10遊佐海という少女

「……伏せて!」


「うおっ!」


 手首をつかまれベンチに引き倒される。

 雑踏の中に、乾いた銃声が響いた。


 コーヒーを買った背後の自販機、ショウケースに弾痕。撃たれたのだ。


 俺が顔を上げるより先に、ユエがp220を構える。


「よせ! 跳弾がある」


 銃を収め駆け出すユエ。俺も続いた。


 雑踏の中、背中を見せて逃げていく。紫のつば広帽に、同じ色のワンピースドレス。

 間違いなく、ホテルノゾミで捕まえそこなった売人だ。


「おい待て! 逃げられんぞ!」


 信じられん、撃ってきやがった。警察官が銃を抜くだけでも、ニュースになるこの日ノ本で。


 休日で人が多いのが災いした。よけながら走るのだが、ついついぶつかっちまう。


 しかも向こうは三呂の人込みに慣れているのか、すいすいと進んでいく。ユエの手をすりぬけると、角を曲がって、アーケードでつながった向かいの量販店の方へ。


「騎士くん、先回りして……」


 階段を目指そうとした俺達に、後ろから誰かが叫ぶ。


「動くな! 止まらないと撃つぞ!」


 振り向くと、警備員と普段着の男たち。いや、こいつら私服警官か。


 どいつもこいつも、黒いリボルバーを抜いている。日ノ本の警官の標準装備の一種、ギニョルが持つものと同じ、S&WのM37エアウェイト。


「ユエ、動くなよ」


 俺が制するまでもなく、ユエは両手を上げていた。


 俺は丸腰、ユエは隠し持ったP220のみ。おまけに遮蔽物はなく、こちらにボディアーマーの一着もないこの状況。映画じゃあるまいし、反撃のはの字も浮かばない。


 警官が二人、リボルバーの撃鉄を起こした。エアウェイトはダブルアクションのリボルバーだ。ああして、シングルアクションにしておけば、より軽い力で引き金が引け、狙いが外れにくい。


 つまり、ただの警告じゃないってことだ。


 群衆は少し引いて、俺たちを取り囲む形になった。彼らの視線のもと、俺達はレイブンビルの廊下で警官たちと対峙することになったわけだ。


 しかしこっちの群衆はのんきだ。スマホを取り出して撮影している。制服の高校生二人を追い詰める警官という構図が、面白いのは分かるけれど。ポート・ノゾミなら、何人だろうが銃撃戦の気配がすれば我先に姿勢を低くして逃げる。


 スーツの刑事が、俺達に呼びかけてくる。


「銃を捨てろ。抵抗は無駄だ」


 完全に犯人扱いか。ギニョルの言った話し合いとやらも、効果がなかったらしい。ちと腹が立ったので、言い返してみる。


「銃持ってるように見えるかよ。なんでわざわざただの高校生に絡む、撃たれたのは俺達なんだぜ」


「黙れ! 質問はこちらが選ぶ。おい、何かあったか」


 一人の刑事が、俺たちの買い物を漁っていた。由恵の買ったゲームやDVDが開封され、同人誌も中身までめくられた。ラッピングされた雑貨や服なども、乱雑に開かれ、後のことなど知るかとばかりに徹底的に捜索されている。


「少々待ってください……あ、痛っ!」


 バッグから出てきたのは、ギニョルの使い魔のねずみだ。いきなり明るくなったのを警戒し、噛みついたのだろう。ギニョルの介入ではない。動物としての本能だ。


「この! 汚いやつめ!」


 警官が悪態をつき、ねずみを床に叩きつけた。どこか骨折したのか、動かなくなったねずみに向かって、革靴の足を振り上げる。


「やめて!」


 ユエが悲鳴を上げるが、足が止まる気配はない。

 踏みつぶす気だ。残念だがこのまま。


「おやめなさい!」


 雷鳴のような一喝。群衆の中から出てきたのは、一人の少女。


 あれは、遊佐裕也の姉の遊佐ゆさうみじゃないか。


 海はまず動けないねずみを拾った。

 気の毒そうに手のひらに抱え、そっと撫でると、鋭い目で警官をにらむ。


「誇り高い日ノ本の警察官ともあろう方が、その狼藉ろうぜきぶりは何です!」


「な、なんだ君は、我々の捜査活動を邪魔するのか。公務執行妨害だぞ」


 警官が懐から警察手帳を出した。本物だろう。さすがに偽造の警察手帳が出回るほど、日ノ本の警察は腐敗していない。


 だが海は動じない。ふう、と聞こえよがしにため息をつく。一呼吸置くと、ひるむことなく、猛然と言い立てた。


「捜査活動ですって! これが正当な捜査活動だなどと、どの口でおっしゃいますの。発砲音と弾痕だけで私の級友を犯人扱いし、令状もないのに勝手に荷物を捜索し、あげくペットを殺害しようとする行為の、どこが正当な捜査なものですか!」


「だが発砲事件だぞ、事案は重大で、多少の権利侵害は……」


「そう思うなら、節穴のようなあなた方自身の目を疑いなさい。私見ておりました。お二人は紫の服を着た方に撃たれたのです。それを追いかけようとしたのを、あなた方が止めたのですわ。これだけ雁首をそろえて、あなた方の野蛮なやり口、初めからお二人を捕えようとしたとしか思えません」


 よく通る海の声に、群衆がざわつき始めた。声のでかい奴は強い。危険な犯罪者をとらえようとする警官が、一転してえん罪作りにはげむ悪らつな小役人に堕ちてしまった。


 とうとう、群衆から一人の女性が歩み出る。


「あ、あの、私も見ていました。その子の言う通りです、紫のドレスの女の人が、その子たちを撃った、みたいです」


 それが皮切りになって、他の人も声を上げ始める。自分も逃げるのを見た、エレベーターに逃げた、撃たれたのはその子たちの方、などと声が上がる。


 これだけ証人が居たのか。


 俺達が警官に包囲されたときは、指をくわえて見ていたはずなのに。口火を切った海のおかげか、まさに平和な日ノ本の群衆だ。


 真実の叫びが、やがて警官への罵声に変わる。税金泥棒とか、早く捕まえてくれへとエスカレートする。詰め寄る群衆に押されるように、警官たちは吹き抜けから階下へと去っていった。


 由恵が深くため息を吐く。


 あの調子で身体検査までされていたらやばかった。銃と予備のマガジンが出たら、それはそれで銃刀法違反になる。都合のいいことに、P220を見た奴もいなかった。撃たせなくて正解だった。


 騒ぎが終わって落ち着いたのか、レイブンビルが元の雰囲気を取り戻しつつある。現場の保存のためなのか、警備員が自販の周りをテープで囲い始めた。


 海がこっちへ歩み寄ってくる。


「由恵さん、騎士さん、大丈夫でしたか?」


「うん。ありがとう、海ちゃん」


「いいえ。警察官を身内に持つ者として、あのような酷い捜査を許せなかっただけですわ。国民を守る立場の者が、よりによって国民を陥れるなど、国家の恥ですもの」


 ずいぶんと、正当なことを言う。県警本部長が親父ってことは、あいつらの上司を父に持つことになる。思うところがあるのだろう。


「助かったよ、本当にありがとう」


「お二人ともお怪我はございませんか。よく弾がそれたものですわね」


 本当はユエが気づいてかわしたのだが。それを言うとまたややこしい。戦えないと思わせた方がいい。


 警備員が俺達を呼ぶ。名前やら住所やら調べられ、後で警察に出頭しろと言われるかと思ったら、警官が漁った荷物を返してくれた。


 それは、いいのだが。


「……めちゃくちゃに、なっちゃった」


 買い物はひどい有様だった。一応、服は着られるし、ゲームもDVDも使えないことはない。けれど、あんなふうに荒らされたもので、楽しく遊べるかと言われたら、もう絶対に無理だ。


 沈んだ面持ちの由恵の肩に、海が軽く手をかけ、心配そうにのぞき込む。


「裁判をなさいます? 明らかに違法で不適正な捜査でしたわ。国家賠償訴訟を起こして、間違いを正せば」


「ううん、そこまではいいけど……あ、その子大丈夫かな」


 由恵の一言で、海は手元のねずみを見る。


 見た目には意外と平気そうで、口をもぐもぐやってるが。


 気の毒なことに、前の腕が片方だらりと垂れている。脚も引きずり、骨折しているのかも知れない。


 手当てをした方がいい。使い魔だからある程度平気だと思うけど。

 海は視線を伏せ、ねずみの怪我をじっと見つめた。


「骨折ですわね。可哀想に……そうだわ、この後お時間はございますか」


「ない、こともないけど」


「では少々お待ちください。今迎えの者を呼びます」


 携帯電話を取り出し、どこかを呼び出し始めた海。


「あ、あの別にいいよそんな」


「ああ。俺も夕方から予定があるし」


 遠慮半分、迷惑半分の俺達だが。海はもう決めたのか、にっこりほほ笑む。


「存じておりますわ。裕也の新聞部でしょう。どうせ彼も送り迎えつき、二人ともお送りしましょう……ああ、もしもし。私です。ええ、今三呂で友人と一緒になりまして。迎えをよこしていただけないでしょうか、はい、お願いいたします。ありがとうございます」


 どうやら話がついてしまったらしい。

 こりゃ、絶対に銃が見つかることは避けなければ。

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