5エフェメラ
夜の食堂は昼よりにぎわっている。客層は昼間と大きく異なり、悪魔やゴブリン、吸血鬼とダークエルフが多い。悪魔の中には、大山羊の姿で来ている奴らもいた。
食用虫やら、黒こうもり、龍魚以外の魚など、主にバンギアの料理が並ぶテーブル。ついているのは俺とクレール、それに店を他の店員に任せ、休憩に入ったザベルと祐紀先輩だ。
「てき弾を避けて水泳して以来だよ。こんなに疲れたのは」
真っ赤な液体入りのグラスを傾け、クレールがため息を吐く。グラスの中身は血でもトマトジュースでもない。ダークランド産の鮮血カブと、桃のミックスジュースだ。
遊んだ後、食堂兼孤児院に戻り、全員を風呂に入れ、着替えさせて飯を食わせ、部屋に入れて寝かしつけると、完全に休日は終わった。
久しぶりに手伝ったが、本当に大変だった。先輩とザベルはこれを毎日やってる。ノリと勢いだけで付き合ってくれたクレールには、頭を下げるしかない。
「いや、悪いなあ。一応、ある程度は遊んだりする時間取ってるんだけど。お前らが来たら、本当に反応が全然違うぜ。おかげでちょっと休めたよ」
ザベルが肩を回している。口には出さないが疲れていたらしい。
「騎士くんも、クレール君も、人気があるのよ」
祐紀先輩がほほえむが、それは喜んでいいのか、どうなのか。
クレールにひっついてたローエルフのハーフの女の子も、俺に迫ってきた悪魔とのハーフの女の子も、満足して眠っているだろう。
祐紀先輩が俺達を見つめる。
「本当にありがとう。二人とも、忙しい中なのに」
眼鏡の奥の瞳にじっと見つめられ。
丁寧に頭を下げられると、言い知れない気持ちになる。
この人はすでに人妻で、母親の風格だ。
今度はクレールがどぎまぎする番らしい。少し黙った後、話題を変える。
「……ま、いいよ。たまには。父様もよく僕や領内の子供と遊んでくれたんだ。剣を振るってね、いい鍛錬になったよ」
なんべんか聞いた話だ。遊んだと言ってはいるが、鎧なしで真剣を振るって斬り合うのだ。エルフの下僕が傷を治療できるから、実戦で剣を覚えるのは普通のことらしいのだが。
ザベルがグラスを傾け、クレールの方を見つめた。
「吸血鬼は鼻持ちならんと思ってたが、ヘイトリッド家の坊ちゃんは違うんだな」
「当然さ。地位にはそれに応じた振る舞いが求められるんだ。父様は、下僕やどんな種族にだって敬意をもって接していた」
ふふん、と言いたげに胸を張るクレール。ここで得意になっちまうあたり、まだ子供なんだろうな。108歳だけど。
グラスの中で溶けた氷が音を立てる。からからと揺らしながら、ザベルが二階へ続く階段を見つめた。
「……あいつらも、仲良くやってくれるといいんだがな」
「そう見えますけど」
「いや。やっぱり複雑なんだよ、色々あってたとえば」
ザベルが言いかけたときだ。二階から、ずしん、と音が響いた。
つづいて格闘する物音、金切声に近い叫び。
「言わんこっちゃねえ……!」
グラスを置いて階段に向かうザベル。俺とクレールも急いで従う。
混血児たちは確かに子供だ。しかしバンギア人の血を引く以上、その力は純血の種族とほぼ変わらない。一線を越えれば大事になりかねない。
以外にも、物音は女の子たちの部屋からだった。
てっきりやんちゃな坊主どもが暴れていると思ったが。女子の寝室に入っていっていいものかどうか。俺とクレールがためらっていたが、ザベルは一気に踏み込んだ。
扉を開いて驚いた。
三人の女の子が、三者三様の魔力を集めてにらみ合っている。
手前側の二人は良く知っている。クレールを襲ったハーフエルフと、俺に飛びかかってきた悪魔のハーフだ。
「リーエ、ヒルディ、何なんだよ、お前らどうしたんだ!」
ザベルが、ハーフエルフと悪魔のハーフに呼びかける。
二人は真剣な顔で奥の一人をにらみつけている。リーエを守る様に部屋の木材から枝が伸び、ヒルディの隣には、骨でできた犬が五匹、唸り声をあげている。
