3恩人

 やっとのことで子供達を振り切った俺が目指すのは、元公園の敷地内にある、塀つきのしゃれた建物だ。


 この建物、屋根は瓦、しかし建物本体は西洋様式だ。柱や窓の枠は白、壁は薄い黄緑。いずれも塗装された木製だ。 赤レンガの塀に、鉄柵を備え、庭の木は丁寧に刈り込まれている。


 二階のテラスには、子供たちの洗濯物がひるがえる。南側の芝生には、遊具やガーデンパーティ用の照明もある。


 この建物はかつて三呂に住んでいた外国人の建物だ。いわゆる異人館と呼ばれるもののひとつで、ポート・ノゾミの転移前に移築されたという。

 三呂市の発展はかつて鎖国していた日ノ本が、近代に入って外国人の居住を認めたことで始まった。そのため三呂市には異人館や居留地が多い。これも流煌から聞いた知識だ。


 幸運にも紛争を生き残った異人館が、今は食堂兼孤児院になっている。


 開いた門をくぐり、入口である板チョコ状の模様が浮き彫りになったドアを開ける。


「いらっしゃいませー……あ、騎士くん、起きた?」


 スキニージーンズに、白のブラウス。その上からはエプロン。

 目立つのは、やっぱり眼鏡。セミロングの黒い髪が穏やかに揺れてる。


祐紀ゆうき先輩」


 笹本ささもとゆう。高校の軽音部で、キーボードを弾いてた女の先輩。

 俺の二つ上だったから、今は25才。幸運にも魔法をかけられたりはしていないから、相応に年が取れた。


 俺と同じで、紛争で全てが狂った高校の生徒の一人だ。

 先輩は両親を殺され、兄妹とも離れ離れになった。以来、人の世界に戻れない俺と、協力してこの島を生き抜いている。


 カウンターに座ると、水を注いでくれた。


「昨日は大変だったでしょ。食べ物を買うのが遅れたって、常連さんがいってたよ」


 銃撃戦が甦ってくる。よく切り抜けられたものだと思うが、断罪者に命の危険はつきものだ。


「まあでも、なんとかなりましたよ。怪我もすぐ治るんだし」


 俺がそう言うと、祐紀先輩の顔が少しだけくもった。

 料理が乗ってたおぼんを抱くと、伏し目がちにつぶやいた。


「でも、あんまり危ないことは……主人も心配してるし」


 身を乗り出しそうになる。

 派手な顔立ちじゃないし、体つきがグラマラスってわけでもない。

 が、淑やかな中に、匂い立つ様な色気が漂っている。


 これが人妻ってやつか。よく知ってる先輩なのに新鮮に感じる。


 見た目はギニョルと同い年にも思えるが、あっちはどうにもカリカリしている。

普通にクレールや俺をぶん殴ってくるし、どやし付けてきやがる。

 いくら美人でもいき遅れるタイプだろう。悪魔の結婚がどういうものか知らんが。


 さておいて、先輩から主人と呼ばれたのは、キッチンから出て来たダークエルフの男だ。


「起きたな騎士。派手にやったらしいじゃねえか」


 赤いバンダナに分厚い白のエプロン。シャツの下には、細身ながら引き締まった褐色の身体。灰色の髪からはフリスベルと同じ、尖った耳が突きだしている。


 すらりとしたやさ男に見えるが、これでかなり腕っぷしも強い。


「いつものことですよ。怪我も治りました」


「そいつは良かったな。まかないがあるが、どうする?」


「いいんですか」


「おう、食え食え。悪い夢もぶっ飛ぶぜ」


 そう言ってかゆの入った茶碗を置いてくれた男の名は、ザベル。ダークエルフだ。


 元は攻めてきたバンギア人の一人だったが、自衛軍のリンチから命からがら逃げた所を、祐紀先輩と俺でかくまった。恩義に感じたのか、それを機会にバンギアの軍勢を抜け、紛争の続くポート・ノゾミで一緒に行動してくれた。


 祐樹先輩が心の支えなら、ザベルは俺の力の支えだ。


 バンギアのこともたくさん教えてくれたし、四百年という長寿の間に覚えた、技や知恵を惜しげもなく教えてくれた。


 俺が断罪者になるまでの五年、紛争が続くポート・ノゾミで生き抜けたのは、この人と協力したからと言っていい。


 この店は、ポート・ノゾミの戦闘が落ち着いたあたりで、ザベルが始めた闇市の食堂が元だ。俺も見よう見まねで手伝い、特にアグロス人にうけて、わりと儲かったので、橋頭保にある日ノ本の役所に袖の下をやって、この建物を借り、改めて開店した。


 そのタイミングで、ひそかに付き合ってた祐紀先輩とザベルは夫婦になった。二人は店を切り盛りする傍ら、闇市で見かけた何人かの子供たちを引き取って暮らしている。


 俺はというとちょうどそのころギニョルから断罪者にスカウトされた。二人は新婚にもかかわらず、断罪者になった俺に近くに住むよういってくれたのだ。


 コンテナハウスと子供達と、祐紀先輩夫婦のまかないに彩られた生活は、なかなか快適だったりする。


「アグロスのコメってのは、やっぱ面白い食材だな。水加減で炊き上がりが全然違う」


 湯気を立てるのは、梅干しが浮かび、鰹節がふられ、しょう油風味のソースがかかった白粥。起き抜けの胃には最高だ。


「いただきます」


 手を合わせてれんげを握ると、少し取り、軽く冷ましながら口に運ぶ。


 熱い中にも、優しい塩気があり、鰹節のうまみがある。


 寝汗をたくさんかいたせいか、塩味が嬉しい。


 一口、二口とれんげが進む。熱いのがもどかしい。息を吹きかけ、少しずつのみ込むたび、どんどん腹が空いてくる。


「すんません、他になんかありませんか」


 ただ飯を食らっておいて、おかわりとはいい度胸だが。これが俺達の普通なのだ。

 祐紀先輩が口元を隠してくすくすと笑う。


「ちょっと待ってね。冷蔵庫の龍魚のかば焼き、温めるから」


 龍魚はバンギアの海に生息する魚だ。見た目は真っ赤で、鱗のある角の付いたうなぎみたいな奴だ。ポート・ノゾミの近海でよく獲れる。


 こいつのかば焼きは日ノ本のうなぎレベルでうまい。密かに日ノ本にも輸出され、三呂のうなぎ屋では、安価なうなぎとして供出されているらしい。こいつの密輸には、GSUMが一枚噛んでいるという噂だが、まあ毒でもないしいいだろう。


 ご飯をもらって、温まった龍魚のかば焼きをのせ、山椒と甘めのたれでかきこむ。たまらねえ。目を覚ました胃が、喜んでいる。


 まだ客はそれほど多くない。がつがつと食う俺を、ザベルが見守る。


「いやー、やっぱお前、良い顔して食べるよなあ。ガキどもと同じで、本当に飯の食わせがいがあるぜ」


「ザベルさんの飯がうまいんですよ。龍魚の焼き具合も、たれも完璧です」


「へへへ、もっと言っていいんだぜ。おう、いらっしゃい!」


 ドアベルが鳴る。


 入って来た客の顔を見たとたん、せっかくの飯は味を落とした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る