女のことも……


「お互い……もっとお互いの事を知りあおう。時間をかけて理解しよう」


 刀夜は優しくリリアの頭を撫でる。


「ご主人様……」


 リリアはその場で泣きじゃくった。路地裏にそんなリリアの泣き声が響く。

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