枝は現象魔法、骨の犬は操身魔法。二人ともまだ10歳にも満たないのに、これだけの力を持っていたのか。
二人と対しているのは、黒ずくめの服装をした少女だ。
首元で切り揃えた黒い髪に、一部だけ灰色が混じっている。
その目は右が赤で左が黒。服装も、高級そうな黒いドレスで、小脇には革表紙の本を抱えている。バンギアとアグロスの子供服をざっくり混ぜた感じの他の子とは、明らかに違う。
この子は恐らく、吸血鬼のハーフだろう。どうやらリーエとヒルディの二人と、この吸血鬼のハーフとが、もめごとを起こしたというところだろうか。
悪魔のハーフ、ヒルディが叫んだ。
「……こいつが、エフェメラが言ったの! 私達にカジモドって!」
“カジモド”とは、『出来損ない』を意味する、バンギアの古語だ。
ザベルや祐紀先輩、俺達断罪者など、一部の者は決して使わない言葉。
だがバンギア人の多くは、混血児たちをそう呼び、
一般的なバンギア人にとって、混血児は今回の紛争がなければ、アグロスとつながらなければ、生まれないはずの存在だった。
だから混血児たちは、本来バンギアに存在してはいけない者達だと考えているのだろう。だからカジモド、出来損ないだ。
この子達の親の多くは、カジモドを生んだこと、生まされたことを恥じ、子供を捨てて島を出ていった。
子供たちの心を深く傷つける最低の言葉。
エフェメラと呼ばれた少女は、悪びれることすらしない。切れ長の目を冷たく動かし、部屋の全員を見回す。
「カジモドとは言っておりません。ただ、あなた方の様に、くだらぬ娯楽にうつつを抜かして、自らの才を磨くこともしないのでは、カジモドと変わらぬと申し上げたまでです」
見下げ果てた様な顔つきで、リーエとヒルディを見比べる。
歪んだ笑みを浮かべた拍子に、口元の犬歯がのぞく。
吸血鬼を、思い起こさせる。
俺達大人がたしなめる前に、リーエとヒルディが叫んだ。
「なによ、カジモドっていうんだったら、あなただって吸血鬼と人間の子供じゃない!」
「そうよ! ここにいるみんな、変わらないわ! みんなに言ったことを取り消して!」
リーエの蔓が伸びあがり、ヒルディの犬が飛びかかる。
エフェメラの目から、灰色の魔力がはしった。
操られた子供たちが、吸い寄せられるように蔓と犬の前に出てくる。
友達の壁の前に、二人は攻撃を止めた。
にらみあいの沈黙の中、クレールが感嘆のため息を漏らす。
三人の間に歩み出ると、エフェメラに微笑みかけた。
「驚いたな。この年齢でここまで蝕心魔法が使えるなんて。君は優秀だね。でも駄目だよ、小さなレディ。友達を傷つけたいのかい。それに、プライドはやたらと見せびらかすものじゃない」
純血の吸血鬼で、祐紀先輩をも惑わすクレールの麗らかさが効いたか。
それとも友達、という言葉のせいか。
冷酷ぶっていたエフェメラの表情に動揺が浮かぶ。
「そんな、そんなつもりは……」
魔力の光が弱まっていく。
エフェメラの迷いを察したのか、リーエの蔓と、ヒルディの犬が引っ込んでいく。
俺はザベルに目配せをした。
クレールがエフェメラを抑えたら、俺達でリーエとヒルディも止める。
油断はできない。三人とも魔法を操る呪文を唱えていないらしい。いわば精神力だけで魔力を制御している状態だ。いつ暴走するか分からない。
安全が最優先、悪いが、話し合いを待っている余裕はない。
それはクレールも分かっているらしい。そろそろと距離を詰めていたのだが。
「……やっぱり、もうやめよう、エフェメラ」
床と壁の板から生え、部屋中を覆わんばかりだった蔓が、全て引っ込んだ。
骨の犬も崩れて散った。
リーエとヒルディが魔法を終わらせたのだ。二人は並んで歩み寄っていく。
「わたしたちが、漫画とか読んだり、ずっと話してたりしたのは謝るから。また、仲良くしようよ、私、いやだよ。エフェメラとけんかなんて」
