4休暇
「……なんだ、下僕半。今朝食か」
相変わらずの憎まれ口、クレール。
こいつが昼に起きているのは珍しい。
緊急事態かと思ったが、断罪時のトレードマークのマントがない。細い黒のズボンにフリル着きの真っ白なシャツだけだ。銃も携帯していない。
この間のことなどまるでなかったかのように、クレールは俺の隣の席に座る。
「店主、いつものを頼む。小さいやつでいい」
ザベルに話しかけるため、か。
だが色白の横顔を見ていると、あの夢のことを思い出す。
こいつは吸血鬼だ。あのキズアトと同じ。
自衛軍の兵士にやったように、人の心を操ることを楽しむ。
はしが止まっていた。クレールがため息をつき、俺を横目でにらむ。
「おい下僕半。その思考をどうにかしろ。どす黒いものがだだ漏れだぞ」
蝕心魔法の応用で、吸血鬼は人の感情をある程度感じ取れる。べつに魔法なんか使えなくても、今の俺の心を推し量るのは簡単だろうが。
「……うるせえ」
むくれ顔であろう俺に向かって、クレールが肩をすくめる。
「外見が少年でも、お前ももう23だろう。人間としてはいい大人だ。ギニョルが休暇まで出したんだぞ。明日は切り替えてもらわないと、仕事に差し支えるじゃないか」
小生意気なガキめ。いや、俺が年下だが。
こんちくしょう、こいつをへこませる手段がない。ユエかギニョルがいれば色々いじれるんだが。
ザベルが料理を持ってきた。
板皿に乗った真っ黒い串焼きのいもりみたいなもの。それに、丸皿にはソテーにした鳥っぽい肉に、角ばった黒い板みたいなものが添えてある。
「お待たせ、闇トカゲの黒焼きと、洞窟コウモリのグリルだ」
祐樹先輩がナフキンとナイフ、フォークを添える。
「ありがとう……うん、また腕を上げたね」
ナフキンを首にかけ、出されたナイフとフォークを使い、機嫌よく平らげていくクレール。食材はバンギア産、それも大陸のかなり北にある、吸血鬼や悪魔の故郷、ダークランドの産物だ。クレールからすれば故郷の味なのだろう。
俺も食べたことがある。一見おぞましいが味は普通なのだ。黒焼きにまぶしたスパイスに、ちょっと癖があるくらいか。
余談だが、長い寿命を使い、バンギアの大陸各地を旅していたザベルは、各地の味にくわしい。バンギア人の家庭料理や宴会料理は大抵再現できる。そういう所も、闇市の食堂から一歩抜きんでた理由だ。
「どうした、早く食ったらどうだ。ザベルに失礼だろう」
クレールが俺をうながす。嫌みは感じない。
やっぱりただの生意気なガキ、悪意の欠片も見えない。昨日見せた冷酷な面はなんだったのだろうか。
「言われなくてもだよ。お前の方こそ、こんな昼間にどうしたんだ」
「朝用事があってね。お前を抜いた全員で、自衛軍の橋頭堡に探りを入れた」
「本当かよ。結果は」
クレールが食器を置いた。水を一口飲む。
「……僕がここで、こうしていることから分かるだろう。将軍のやつ、しらを切り通しさ。言葉だけなら、関与を認めたともとれるようなことも言っていたけど、断罪の証拠にはならない」
むしろその方がよかったのかも知れない。基地内には、スレインの鱗もぶち抜く重砲火器がわんさかある。おまけに桐嶋くらいの奴らもごろごろいる。
本気で将軍を断罪するなら、方法を工夫しなきゃいけない。
ギニョルもそれほど期待してはいなかったのだろう。
「GSUMの方もだな?」
「そっちはもっとだめだ。オーグルの奴、本当に何も知らなかった。ギニョルが蛙に変えていじめても、僕が記憶を掘り返しても、何も出なかった。装甲車がとめてあった土地の所有者も、姿をくらましたよ」
ということは、命がけで断罪したあの事件も、これで終わりだ。
この二年似たようなことは散々あったとはいえ、殺されかかって成果もないとは。キズアトやマロホシの断罪もお預けか。
「何かあるまで、また自由捜査ってことになった。いつも通りだね」
「じゃあ、お前もう寝るんだな」
吸血鬼は昼眠る。午前十一時の食事と活動は、人間でいけば重たい夜食と夜更かしになる。
「いいや。軽く腹ごしらえをして、射撃場に行くよ。銃が変わるから、手に馴染ませておかなくちゃ」
89式を海に落としてしまったせいか。元気なものだ。
基本的にバンギア人もみんな、一日の半分を眠る。吸血鬼であるクレールも昼夜が逆転しているだけで、寝なけりゃ辛いはずなんだが。
2人して食事を進めていると、キッチンの奥から、祐紀先輩が戻ってきた。
おぼんに乗ってるのは、鮮やかなオレンジ色のジュースだ。コウモリの形に切ったニンジンがコップの端に引っかけてある。
「お待たせ。オニニンジンのフレッシュジュースよ」
「ありがとうございます」
クレールが模範的な微笑みを見せると、祐紀先輩の瞳が揺れた。
このガキは普通にしていても美少年そのものだ。ザベルもたいがい女性の目を引く容貌だが、魅力のベクトルが少々違う。クレールには人を超えた妖しさがある。
見つめられた祐紀先輩は、おぼんをおさえると、何かを必死にこらえるように、背を向けて奥へ入って行く。これまた色っぽいが、旦那の前だ。
「……おい、ガキ。人の女房に色目使うと承知しねえぞ」
ザベルの声が険を帯びた。これは、本気で怒っている。
だがクレールに、動じた様子はない。
「店主、君はダークエルフだろう。君たちらしく、自由に考えるといい。女性の気持ちを縛ることはできないと、分からないのかい」
「本気で言ってるなら、次のお前のメニューに銀粉でも仕込んでやるぜ」
やりかねんな。止めた方がいいか。
俺がものを言う前に、クレールが肩をすくめた。
「冗談さ。僕は誇り高き吸血鬼、クレール・ビー・ボルン・フォン・ヘイトリッドなんだよ。この僕の姿や魅力に、堂々と立ち向かい、力の限り抵抗してくる相手でないと、魅了する気などしないのさ。あのご婦人は良くも悪くも平凡すぎる。手に入れても自分が惨めなだけだ」
このプライドの高さが、本来の吸血鬼らしい。まあそのおかげというか、こいつは生まれてから100年以上、下僕童貞なのだ。
もっとも、家柄の高い吸血鬼は大体そうで、キズアトの奴みたいに、なんでもない女を片っ端から魅了する事はありえないらしい。GSUMの連中といい、ポート・ノゾミにいる吸血鬼は下僕を作るのをためらわないのだが。
ザベルもバンギア人だけに、そのへんは承知している。ただ、女房のこととなると、話が別なんだろう。
「好き勝手言ってくれるぜ。騎士、いつもこんななのかよ?」
「大体は」
本当にこうしていると、いつも通りなんだが。
クレールのことを気にしてしまうのは俺の問題なのだろう。
ぶすっとした表情のザベルに、食べ終わってナフキンで口元を拭いたクレールが頭を下げた。
「すまなかったね、店主」
ナフキンを畳むと、闇トカゲの本革財布から取り出したのは、大胆にも日ノ本のイェン、それも新札の一千イェンが3枚。断罪者の給料としてもらえる、自衛軍やGSUMのかかわっていない、日ノ本の政府公式のもので島では貴重だ。
半分は金の効き目、もう半分は殊勝な態度に、ザベルの表情が柔らかくなる。
「おう、こっちこそ、大人げなかったな」
「いや、いいんだ。あなたの黒焼きを失うには惜しい。なにせ故郷の味だからな。もちろん、釣りはいらないよ。下僕半、食ったなら行こう。銃が変わるから、連携をもう少し強化した方がいい」
俺が食い終ったのを見越して、何でもないように声をかけてくる。
昨日、お互いを殺しかけたっていうのに。気にしてるこっちがバカみたいだ。
「……分かったよ」
俺は腰を上げた。確かに、一日一発は銃を撃ってないと、感覚が鈍る。
いつものように体を動かしてりゃ、胸くそ悪い気持ちも消えるだろう。
「騎士くん、行くの?」
「非番ですけど、訓練所は使えますから」
ザベルは腕を組んで俺の顔を見つめる。
「休み、もういいのかよ」
心配してくれているのか。
「いいんです。どうせなんかあったら出るんだし」
クレールが目でうながす。気持ちを切り替えていくか。
そう決意して、ドアをくぐった瞬間だった。
「えい、このひきょーもの!」
襲ってきたのは子供達だ。
俺もクレールも、二十人以上の子供に囲まれてしまった。
「遊ぶっていったー!」
「約束を破るなー」
「腕をへし折るぞ!」
「おいおい、美少年とショタジジィのツーショットかよ……」
カオスそのものだ。どうやら中のやりとりを聞かれていたらしい。
クレールの方も子供にまとわりつかれている。
「こら、なんだ、くっ、こいつ素早い……」
ハーフエルフの女の子に集中的に襲われている。分かりにくいが、ローエルフとのハーフだろう。
姿かたちはフリスベルと似てるが、クレールにおぶさると、小さい肉食獣のごとく、執拗に首筋を狙って顔を押し付ける。
「すごい、髪サラサラで女の子みたい。良い匂いする、良い匂い……! 離さない、ぜったい、はなさない」
「こ、こいつ、現象魔法でツタを地面から……やめろ、それはやめろ、僕のトラウマなんだぞ! 何とかしろ、下僕半!」
まあなんというか、両方容姿はいいから絵的には綺麗なんだが。
やってることが絶望的に汚い。現象魔法とかどれだけ必死だ。
「いや、何とかって言ってもなあ。こりゃどうしようもねえよ」
俺の方は、涎を垂らして突進してくる悪魔と人間のハーフを止めるので精一杯だ。
他の子たちには圧倒的にしがみ付かれてるし。腕もまじで折られるかも知れない。
「遊んで、遊んでよ、一回だけだから、任せて、私に任せて、ねっ、ねっ、お兄ちゃん。楽しいから、絶対楽しいから」
鼻息も荒く、俺のてのひらで何やら口走ってる悪魔と人間のハーフ。
何の遊びがやりたいんだ、こいつ。だが他の純粋な目をした子供は裏切れない。
「仕方ねえな。付き合ってやろうぜ」
「分かった。分かったからツタはやめろ、頼む」
なんとかなだめすかして、ローエルフのハーフを振りほどいたクレール。
「……緊縛プレイとかレベル高すぎ」
「ちょっと黙っててくれ」
「ひぁうっ」
角を握ると、女の子は声を上げて大人しくなった。
悪魔ってのはみんなこうなのか。今度ギニョルに試してみるか。
めちゃくちゃ、怒るだろうな。
全体を落ち着けてから、俺とクレールは引率者になった。
子供二十人の好奇心と体力は凄まじかった。
まずサッカーボール一個と共に、ノイキンドゥにある、大学の元グラウンドまで引っ張られ。そこでサッカーの様な何かをしたり、キックベースボール、バレーボール、最終的には謎のラグビーもどきに派生し、散々にぶつかり合い、転げまわった。
俺も、最初気取ってたクレールも結局乗せられ、一緒になって楽しんだ。
結局あたりが暗くなるまで、わんぱくどもに付き合ってしまった。
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