2丹沢騎士という男


「あ……」


 カーテン越しに、陽が差しこんでいる。


 窓の外から子供の喧騒が聞こえる。


 電池式の時計は、十時過ぎを示していた。


 ズボンはしわくちゃ、インナーをあふれた汗が、Yシャツまで浸食してる。


「また、かよ……」


 これで何度目だろう。

 流煌との思い出の断片、キズアトとマロホシのことを夢で見たのは。


 あれから七年。

 断罪者になって、二年。


 バンギアの連中とも、馴染んできたと思ったのに。


 昨日の出来事のせいだ。自衛軍相手に、やり過ぎたクレールの奴を見て、吸血鬼の印象を思い出した。


 なまなましい殺意が甦る。流煌を奪った吸血鬼は今、GSUMの首領だ。通称“キズアト”。ポート・ノゾミの裏社会の頂点を支える一人だ。

 アグロス、バンギアを問わず少女や美女を選りすぐった下僕、その名も『ハーレムズ』は30人を超え、断罪のときにもたびたびお目にかかる。


 あいつは必ず、殺してやる。


 懐に手を突っ込み、銀のナイフを握り締めようとして違和感。

 ギニョルに預けたんだった。頭に手をやる。


「……らしくねえな」


 憎悪の塊が消えない。


 恐らくクレールも、似たようなものを抱えているのだ。あれだけの腕をもっていて、よく後ろから俺を撃たないものだ。


 本当はそんな奴じゃないことは、分かっているのだが。


 ため息をひとつ吐き、ベッドから出ると、身支度を整えることにする。


 見慣れた俺の部屋。間取りはこの一室とベッド脇に増設した洗面所とトイレだけだ。横幅約2.4メートル、高さは同じ、奥行きは約12メートル。


 元々温度変化に弱いものを運ぶためのコンテナで、壁は断熱材が張ってあり中の気温が一定だ。上下水道の配管や電気その他を整えたら意外と住めた。ちなみにポート・ノゾミにはこういうコンテナハウスが少なくない。輸出入に使う港で、コンテナそのものはたくさんあったからだ。


 このベッドから、入口に向かって、簡素なクローゼット、パソコンつきの書き物机、食事用のテーブル。そして玄関ドア。 


 元々俺はこの島に住んでいたが、家族といたマンションは紛争中に略奪され、そのままホープレス・ストリートに巻き込まれてしまった。

 家族との縁も紛争中に切れた。といっても殺されたわけじゃない。無事、日ノ本に帰ってまともに暮らしている。


 ベッド奥に増設した洗面所で、手洗いと身繕いを済ませると、部屋に戻ってクローゼットを開ける。

 ぎっしり詰まった予備のブレザー。高校の制服と良く似ている。違うのは、ネクタイの色ぐらいだ。


 ズボンを脱ぐと、てき弾の破片でやられた傷は治っていた。


 汗で気色の悪い下着を換え、新しいカッターシャツとスラックスに足を通す。非番だしノータイでいいだろう。


 鏡に向かう。気味が悪いくらい、容姿はあの頃と変わらない。


 7年前から俺の時間だけが止まっているように思える。

 いつまでたっても、キズアトの奴に流煌を奪われた、16歳のガキのまま。


 こんな姿なのは、理由がある。

 夢で見るのは、キズアトに流煌が奪われた場面ばかりだが。

 あの後俺は、マロホシと名乗った悪魔の女に、操身魔法をかけられた。


 操身魔法は肉体を変化させる魔法だ。悪魔は他の人種の身体を魔法で造り替え、しもべにすることがある。死体を操るのも一般的だが、あいつは俺を少年のままに保つ操身魔法をかけた。傷の治癒や、病気への耐性も、そのおかげなのだ。


 魔力や魔法というものの存在を全く知らないアグロス人は、魔法への抵抗力が弱い。俺の場合は、目の前で流煌を奪われ、精神力も弱っており、なおさら強力にかかったらしい。


 魔法をかけたマロホシを殺しても、元には戻らないかも知れない。それがあいつと同じ悪魔である、ギニョルの見立てだ。


 操身魔法が効き続けている俺には、同じく操身魔法の一種である、フリスベルの回復魔法が効かない。てき弾の傷に通常の手当てをしてもらったのはそのせいだ。


 殺されるか、死なない限り、俺はこのまま生き続けるのだろう。


 吸血鬼や悪魔に魔法を受け、それから主を失った下僕は、同じタイミングで自ら命を絶つという。だが俺には、あいつらが死んでからが新しい人生だ。


 暗い気持ちを振り払うと、玄関のドアを開ける。


 今日は晴れだ。俺の家の周囲は元公園、今でも子供が大縄とびをやったり、土に輪を書いてその中をぴょんぴょんやっている。


 そいつらが、一斉にこっちを振り向いた。


 間髪入れず、歓声を上げて突撃してきやがる。


「兄ちゃあああああぁん!」


「起きた! 休みでしょ!」


「遊べやこらあ!」


「寝起きショタジジイ」


「……汗の匂い」


 男、女ごったまぜ。俺の腰くらいの背丈から、すでに俺よりでかい奴まで。ざっと十数人集まっている。どいつもこいつも、マスコットのきぐるみでも見つけたときのテンションでへばりつき、俺はたちまちもみくちゃになった。


 必要以上に俺のシャツを嗅いでくる変な女の子が二人ほどいるが、気にしないことにしよう。


「おい待て! お、おお……」


 俺をもみくちゃにする子供達の容姿は様々だ。


 黒や赤、青い髪の毛の奴もいれば。


 クレールと似た色白で片目の赤いやつ。


 エルフ達には及ばないものの、少し耳のとがったやつ。


 また髪の毛こそ生えているが、皮膚は緑で、顔立ちが明確なやつ。


 小さな角の生えたやつ。


 そして、顔は人間と同じだが、服の下に分厚い鱗があり、立派な尾や角の生えた、どこかスレインを思わせる奴。俺よりでかいのはこいつらだ。


 この子供達は、全員が紛争中に生まれた、バンギア人とアグロス人の混血人種なのだ。


「おい! おいって、ちょっと離れろよ。先生の所で飯食ってから遊ぶから」


「本当! 嘘だったら燃やすね?」


「兄ちゃん魔法効きにくいよ」


「じゃあその腕へし折るまでだ!」


 鱗に尻尾の男の子が牙をむいて笑う。俺よりも体格がいい。


「……ドラゴンハーフなら、本当に折れるからマジでやめろ」


 本来、バンギアでは異種族間で子供を授かる事がなかった。


 たとえば吸血鬼のクレールと、ローエルフのフリスベルがよろしくやっても、子供はできない。あの2人で想像すると、インモラルな絵面だな。


 が、どういうわけか俺達の世界の人間、アグロス人とバンギアのあらゆる種族との間では混血児が生まれるのだ。


 つまり、一応はアグロス人である俺と、悪魔のギニョルならいけるわけだ。

 バンギアの人間である、ユエとでもだ。

 フリスベルは好みとずれる。


 紛争中に見たように、こっちの人間がバンギア人に襲われて産まされることもあれば。軍紀の乱れた自衛軍や、日ノ本からお忍びで遊びに来た奴らが、バンギア人で遊んで生ませた子供もいる。


「昨日お仕事だったんでしょー」


「銃撃ったの?」


「ドンドンってすごい音がしたよ」


 興味のままに質問が降ってくる。もうなんか俺を離さない勢いだ。


 この子たちの親はほとんど行方が知れない。

 紛争に巻き込まれた場合もある。だがその多くは、バンギアに今まで存在したことのなかった、異形の子を恐れて捨てたのだ。


「ごめんな、これから先生の所に行くんだ、とりあえず飯を食わなきゃ」


「じゃあ後でかー」


「ぜったい、ぜったいね! ぜったい遊ぶ、ね! ほら指切り」


「分かったよ、全くもう」


 ハイエルフとのハーフの男の子から、差し出された手を取る。

 男の子は絡めた指に力を込め、力いっぱい振った。


 この子達は世話を焼いてくれる人が居なくなることを嫌う。


 まだみんな生まれて十年にも満たないのに、色々な別れを経験してきているせいだろう。


「ショタジジイとハーフエルフの指切りとか、どんなご褒美だよ……はかどる」


 よだれをぬぐった、悪魔とのハーフの女の子は視界から消しておく。あの子はユエと仲がいい。


 アニメだ漫画だと、半端に日ノ本の情報が入るせいで、いろんな感じで育っちまう。まあ希望とかあるのはいいことだけど。


 ある恩人との関係で。

 こいつらにまとわりつかれるのが、俺の日常の一部なのだ。


 疲れるが色々と救われる。少なくとも、こいつらが立派に暮らせるのを見届けるまでは、自分から死のうとまでは思えないのだ。

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