「漫画の話いやなら、がまんするから。わたしたち、お父さんや、お母さんもいないんだもん、友だちまでいなくなるなんてやだ。ね、もうやめよう」
黙り込むエフェメラ。だが瞳から走る魔力の光は弱まっている。
結局、友達の問題は友達同士で解決するのが一番。
ザベルの方を見ると、ため息をついて三人を見守っている。
このまま無事に済みそう、か。
顔を上げたエフェメラが、犬歯を剥き出して叫んだ。
「黙れ! 私は誇り高き吸血鬼、カルシド・リム・ギムルガルの娘、エフェメラ・リム・ギムルガルだ! お前らみたいに、親に捨てられたカジモドなんかじゃない、こんな場所に馴染めるものか!」
一瞬、まばゆい灰色の光がはしったかと思うと、操られていた子供達が一斉に顔を上げた。
全員、吸血鬼と同じ赤い瞳だ。リーエとヒルディに襲いかかる。
エフェメラは窓を開けると、外に飛び降りた。俺もザベルもクレールも、二人を守って子供たちの前に立ちはだかる。
人間のはずの女の子が、乱暴に拳をふるう。腕をかざしてかわしたが、かすった部分がシャツの袖ごと千切れ飛び、血が噴き出した。
「痛ってぇ……!」
この力、まさか下僕にしたのか。俺は後ろへ下がりざま、ベッドのまくらをつかむ。羽毛入りで柔らかいのを確かめ、襲ってくる女の子に振り下ろす。
受け止めると、片手でまくらを引き裂く女の子。
カバーが弾けて、中身の羽毛が部屋中に舞う。
一瞬、視線が散る。その隙を突いて、腕をつかみベッドに押さえこむ。
「騎士、しっかり押さえてろ!」
ものすごい力だ、ザベルが手伝ってくれるが、俺達二人が全力で体重をかけてやっと。これが下僕の力なのか。俺はクレールに叫んだ。
「おい、この子らチャームがかかってんのか!」
チャームとは、吸血鬼が使う最大の蝕心魔法だ。
吸血と共に、対象のそれまでの記憶を消滅させ、忠実な下僕に変える。効果は術者が死んでも続く。流煌が、キズアトの奴にかけられた魔法だ。
エフェメラがチャームを使っていたなら、この子達はもう元に戻せない。
二人の子供の拳をかわしながら、クレールは答える。
「違う。少し待て。イ・ムース・ヨウ・ドラウン!」
呪文と共に、かっと見開いた真っ赤な両目で、灰色の魔力が弾ける。
クレールの目から、女の子たちの頭へ、音のない稲妻の様なものがはしったかと思うと、全員あっという間に眠りこけてしまった。
蝕心魔法の基本、意識に干渉する強制睡眠だ。
それでも、軽い仕事ではなかったのだろう。
クレールは深いため息を吐いている。
「……末恐ろしいレディだ。なかなか強力な蝕心魔法を使う。今が夜で良かったよ」
親父の血を継いだのかクレールの蝕心魔法は優れている。しかも今は吸血鬼の力が上がる夜だ。エフェメラの魔法は、そのクレールが驚くほどだったのだ。
祐樹先輩が入ってきて、女の子たちに変わったところがないか確認し始める。俺もザベルと抑えていた子をベッドに戻した。
「まいったな。探しに行きますか、ザベルさん?」
「行きたいのは……やまやまだけどな」
ザベルの視線の先には、しゃくりあげるリーエとヒルディ。
エフェメラの態度がショックだったのだろう。
入ってきた祐紀先輩が、二人を抱きしめた。
外で他の部屋の扉が開く。男の子たちが様子を見に廊下へ出てきた。
「……何でもねえよ。寝ててくれ」
ザベルは子供たちを部屋に帰していく。
女の子たちは、俺やクレールじゃなく、ザベルと祐紀先輩にすがる。まるで父母を頼む大家族だ。
ここからは、この子達やこの家の問題。
俺達が干渉すべきことじゃないのかも知れない。
クレールが破れかけた俺の袖を引く。
「なんだよ」
「いいから来い。すまないが、今日は失礼する」
この状態で失礼も何もない気はするが。
祐紀先輩もザベルも子供たちに応じるので精いっぱいだ。俺達に構ってはいられなさそうだ。
クレールに引っ張られるまま、俺は店を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます